【随神の道】ミコトとは?高次元と3次元を統合した縄文的生活〜古書から日本の歴史を学ぶ〜
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今回は神や天皇のことを表しているとされるミコトについてお話しさせていただきます。
ミコトとは、神霊の凝り成れるものという意味であり、漢字で言葉の意味を見ると霊凝止このようになります。
神がこの世で神命を行うために人間の姿と化して現れた神の現身(うつしみ)のことを言います。
人間界から見ればミコトは人ですが、神界から見ればミコトは神です。
これを分かりやすく使い分け、伝えてきたのが、古事記でいうイザナギ・イザナミ二柱についての記述です。
「上の件(かみのくだり)国常立神より下、イザナミノ神まで併せて神代七代ともうす」とあるようにここではイザナギ・イザナミ二柱は神界からみた場合で「神」となっていますが、次の条には
「ここに天つ神諸(もろもろ)の命をもちて、イザナギノ尊イザナミノ尊二柱の神にこの漂へる国をつくり固め成せ」とあり、これはイザナギ・イザナミ二柱が国土整成のために「尊」という人間の姿になって地上に現れたことを物語っています。
この他にも、スサノオノ命がネノカタスクニに追いやられる場面では
「ここにイザナギノ大御神大く怒(い)らして、しからば汝この国になすみそ」とあり、父であるイザナギノ尊はスサノオノ尊に対しかなり怒っていますが、これはスサノオノ尊がミコトとしての神命を自覚せずに人間の心のみを強調したのに対して父のイザナギノ尊は天つ神を代表して「大御神」という最高の御神格を持ってスサノオノ尊を叱責しています。
このように古事記では神界と人間界の視点でミコトを区別し使い分けをしています。ミコトの漢字は「命」という漢字に統一されています。日本書紀では基本的には人間界からの視点のみで物語られていてミコトの漢字は「尊」または「命」の2通りで表されており、どちらも神意に奉公する人ですがこのような不等式で使い分けされているようです→ 命<尊。
では記紀の種本とも称されるウエツフミはどうでしょうか、ウエツフミでは現身(うつしみ)である人間的表現としてはミコト、神霊的表現としてはカミという言葉を使っていて、さらにカミとミコトの格位に応じて最高位から最下位を三段階に分け、神代文字で表しています。
このように、ミコトは神霊の凝り成れるものという意味があって、人間の姿をした神意の奉公者をミコトと呼んでいました。
ホツマ風に言えば、ミは身、コは9トは10で、10は大宇宙であるアの世界、9は1〜8までの現実世界との境界のことでホツマではエナと表現しており、ミコトは大宇宙とその境界であるエナを身に宿した人だと見ることもできます。
エナとは子宮内で胎児を包む膜や胎盤のことを意味していて、カミとの交信が女性しかできなかった理由がここからもわかります。
そしてミコトが地上で生活する場所をミヤ8コ9と呼んだのも納得できます。
現代では大宇宙を表すトが脱落し、巫女という名前に変わって神霊に奉仕する女性のことを表しています。
古代は地上での生活と霊的な生活が全く別物ではなく統合されていた時代だということがわかります。縄文時代には一般庶民も祀り事などを通して神がいながらの生活や、神でありながらの生活を営んでいたため、争いの痕跡が未だ発見されておらず、こういった生活を後世になって「かんながらの道」と表現したのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考書籍
吾郷清彦著書「世界神学序論」「古史精伝ウエツフミ原文併記全訳 」
「日本建国史全訳」