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終わらない脂肪遊戯。

 現在の殆どSF的とも云える状況下、運動不足やストレスから肥満に悩むひとが増えているそうな。不要不急の外出を控えているひとばかりではないと思うが、どちらにしても現代人は運動不足であり、日本人はこのような事態に陥る前からダイエットに狂奔していた。

 東ニ痩セル薬ガアレバ
 行ッテ手ニ入レタイト思ヒ
 西ニ太ラヌ食事ガアレバ
 行ッテソノ作リ方ヲ覚エ
 南ニ痩せ衰エタ人ガアレバ
 ドウヤッタノカト調ベ尽クシ
 北ニ止メル人ガアレバ
 ツマラナイコトヲ云フナト背ヲ背ムケル

 そんなひとにはなりたくなかろう。
 が、大半の女性は概ねこのような意識を持っているように見受けられる。旨いものを喰いたいという慾求や情報は切りがないほど溢れているが、痩せたいという願望や情報も、うんざりするほど溢れかえっている。
 わたしが幾分かダイエット情報に詳しいのは、便秘に悩んでいる為、腸活について調べるからである。腸内環境改善のことを紹介する記事の殆どが、引いてはダイエットに繋がるといった内容になっている(専門医が書いているものは違うが)。
 一億総ダイエット化、と云われて久しいが、ダイエットという言葉は突き詰めれば「生きる為に喰うこと、適正体重にする為の運動、及び食事制限」を指すのだ。つまり、体重を増やすこともダイエットであり、適正体重から更に減量する場合だと、厳密にはダイエットとは云えない。
 痩せたいひとからすると、標準体重は重いと感じられるようだ。慥かに、一六〇センチで五十六キロと云われたら、太っているような気がする。痩せている体重を簡単に算出するには身長から110引く、と昔聞いたことがある。今ではこれでも少し重いと感じるひとが居るだろう。
 痩せたいけどなかなか難しい、と思っているひとは、本当に健康を害するほど肥満しているならば、心身ともに健康である。それが普通だ。問題なのは、痩せているのに(もっと)痩せたいと思って、それを実行しているひとである。
 所謂、摂食障碍なのだが、この病は医療機関に掛かっても治らない場合が多い。そもそも本人は何処も悪いと思っていないので、自発的に病院の門を叩くことはしない。身近な者が通院を促しても、治療されることすら拒んでしまう場合が多い。
 何故なら痩せていることが生きるすべてなので、「病気」が治癒したら太ってしまうと思うからだ。太ったら生きていけないとまで思い詰めているのだ。
 以前、異常に痩せたがるひとのブログを見たことがあるが、彼女は毎日、己れの窶れた写真を掲載し、三十五、六キロでまだまだ太っている、目標は二十キロ台、と書かれているのを読み、これはもう、救いようがないと思った。実際、二十代の頃に二次障碍で入院した時、同じ病棟に拒食症患者が居たが、一日中、病院の階段を上がったり降りたりして、体重が増えないので帰宅許可が下りなかった。
 イオンの専門店で働いていた頃、吃驚するくらい太ったひとをよく見掛けたけれども、一度だけ、鶏ガラのように痩せ細った女性が店の前を通り過ぎたことがあった。他の通行人も振り返って見るほどなのだが、その女性はタンクトップにホットパンツ、素足にサンダル姿で、己れの体を誇るように闊歩していた。
 自己認識が狂っているのだろう。そのひとにとっては苦労の末に手に入れた完璧な姿かも知れないが、普通の感覚からすれば病み上がりか闘病中のひとにしか思えない。歩き廻って大丈夫なのかと心配になるほどだった。
 摂食障碍(拒食症)の患者は、醜形恐怖を伴っていることが多い。太っている(と思い込んでいる)自分は醜い、こんな醜い自分をわたしは許せない、と、引き篭もったり、自己や他者へ攻撃的になる。
 何故、治療が困難かというと、本人の意思が揺るぎないからである。誰が何を云おうと耳を貸さない。そのひとの為を思って常識的なこと、当人にとっては苦言を呈しても、親切なひとどころか悪の手先であると思うのだ。
 簡単に云えば手に負えないほどの自意識過剰で、もっと痩せたいと病的な努力をしているひとに、「不健康だから止めた方がいい」「もう充分痩せているじゃないか」などと助言したところで、痩せてるわたしに嫉妬している、自分が太っているから僻んでいる、と思われるだけで、無意味極まりないのだ。
 小学生女子が書店でダイエット特集の雑誌を手に取って、熱心に読んでいるのを見た時は、背筋に寒いものが走った。しかもその隣には母親が居て、娘と一緒に記事を眺めているのだ。親が子供の幼いうちから大人のような恰好をさせ、自分と同じ感覚を植えつけてしまった弊害であろう。
 思春期どころか体を形成する最も大切な時期にダイエットをしたらどうなるか、考えなくても判りそうなものだが、先のことなど考えていないからこそ、過剰な制限を己れに課すのだろう。
 齢を取ったら判る筈だ。腰や脚が曲がり、歩行器や手押し車がないと歩けなくなる。寝返りを打っただけで骨折する。自分の歯が減り、人工の歯が増えてゆく。髪が抜け落ちる。
 齢を取らなくても栄養不足で全身倦怠、糖分の不足で脳の働きが低下し、作業効率が悪くなる。学生ならば成績は落ちるだろうし、社会人なら仕事の上で認められる可能性は低くなる筈だ。
 そもそも痩せ衰えたら、醜さを恐れる彼女らが一番悍ましいと思うものが己れの身に現れる。
 それは皺だ。額、目元、頬、口元、首筋。若くて、ピチピチ張り詰めていた時には異性を引きつけていた部分が、必要以上に痩せ細ってしまったが為に、年を重ねる前に衰え醜く弛んでしまうのだ。
 それでも尚、精神を病んだ者たちは体を痛めつけてまでも痩せようとする。
 もしかしたら醜形恐怖のひとは、まだ十代のうちに老いてゆくことそのものへ嫌悪を感じ、それを拒否し、回避してしまうのかも知れない。
 しかし、老いること、肉体の変化を忌避するその感情は死と直結している。なんと恐ろしい病なのだろう。

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