【ウエツフミ】基礎知識編〜古書から日本の歴史を学ぶ〜
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こんにちは、今回はウエツフミの基礎知識についてお話しさせて頂きます、宜しくお願いいたします。
【ウエツフミ編纂】
ウエツフミは鎌倉幕府創設者、源頼朝の庶子(しょし:正妻ではない女性との子供)で、長男である大友能直が1223年に編纂したものです。
大友能直は1196年、西国総奉行という役職に就き、そこから23年間役職を務め、1219年に退職、ウエツフミ編纂のため豊後国大野郡にひっそりと暮らし始めます。
現役だった頃に学識のある部下7名と、実子の親秀に命じて日本全国から、戦乱のため散逸しつつあった古代史関係の古文書を収集させていました。それらを種本とし、退職から約4年でウエツフミを編纂し終えます。
【豊国新字と序文】
ウエツフミは全部で41巻から成り、文字は古代和字の一種である豊国新字を採用しています。当時の日本は当然漢文も入ってきていますし、仮名混じりの和文もありましたが、1巻から41巻全てを豊国新字で書き上げています。
ウエツフミの序文である「ウエツ文はしがき」にはウエツフミを書くにあたって底本とした3大古文書と、他12種の古文書の名前も記載してあります。
また、この序文で平清盛による焚書の件にも触れており、古代の日本史を危惧していた様子が伺えます。
【原本と幸松写本】
約23年間の古文書収集と、4年間に及ぶ編纂期間を経て完成したウエツフミですが、最初に発見・解読したのは1840年頃幸松葉枝尺(さきまつはえさか)氏という人物です。幸松氏によって写本されたものを「幸松写本」と言います。ウエツフミ原本は1873年大分県を襲った大洪水により流失の悲運に見舞われました。
その後、「幸松写本」を内藤平四郎氏が筆写し、その筆写本を安藤一馬氏が校正し、現代語訳に清書されたものが神代文字研究会から刊行されます。これが一般にウエツフミとして流通している書物です。
【宗像本と大友本】
大分県の洪水で流失した原本は、大友能直の重臣である宗像氏が豊後国大野郡で秘蔵していたものなので「宗像本」と言います。現在東京の国立公文書館に保管されています。
これに対し、大友宗家の分派である田北家も大分県北海部郡でウエツフミを秘蔵していました。この田北家は1850年ごろに旧姓の「大友」に改めたため、このウエツフミを「大友本」と言います。
宗像本が41巻だったのに対し大友本は48巻あります。これは研究の結果、叙述内容と史的範囲が一致しており、大友本がウエツフミの下書きであることが判明しています。
下書きである大友本の一部は現在大分県立大分図書館の地下室金庫に保管されているそうです。
【宮下文書に登場するウエツ】
宮下文書の弔旦にこのような記述があります源頼朝が富士の浅間神社に参拝したとき、宮下家の宮司に勧められ、修史のために3人の武士をシルクロードに派遣したこと、この人々は12年かかってヨーロッパまで行ったこと、そして帰ってから大友能直の元でウエツフミを作った。と記載されています。
【ウエツフミの内容】
ではウエツフミにはどのようなことが書かれているのでしょか、細かい内容は別に動画を作りますが、大まかにざっとご紹介します。
ウガヤ朝73代の記録
神人の活動と系譜
神武朝以前の純神道的社会
年始の祭典と毎月の門代
秘言・宣言(のりと)
数学・物理・化学・天文学・生活科学
鉱工技術
医療と健康法
土木・建築の技術
心霊記録・霊魂について
などが記述されています。
以上でウエツフミの基礎知識は終わりです。参考史料は下記をご覧ください。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
参考史料
吾郷清彦・鹿島曻著書「古史古伝体系」
佐治芳彦・吾郷清彦著書「日本列島史抹消の謎」
吾郷清彦著書「日本超古代秘史史料」「古事記以前の書」
国立図書館コレクション「上記」
吉村武彦著書「新版古代史の基礎知識」