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気怠い土曜の朝
あと5分…
せめてあと3分…
寝かせてほしい…
迫りくる次女お稽古の送り時間。
昨晩は一滴もお酒を飲んでないはずなのに
ガンガンと頭の奥で鳴り響くような頭痛。
んもうっ、頭痛のバカ。
この頭痛に関係ない次女や
まして、お稽古の先生に迷惑をかけることはできない。
なまりのような身体をベットから
引き摺り下ろし、出かける準備を始めた。
なんでこんなことに…?
いうまでもない、
昨晩、色々ありすぎて酒こそ飲んでいないものの三時半就寝だったからに決まっている。
昨夜、情けないことに、
アラフォーになってまで小一時間両親と真剣にバトッてしまったのだ。(しかも子ども三人の前で…)涙が出る寸前で、ハッと我に返り、実家から帰宅後、友だちとオンライン飲み会する約束してたことを思い出した。
オンライン飲み会もわたしのせいで、スタートが完全に大幅に遅れ、平謝り。情けないやら、悲しいやらで少しもアルコールに浸る気になれず、飲み会の飲み物は麦茶になった。飲み会自体は、わたしの知らない奥の深い世界を垣間見ることができて本当に有意義だった。
問題は両親とのバトルである。
両親の、30年前からの変わらない価値観にうんざり嫌気がさして、いつもは適当にスルーしていることを昨晩はなぜか流しきれず、それどころか、がっぷりおつでブチ切れてしまった。両親も、突然私がぶちぎれたもんだから、なんでそんなに怒ってるの?的な雰囲気にまた腹が立って、あんたらがスイッチ押したんだろうが!クソ田舎の老害が!みたいなニュアンスで吐き捨ててしまった。
って言ったつもりだけど、
基本、子どもたちの面倒(物理的にも金銭的にも)見てもらったりしてて、私は常に弱腰なので、そこまでの強い言葉ではなかったかもしれない。
わたしの子どもの教育方針に口出されたのがたまらなく嫌で、ぶち切れたんだけど、もう、昔の記憶やら、トラウマとまではいかないけど、辛かったことや、価値観に支配されていたことが全部フラッシュバックしてきて、収拾がつかなくなってしまったのだ。
私は、親に歯向かわない、いわゆるいい子だった。勉強も運動もそれなり。頑張ればいいことあるってずっと言われ続けて。頑張り続けてもゴールが見えない、頑張らなきゃ、でもゴールがない、でもそれも自分のせいで、最高のゴールができない、私は不良品。
今流行りの?いわゆる自己肯定感のとてつもなく低い人です。人に評価されないと、不安になる人です。(結婚してから、10年以上、夫と未だにそんなことで揉めてる。)
そんな不良品を育てた親の言うことなんて聞けるかよ!
え?これって反抗期?
今更恥ずかしいほどの反抗期がやってきた。
三人の子どもそっちのけで
なんだかいつまでも噛み合わない私と両親のバトルが続いた。結局なんの妥協点も、着地点もないまま、時間に追われるように帰宅した。
子どもには、
頑張ってる姿はすごく素敵。
でも嫌いなことは頑張れなくても大丈夫だし、
記憶力のいい生徒たちがたくさんいる学校
(いわゆる進学校と呼ばれる学校。)
に行くことだけが
正解じゃない。
どこに行くか、
より、
何をするかの方が大事。
って伝えたいんだけど。
完全に反面教師。
わたしの無い物ねだり。
それって親の世代からしたら、
ただ甘やかして、今、なにも努力していないように見えるんだろうな。かわいい、お孫の素晴らしい才能を私たち、親が、引き出す努力をしてないように見えるんだろうな。
30年前とあいも変わらず
高学歴=幸せな人生
みたいな考えに辟易する。
人生、それだけじゃない。
期待されてるのか
プレッシャーかけられてるのか
よく分からないけど、
とにかく嫌んなっちゃう。
そんなことが今日一日中頭をぐるぐる巡り、
消化しきれず、今に至ります。
もうしばらくはその話を向こうもこっちも話題にしないだろうし、平行線のまま、お互い分かり合えないで、親は死ぬかもしれない。そうかもしれないけど、最後は自信を持って、子どもたちが、立派な大人に育ってくれた、と言えるよう、頑張ろうと思った。
え?結局頑張るんですか?私。
約40年の思考癖はこれまた頑丈でちょっとやそっとでは揺るぎないことのようです。その礎を今、子どもたちと築いていると思うと、果てしなく、恐ろしい。楽しいことでもあるけれど。
今日はそんな気怠い土曜だった。
今日は早く寝ようと思ったのに、
もう一時じゃん。
明日は…
朝寝坊しよう。
おやすみなさい。