イマここに生きる!オーガニックオーダー、暦のお話 〈処暑・初候「綿柎開(わたのはなしべひらく)〉
二十四節氣 第十四候 処暑
2020年8月23日~9月7日
七十二候 第四十候 処暑 初候 「綿柎開(わたの はなしべ ひらく)」
2020年8月23日~27日
『処暑』とは「穀物の収穫も近くなり、台風も多くなる頃」と言われます。
実際に本日23日、台風8号が久米島に接近、広く東北地方にまで天候の注意呼びかけられました。
被害が無いことを心より祈っています。
私が居る地域では、久しぶり雨が振りました。
突如雨脚が強くなることも踏まえ、警戒するよう呼びかけられていましたので、川上の滝を訪ねる予定でしたが断腸の想いで延期致しました。
降ったりやんだり、美しい三日月を西の空に見ることができ、ほっとしたのも束の間、土砂降りと大風。なんとか落ち着いて欲しいものです。
2日ほど前に峠のほうまでお水を汲み頂きに上がりました。
道すがら、田んぼの稲穂が美しく色づく風景をいくつも見ることができて、幸せな気持ちになりました。今日の天候で何の被害も出ていないと願っています。
農家さんのご苦労が結実し、もうすぐ収穫なのだと思うと、ますます感慨深く、美しい眺めに感じました。そしてやはり、この土地のお米はとっても美味しいので、そういう嬉しさももちろん(笑)
別の場所に住む農家さんが、今週はお米の収穫だとSNSに書かれておられました。
日中はまだまだ酷暑と言えますが、朝晩は涼しさや、さわやかさも感じられるようになりました。虫たちや植生、日の出日の入りの時間の変化など、目に映る景色も変化してきて、季節が巡っていることを体感しています。
例年にも増して異常気象と言われる今年ですが、2日ほど前は、台風だけではなく竜巻注意報もいくつかの場所ででているとのことでした。被害が出ないことをいつも祈っています。
七十二候の「綿柎開(わたの はなしべ ひらく)」
とは、「綿を包む顎(がく)が開く頃」という意。
はなしべが開くと中からふわふわの綿花(めんか)が姿を現わします。
これは今のわたしには心躍る景色をあらわしています。
これについては長くなるので後日また。
そういえば綿のこと、あまり知らない
綿はアオイ科の植物なのだそう。
日本では気候の関係で越冬が難しいため、園芸では一年草扱いなのだそうです。
確かに、インドやアフリカなど、気候が暖かな国で栽培しているイメージですね。
日本では愛知県知多の知多綿が有名だなと思います。たしかに寒い地方ではないですが、南国とまではいきません。
土地の方の代々の努力と工夫が実られているということなのではないかなと思います。また機会を見つけて調べてみたいなと思います。
モフモフは花じゃない!
開花は7月~9月。まさに、今真っただ中!というわけですね。
でもなんと、綿花とはいいますが、あのモフは花ではありません。
お花は、
アメリカ産は全体がクリーム色、
日本産は中央が小豆色をしていて、
アオイ科らしいお花のかたちをしています。
(他のアジア産のものは色はどうなのでしょうね。)
どちらも、翌日ピンク色になって萎んでしまうそう。
お花のいのち、一瞬ですね。
その後、有名な綿花の登場!
モフモフのあれは種のお布団なのでした。
種のお布団を、私達は分けてもらってるのですね!
花が落ちる➤子房がふくらむ➤緑色の固い実がどんどん大きくなる➤はじける➤有名なあれ!中からモフモフが登場。
という順。
実の中は、実は小部屋に分かれています。
密生する綿毛に包まれて、種子が数個ずつ入っているのです。
綿実油もここから採れるというわけです。
どこが何になるの?
●長く伸びた綿毛の繊維➤「リント」
布・化粧コットン・不織布などに
●種子にくっついた地毛➤「リンター」
レーヨンなどの原料
※超簡単に言うと、レーヨンは絹に似せて作った人工素材で、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)などのアルカリと二硫化炭素に溶かして、酸の中で紡績したもの。化繊と類されていますが、その元は綿の繊維だったのですね。
生の綿毛は水の入った管状で、乾燥すると特有の「よじれ」ができる
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それが絡み合ってつながり、長い糸となる
ということでした。
綿花の収穫は、11月〜12月の晴れた日が定例だそうです。
収穫時期とワタのイメージがリンクするようです。
あたたかいものが恋しくなる時期ですものね。
ちなみに、
1本の木から採れる綿花の量はどのくらいでしょう?
⇩
答え・両手一杯分
大人のTシャツ1枚分には、60個くらいの綿花が必要と言われています。
綿は、私達日本に住む者にとってはとても身近で、子どもの頃からいつもそばにいてくれたイメージ。
こうして知ると、もっと丁寧に使いたくなるものですね。
日本と綿
日本の綿栽培は平安時代、三河国に漂着したインド系の青年が種子を持ち込んだのが始まりといわれているそう。
栽培するも、なんと1年で失敗…。
その後何度も種子の導入・栽培を試みたようですが成功した事例の記録はみられないそうです。
16世紀頃に定着するようなので、それまで地道に試されていたのでしょうか。氣になります。
昔の綿は高級なアレのこと
綿は最初から今でいうコットンのことではありませんでした。
古代や中世でいう『綿』は、絹でできた真綿を指しているのです。
朝鮮から輸入されていたコットンは『輸入文綿(もんめん)』と呼ばれ、分けられていました。
最初は珍重され、一般の者にいきわたるようなものではなかったようです。15世紀室町時代、「安置した宝剣や鎧の四方を囲う幕」に用いられていたことをみても、どれほど特別か感じられますね。
16世紀になって栽培が定着すると、コットンは急速に全国に普及します。
江戸時代には分業化が進み、寒冷で栽培はできなくても、優れた綿織物の産地となりました。
しかし、他の手仕事と同様、明治の産業革命により、手紡ぎで高価な日本在来綿は廃れていきます。
現在はほとんどを輸入に頼っているとのことでした。
安価に手に入れられるようになったのはこのためですが、同時に歪みも生み出していると言われるようになりました。
安価なものは大切に使えないという潮流も残念ながら生み出してしまった事実もあります。
様々なことが明らかになりつつある今、何が環境と人類にとってベストなのか? 個々に考えを持ち、最善を打ち出していくことが必要な時ではないでしょうか。
今、オーガニックな考え方や丁寧な手仕事にあらためて注目が集まっています。このムーヴメントがしっかりと根付いて、文化として技術や知恵が守られていくことを願います。
日本の綿産業は縮小したと言われていますが、先程の知多綿は憧れている方も多いかと思います。(わたしも)
自国の産業を守ってくださった方々に感謝しながら、知り、大切にしていきたいものだと思います。
同じように考えられておられる様々な世代の方々とも少しづつ繋がりが増え、サスティナブルな選択をして未来に繋がっていけるよう願ってやみません。
2020年8月23日
(参考資料 tenki.com他 ありがとうございます)