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熊野三山のこと③
熊野三山と関係の深い社寺について調べてみました。
今回は熊野速玉大社に関連のある神社として、神倉神社と花窟神社を見ていきます。
どちらも巨大な岩を御神体として祀っているのが特徴です。
神倉神社は男性神、花窟神社は女性神を祭神としているため、両者を対とみなす考えもあります。
神倉神社(かみくらじんじゃ)
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神倉神社は熊野速玉大社の摂社です。
源頼朝寄進と伝わる538段の急な石段を登りきると、御神体のゴトビキ岩が見えてきます。
この磐座の袂からは弥生時代の銅鐸などが出土しており、古くから崇め奉られていたことがわかっています。
『日本書紀』※2には、神武天皇は東征の折に「熊野神邑(みわのむら)」に至り、「天磐盾(あまのいわたて)」に登ったと記されています。
この「天磐盾」は神倉神社のある神倉山と考えられています。
また熊野の神々が熊野で最初に降臨したのも、この神倉神社の地とされています。※3
御祭神 高倉下命の物語
祭神の高倉下命は、天磐盾に登った後も東征の旅を続けていた神武天皇の窮地を救った神様です。
『日本書紀』※4によると、毒気に当てられて神武天皇一行が倒れ伏していたところ、「熊野高倉下」が天からもたらされた剣を献上し、たちまち一行は目を覚ましたそうだです。
剣を手に入れる前、高倉下は夢でお告げを受けました。
高倉下は、夢の中で天照大神と武甕雷神(たけみかづち)の会話を聞きます。
そして、天照大神から葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するように言われた武甕雷神は、高倉下に「韴靈(ふつのみたま)」という剣を落とすから天孫に渡すようにと告げます。
目を覚ますと、夢の通りに剣があったのでした。
花窟神社(はなのいわやじんじゃ)
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新宮へと向かう伊勢路の途中にある神社で、目と鼻の先には熊野灘が広がります。
花の窟の隣には高さ12mほどの王子ノ窟(おうじのいわや)という岩があります。
こちらには軻遇突智尊の神霊を祀っています。
御祭神 伊弉冉尊の物語
花窟神社は日本最古の神社のひとつとされています。
その根拠とされるのが『日本書紀』の記述です。
『日本書紀』※5によると、火の神・軻遇突智尊を産んで、その産褥熱が原因で亡くなった伊弉冉尊は「紀伊國熊野之有馬村」に葬られたと記されています。
その土地の人々は伊弉冉尊の御魂に花を供え、鼓・笛・幡旗を使って歌や舞を捧げて祀りました。
花窟神社は伊弉冉尊が葬られた地と考えられており、高さ45m程の石の巌は伊弉冉尊の御座所とされています。