【古史古伝】高天原を徹底比較〜古書から日本の歴史を学ぶ〜
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こんにちは、今回は高天原についてお話しさせて頂きます、よろしくお願いいたします。
古来より高天原の所在については天上説と地上説に別れており、天上説には本居宣長の虚空の天上説や、平田篤胤の北極紫微(しびきゅう)宮説、友清歓真の天津真北の上空説などがありますが、これらの詳しい説明はウィキペディアをご覧ください。
天上説と地上説の例外として高天原を宗教上の信仰として考察する一派もあります、この一派はみんなの心の中に高天原があるよと言っています。
今回ピックアップしたいのは 地上説の方で国内・国外の両派に分かれています。国内派としては近江・常陸・大和・日向・飛騨・富士など諸説あります。国外派は朝鮮半島・バビロニア・アナトリア高原などがあります。
天皇が住む都を高天原と呼ぶ皇都説もあります。
これまで様々な説が考古学者たちの中で論争されてきました。
では古史古伝や歴史書にはどのように高天原が登場するのでしょうか。
【古事記】
古事記では冒頭に「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神・・・云々」と続きますが、この高天原は天上界にあることがわかります。
次に根堅洲国(ねのかたすくに)の段や大国主神国避り(くにさり)の段に登場する高天原は地上寄りの親近感のある場所になっていきます。そして古事記の後半になると高天原を夜之食国(よるのおすくに)に対比する場所として書かれており、地上説になっていきます。3
【日本書紀】
日本書紀も古事記同様、前半は天上説で書かれていますが、段々と地上っぽく書かれるようになり、後半には「高天原を治らすべし」と言っているので、地上の高天原を統治したことがわかります。
【ウエツフミ】
ウエツフミの場合、高天原に関する叙述は多数見受けられます。記載されている順に見ていきます。
まず最初に登場するのが2巻で、このように書かれています。
〜イザナギ・イザナミノ尊御両神はオホコトオシヲギノ尊とオホコトオシヲミノ尊に言います、あなた方神はアマツコトトヰという高天原語を人々に教えるため国配(くにくま)りしなさい。〜
とあります。高天原語というのは英語・中国語・フランス語のように〜語の前が地名でないと意味が通りません。高天原は地名であり、イザナギ・イザナミの世代から高天原語を普及させたことから、ここで言う高天原語は当時の日本人からしたら外国語だということがわかります。イザナギ・イザナミの出身地の言語だとも言えます。
次に49巻古代天文学の記録の箇所に高天原が出てきます。
オモイカネノ尊・コヤネノ尊・フトダマノ尊の三柱の神が、豊地ガ原のナカツクニより参上し豊地ガ原は高天原に隣接する地域だと記載されています。
また、高天原の中で、カニツタカマハラ・ナカツタカマハラ・シマツタカマガハラの3つに分かれていることがウエツには記載されています。
シマツだけタカマハラではなくタカマガハラと呼ばれている点も気になるところですが、さらに興味深いのが天照大神はカニツタカマハラにあり。夜見照大神はシマツタカマガハラにあり。ツツノ神はナカツタカマハラにあり。という叙述です。ツツとは星のことです。
高天原の地域を3つの地区に分けている古文書はウエツフミだけです。
【ホツマツタヱ】
ホツマツタヱの場合、1巻に登場する高天原は、詩にまつわる男女関係の箇所に出てきます。
ワカヒメという女性からラブレターの詩をもらったアチヒコという男性が高天原に帰ってきました、中々返す詩が思い浮かばないので、カナサキノ尊に相談します。カナサキノ尊はこれは旋回歌(まわりうた)といって上から読んでも下から読んでも同じなので返すことが出来ません、と言います。結局求婚を断る詩が返せずワカヒメとアチヒコは結婚したというオチなのですが、この高天原に帰宅したアチヒコは豊葦原のナカツクニにも頻繁に出入りしており、ウエツフミ同様、高天原とナカツクニが隣接する地域として物語られています。
次に2巻の床酒の章を見ると「日高見国や、高天原に祀る御中主尊」と書かれており、ここから日高見国と高天原の関係性が見えます。日高見国とは、ホツマでは奥羽の仙台地方のことを指していて、この地方をタカミムスビノ尊が治めていました。
この5世後の尊が豊受神だとホツマでは伝えられています。日高見国を高天原と呼んだのは、この地域に天皇の住む都、皇都があったからではないでしょうか。
