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同じ曲
(2006年12月11日 mixiに書いた文章です。ここから今日まで、また18年が経っているわけで、わが思いの変わらなさ、ずっとすてきでいてくれる高見沢俊彦に驚愕である。この頃に爺さんと言っているが、今思うと若人である。)
この週末、土日共に我が永遠のアイドル、
我が永遠の王子、実のところ近頃めっきり爺さんのあのひとを見に行った。
THE ALFEEの秋のツアーも大詰めである。
このツアーで、ラストに歌っているある曲は私の知る限りの此の世の全ての音曲のなかで一番好きだと言ってもよい曲なのだが、私はこの曲を、なんと、都合20年も聴き続けているんである。
小学5年生から6年生に上がる春休み、友達の叔母さんから借りてダビングしたテープでしきりに聞いたことを思い出す。
当時から大好きだったのだ。
気づけば、あれから丁度20年が経つではないか。
我ながら驚く。
双眼鏡で、皺じみた顔を見る。
この人を、20年間も、飽きもせず、目移りすることもなく、よくぞ見てきたことだなあ、と思う。
律儀に発売日に新譜を買い続けて20年。
ライヴに足繁く通い始めて18年。
なんたる月日!
この20年、本当にいろいろあったけれど、
いつもいつも、ずっと変わらずに大好きだった。
今から誰かのファンになって同じぐらいの年月ファンで
居ようとしたら、51歳になってしまうぐらいの月日だ。
昨日、彼もステージでしみじみ言っていたが、これはもう、諦めて付き合い続けるしかないのだ。ひとつのバンド、ひとりのミュージシャンを
こんなにも長く、そしてこれからもずっと、見続けてゆくということ。そして、多分、最後まで見届けるということ。
これはなかなか面白いかもしれない。
愛がないと出来ない。
ある意味、歌舞伎の見方に似ている。
まあ、二代目を襲名してくれる人はいないのだが。
堂本兄弟でどんなにお爺ちゃんキャラでいじられようと、実際皺々になろうと、仰々しい天使ギターで悦に入ろうと、へなへなな曲しか作れなくなろうと、髪が減ろうと、高音が出なくなろうと、CDもたくさん買うし、ライヴもたくさん行く。
大好きで大好きで泣きそう、と思える何かに10歳の頃に出会えてよかったと思う。
あの頃の私に、「きみの嗅覚は正しかったぞ」と、言ってやりたい。
好きになった頃、輝くばかりに美しいお兄さんだった彼は、ある時からおじさんになり、もはやお爺さんに差し掛かっているけれど、やっぱり今でも最高に可愛くてかっこいい。
と、たかみーちゃん本人にも言ってやりたい。
次は武道館だ。