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熊野三山のこと①
熊野の中心的な存在、本宮・新宮・那智から構成される熊野三山について調べてみました。
熊野本宮大社(本宮)
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本宮はかつて熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)と呼ばれていました。
熊野におわす神様の社って感じですかね。
創建はもはや伝説の域ですが…崇神(すじん)天皇の治世あるいは紀元前33年と言われています。
いくつかの古文書に創建についての記述があります。※2
明治時代までは熊野川・音無川・岩田川の合流する中州に鎮座していました。
でも明治22(1889)年の水害により社殿の多くが流されて、やむなく現在地に遷座しました。
旧社地は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれています。
熊野速玉大社(新宮)
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延喜式には熊野早玉神社の名で登場します。
本宮同様これまた伝説の域を出ませんが、創建は128年とされています。
これは『水鏡』(鎌倉初期成立)の記述を根拠としています。
ただ『歴代編年集成』(南北朝期)では景行天皇20年、つまり西暦70年の創建とされています。※3
現在地は三重県との県境を流れる熊野川の南岸近くに位置しています。
でも熊野の神々が当初降り立った熊野の地は、現在の神倉(かみくら)神社とされています。※4
神倉神社は熊野速玉大社の摂社です。
熊野早玉神社の名が登場する延喜式の成立は927年です。
984年成立の三宝絵では「新宮」と称されているので、遅くとも10世紀までには現在地に鎮座していたということでしょうか。※5
熊野那智大社(那智)
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創建されたのは、仁徳天皇の治世とされています。
社伝によると、那智大社の起源は神武天皇東征の時代までさかのぼるとされています。※6
那智山の東の光ヶ峯に神光が現れて天皇を助け、那智の大滝の底に鎮まりました。
天皇は神恩に感謝し滝本にその神を祀りました。
その後、仁徳天皇5年に現在地へと遷座したとあります。
ただ中世に滝本付近から遷座したという説もあるようで、那智が熊野三山の一山として登場するのも平安後期のこととされています。※7
那智の信仰は、本宮・新宮とは違って少しややこしいです。
というのも、那智には重要な神様がニ柱存在するからです。
那智大社の主祭神・熊野夫須美大神と、別宮・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)です。
飛瀧神社は那智の大滝を御神体とする神社で、那智の大滝は那智信仰の根幹といえます。
現在は那智の大滝の神様を大己貴命としていますがこれは後付けで、以前は「飛瀧神」や「飛瀧権現」と呼ばれていました。