頑張った先には何もなかった
「今は勉強頑張れば、良い大学に入れるから…」
「我慢して仕事に耐えていれば、将来良いことあるから…」
いつもと行き先の違う電車に乗りながら、ふと昔母親に言われていた言葉を思い出した。確かにその時はありがたかったし、背中を押されると出来ないながらもただ真面目に頑張り続けた気がする。
確かに親の期待を感じていると、中途半端に裏切れないという気持ちもあって変な「頑張んなきゃ縛り」に陥ってしまったりもする…
そして、頑張った先には「希望」の2文字があるんだろうって思いながら努力を続けるんだけど、かなりの確率で「絶望」が待っている。
だって、だんだんその界隈のスゴイ人たちが目に入るようになって来るから「えー、敵わない。ムリ…」ってなっちゃう。
そうなると「やっぱ自分には才能がない」ってなって最初から負け試合を挑んでいるような気持ちになる。本当はそういうスゴイ人たちとやりあえるだけでも十分レベルアップしている気もするけれど、最終的には「あの時頑張ったな」くらいの経験値が記憶として残っているに過ぎない。
そして…
いつも仕事と何かを天秤にかけ、結局は仕事を選び続けてきてしまった。てっきり努力と得られる成果を天秤にかけてきたつもりが、「縛り」の安定感と「自由」の恐怖を比べて常に踏み出せない安定を手にしていただけだった。
おそらく人生の折り返しを感じた時、頑張った先には何があるのか分からなくなってきた気がする。だから、一所懸命自分探しの旅を始めて、本当の自分の居場所がどこにあるのか探し回ってみたけど、何処にもそんな都合の良いものは無かった。
結局は、頑張った先には何も無かったのである。いや、正確には「頑張るために頑張っていた」だけなので、その先には何も無いのは当然のような気がする。
たぶん、僕はこれまで頑張った見返りとして意識しなくても「幸せ」を求めていたような気がするから、どこかで何かを掛け違えてしまって、いつまで経っても幸せからどんどん離れていってしまった気がする。
きっと母親は何の見返りも求めずに、僕に頑張れと言い続けていたのだろう。そうやって僕に愛情をもって接することで幸せを享受していたのだと思う。
たぶん、今度は僕がみんなに「頑張れ!」っていう番なのかな。そして、きっと一人でも頑張った末の幸せを感じてくれる人が増えてくれるといいな。
もしかしたら「頑張れ」っていうために、この言葉があるのかもしれない。
みんな、ガンバレ!
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。