タイトル未定(第3席〜第7席)

私が落語を観に行こうと思ったきっかけも、しょうもない。おそろしく。

東北のお客様先に出張した私は、いつものように、関係者とお酒を飲みに行った。
本当は早く帰りたいのに。飲みに行くのを断れなかった。
断っても彼らはいいよ〜と言って、皆で楽しく飲みに行くことはわかっていた。

だからこそ、行かないわけには行かなかった。

居なくても大丈夫な存在だと、思われたくなかった。
必要とされたかった。ホステス代わりの扱いでも。
私がいる意味を与えて欲しかった。
束の間でも、道化師でも、自分が溶け込めている、必要な存在だと思われていると、思いたかった。

飲み会で私は、いつものように都合のいいことを言った。本心は言えないから、他の人の借り物の言葉を話すしかなかった。
「私、落語に興味があるんですよ〜」
「浅草だっけ?の演芸場には行ったことがあるよ。良かったよ。

でもさ、いつも口だけだよね。

どうせ行かないんでしょ?」

泣いたらダメだ。笑え。
私は、私の気持ちをゴミ箱にかなぐり捨てた。

「あはは〜そんなことないですよ〜」

私が私自身を大切にしないと誰も大切になんてしてくれないのに。
私の中の小さな私は、どんなに傷だらけにされて、ボロボロに扱われて、"私"が目を合わせてくれなくても、たったひとり"私"に好かれようとずっと、必死に私を見ていた。
一生懸命なその姿に、私は気付かなかった。

"学生までは消費する生活、楽しいのが当たり前。社会人は生産する生活、傷つくのが当たり前。"

その当時の私の心は大量の矢が刺さっていて、常に血が流れている状態だった。いっそ血が流れているのが気持ちいい!という状態だった。狂っていた。
血を流さない私は努力していないと思っていた。
努力していない私なんて、要らない。
私は頑張って変わって、一人前にならなければ、いけない。

もともと傷つくことは嫌だった。
だけど、傷つけられるのは嫌だと泣いていては、仕事を進められなかった。
周りに溶け込めなかった。異質のまま存在し続けることは怖かった。
だから迎合したのだ。身を守るために。

一方では身を削り、自分をないがしろにし、傷つく身体を差し出した。笑ってもらうために。

生きるすべだったのだ。生きるためには、自分の一部を殺さなければならない。
それのどこが特殊なことだろうか。みんなやっていることだよと納得する一方で、傷ついている自分を、みんなと一緒だと思えない自分がいた。
この傷口が他のみんなと同じ、特別なものではない、とどうしても思えなかったのだ。

その時はただ生きていくことに必死だった。
冷静に考えないようにしていた。
現実を見ないように、息継ぎをしないように、意志を持たないようにしていた。

意志を持てなくなった理由は、きっと人から逃げだと言われるだろう。
『それは弱いお前の責任だ』
だから、言わない。言えない。
もう、これ以上、傷つきたくない。
もう、充分なんだ。
ただ、そっと生きていくことだけしか望んでいないのに。


私は落語会に行くことにした。
いろんな理由はあった。ただ、もう、嘘つきと言われるのはごめんだった。

自分の望みでいくのか、人に言い訳するためにいくのか、分からなかった。

行くことに決めたのも、立川談志の弟子の興行だった。これなら、他の人にどこに言ったの?と聞かれても大丈夫だと思った。最初の落語会に相応しいと思った。
自分で決めたようで、すべて他人軸だった。

他に生き方を知らなかった。
自分の望む通りに生きたいのは自分なのに、私が何をして何をしたいか、全て分からなくなっていた。

ただ、失敗せず、後悔しない生き方をしたかった。

本当は自分の、決めた信念を貫きたかった。
信念も私を愛してくれるなら。

会社に文句言って、会社のパソコンで調べて落語を見に行くことにした。

きっと私に価値を認めてくれるのは会社だけだった。そんな会社を、信頼してくれる上司を嫌うことで、自分は優位に立った気になっていた。

好いてくれるものでも不要であれば切り捨てる、そんな、かっこいい大人になりたかった。

そして、決戦の土曜日。

私は通路側に席を取った。いつでも逃げれるように。誰にも迷惑をかけないように。

太鼓と笛がうるさく、鳴り響いた。

私を試すように。

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