6巻には、高天原のある日高見国を豊受神(諱は玉気根)の子であるヤソキネノ尊が治めたこと、根の国細戈(ほそほこ)に政庁を置いたことなども記載されています。
【九鬼文書】
九鬼文書の場合、高天原を天皇が住む都、皇都として一貫して書かれています。
出雲高天原、飛騨高天原、高千穂高天原などの叙述があります。中でも柏原高天原は天孫降臨以来神武天皇に至るまでお宮があった聖地だとしています。
【竹内文書】
竹内文書の場合、1巻の宇宙創生の箇所に「地球公運活動ノ雛形ヲ造り、日高天原ニ無数ノ身光ノ星ト名付星産(なづけるほしうむ)」と書いてあります。
この日高天原は前後の叙述からみても可視できない天上説の方です。
同じく1巻の皇統第2代天皇の項に「天越根中日見日高見国(あめこしね なかひみひたかみのくに)・・・」と書かれている箇所がありますが、この天越根は飛騨の古名であり、当時の皇都であったことがわかります。つまり竹内文書での高天原は天上から地上に移ったと言えます。
【富士文書】
富士文書の場合、高天原は富士山を中心とする一帯を指しており、宮殿を建てた小室は高天原湖の東、と書かれており皇都説です。
そもそも富士文書では高天原世天神7代という時代があり、富士山を中心とする地域を皇都とした統治時代ということになっていて宇宙開闢(かいびゃく)より第3期に当たり、決して一般人の目に見えない神界などではありませんでした。そして第4期の豊アシ原世の時代には敵からの攻撃を防ぐ見地により、皇都を九州日向高千穂峰に遷します。本宮を切枝間山(きりしまやま)の西方、阿曽山に置き、切枝間山を神都と定め、富士山にあった旧高天原を天都と定めます。
ウエツ・竹内・九鬼の中に登場するウガヤ朝の歴代天皇は天都に上って即位し、九州に下って皇都を造っており、この風習は神武天皇がヤマト国橿原で即位したのを機に終わっています。16
富士文書には時代が過ぎ去るにつれ、天都との繋がりが段々と薄れていくことがよくわかります。欽明天皇の時代に暴風雨によって天照皇太神宮の古宮が破損しました。欽明天皇によって復興されたことの記録を最後に公式祭紀が途絶えました。
古史古伝ではありませんが、カタカムナで有名な楢崎皐月氏も「神名文化と始元の神道概説」という本の中で高天原について言及しておりますので引用してご紹介させていただきます。
「アマ・タカ・マカ・ハラは万物万象の元と次元関係のサトリを圧縮して表した4つの単語であり、色々な神名に用いられる単語である。潜態の無限界のアマに有限の宇宙球であるタマを結成し、このタマに内在する始元量をアマナといい、これから諸々の物象が分化し、この現象をマカという、宇宙球という有限界に分化した物象が始元量アマに還元する、この現象をハラといい時空世界のことを意味している。アマということは、物理量の元として考えられてきた時間量と空間量が未だ発現しない始元量であり、客観背後の潜態であり潜態の無限界という概念を神名で表現すればアマノミナカヌシである」
と書かれています。ちょっと何言ってるのかわからないと思いますが、カタカムナには一文字一文字に思念という言霊があり、一文字に意味が込められています。
吉野信子さんのカタカムナ48音思念表をお借りすると、タ=分れる カ=チカラ マ=受容・需要 ハ=引き合う ラ=場 となります。
思念読みで単語を上手く言葉に表現できないのですが、(もっと勉強します)とにかく高天原は言霊の史観で見ても、特別な場所を意味していると言えます。
いかがでしたか、高天原の場所は古史古伝を見れば詳しく書かれていますし、皇都説である程度の論争は収まる思います。
イザナミ・イザナギは天上界にいた人々ではありませんので、その頃の高天原天上説はかなり操作されていると考えております。イザナミ・イザナギは高天原が天上にあるなど一言も言っていませんし、おそらくイザナミ・イザナギの後に渡来してきた種族によって書き換えが行われたのだと思います。その種族というのは現代で日本語を喋っている私たちのことではないでしょうか。都合が悪いことや、意味がわからない言葉は全て宇宙のものにしてしまえば良いのです。そうして高天原もヤマト言葉も忘れ去られてしまうのかもしれません。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
参考にした書籍や史料も読んで見てくださいね。
📖この動画の参考史料📖
吾郷清彦著書「古史精伝ウエツフミ原文併記全訳 」
「九鬼神伝全書」「日本建国史全訳」「高天原論究」
「古事記以前の書」「日本超古代秘史史料」
吾郷清彦・鹿島曻著書「古史古伝体系」
国立図書館コレクション「上記」
吉村武彦著書「新版古代史の基礎知識」