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美しい映画。

『ネル』
 主演であるジョディ・フォスターが設立した「エッグ・ピクチャー」(現在はもうない)の第一作。舞台劇だったこの作品に惚れ込んだジョディ・フォスターが、自ら製作し、映画化した作品である。
 好ましすぎて、もう何度も観ている。

 山の中で隠遁生活を送っていた老女が死に、麓からいつものように食料品などを届けにきた青年がその遺体を見つけ、誰にも知られていなかった娘の存在が明らかになる。 老女はひとと会わずに済むように、この町からの届けものすら、外に置くようにし、石で重しをした蝦蟇口に金を入れて支払いをしていた。
 残された娘(ジョディー・フォスター自らが演じている)を裁判で施設に引き取るか何うかが争われるが、彼女の擁護に立った医師の意見を取り入れ、三ヶ月間の猶予が与えられる。
 娘は死んだ双子の妹と作り上げた言葉を喋り、なかなか意思の疎通が図れないが、リーアム・ニーソン演ずる医師の相手を尊重した触れ合いで、ネルと謂う名の娘は彼を「ガーインジャ(ガーディアン・エンジェル)」守護天使と呼ぶまでに、心を開く。
 まるで森の精霊のようなネル。ジョディー・フォスターは蓮っ葉な役が多いので、こんな無垢な表情が出来るとは思わなかった。湖の畔に建つ、襤褸い山小屋のスクリーンドア越しの彼女の表情は、安らかで、美しい。
 無垢で、何にも汚されていない彼女に触れたひとは、我知らずに癒されてゆく。
 パニック障碍を病む保安官の奥さんも、彼女と接して笑みを浮かべる。彼女を性的玩弄物にしようとしていた糞ったれ配達青年とその糞ったれ仲間たちも、子供のような彼女の反応に、ただ、立ち尽くすしかなかった。

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 ジョディー・フォスターについて少し。

 所謂ステージママに育てられた(母子家庭の所為なのか、子供全員を芸能界へ入れようとしていた)彼女の最初の仕事は、慥か「コパトーン」のコマーシャルだった。赤ん坊の時の仕事である。物心もへったくれもない。
 その後、順調にキャリアを重ねてゆくが、肌を晒すような場面では、姉がボディ・ダブル(代役)を勤めていたと謂う。
 そのことを知って、なんちゅう母親だ、と思った。金を稼ぐ妹の方は大事な商品なので肌を出すことなど有り得なくて、もの(金)にならなかった姉の肌を晒すことには抵抗がないとは、何う謂う神経をしているのだろう。
 ジョディー・フォスターが少女の娼婦役で出演した『タクシー・ドライバー』を観て、勝手に「啓示を受けた」と思い込んだジョン・ヒンクリーが、レーガン大統領暗殺を企てたことに大きな衝撃を受けた彼女は、映画界から遠ざかり、イエール大学へ通うことになる。
 映画界へ完全に復帰したのは、ジョン・アーヴィング原作の『ホテル・ニューハンプシャー』だった。この映画で強姦されるシーンがあるのだが、裸になる場面の撮影を彼女の側から断られ、大きな樹の根っこの向こうでことが行われる、と謂う展開になった。
 この映画の撮影の際、まだショックを引き摺っていた彼女が仕事を終えて帰ってゆくのを見た監督が、「小さな疵ついた少女がとぼとぼ帰ってゆくようで、痛々しかった」と語っていたような記憶がある。
 実際、彼女はアメリカ人にしては背が低い。『ネル』でも、リーアム・ニーソンがかなり背が高い為に、よけいと小さく、儚く見えた。
 その後主演した『告発の行方』では、ヌードも厭わず公衆の面前で輪姦される女性の役を、凄まじいまでの気迫で演じている。この場面の撮影で、彼女は泣き喚き過ぎて目の血管が切れたそうだ。その後のスチール写真や映画を観ると、その切れた血管が治癒しないらしく、白目に赤い点となって残っているのが判る。

 同性愛者と噂されて永きになるが、本人が正式に発表した訳ではない。
 外国では何うなのかよく知らないが、日本では男性同性愛者を擁護する傾向にある。テレビなどでもそう謂った方々を、普通に見掛ける(此処数年、わたし個人としてはテレビを見ていないが)。しかし、何故か女性の同性愛者は排除される。その顕著な例が、相良直美だろう。最近、本人がインタヴューに答えているのを読んだが、あれは当時売り出そうとしていた女性からマスコミの目を逸らす為の、所謂「人身御供」だったそうな。

 なんだか『ネル』の話から随分逸れてしまったけれども、この映画は映像も美しく、「強い女」ジョディ・フォスターの違う一面も見られる、お勧めの作品であります。

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