【小説】醜いあひるの子 9話
12月25日。本日はクリスマス。
サンタのコスプレをした店員や、お洒落して男性の腕にしがみ付き微笑んでいる女性。
恋人を待っているのかスマホの画面を気にしている男性。
クリスマスプレゼントを買ってもらって燥ぐ子ども達。
たくさんの人・人・人に酔いそうになりながらも、智風はショッピングモールを歩いていた。
「智風ちゃん、私は孫のプレゼントを買いに行ってくるからその間に買いに行っておいで。1時間後にそこの喫茶店で待ち合わせでいい?」
「はい、大丈夫です。では、1時間後に」
智風は大家に頭を下げ、軽く手を振った。
朝、ゴミ出しをした時に丁度一緒になり、その時、大型ショッピングモールに行く話をすると、大家も『孫のクリスマスプレゼントを買いに行くつもりだから一緒に行こう』と誘ってくれたのだが、アパートを出る際、服装から髪型、全部ダメ出し。
そして、大家の娘さんが置いて行った服でコーディネートされ、前髪も上げられ、更にはコンタクトレンズをつけるように指示された。
コンタクトレンズ等、買ってから一度もつけた事が無く、つけるまでにかなりの時間を要し、漸くつけ終わったと思えば化粧をしてあげる、とドレッサーの前に座らさせられた。
七五参以来の化粧が凄く重たく感じ皮膚呼吸が出来ていないのではないかと、それだけで…疲れていた。
大家が運転する車に乗りここまで来たのだが、お揃いの手袋を探している事を伝えると、若い子に人気のブランドを3件も教えてくれた。
ブランドと聞き尻込みをしていた智風に、大家は『クリスマスだし、それくらいの品物を贈らないとダメ!』と。
そんな高価な物を送らないとダメなのだろうか、とブランド店名のメモを取りながら密かにため息を吐いたのだった。
大家と別れ、お店に向かう。
店内は適度の温度だが、ミニスカートに素足とは足が寒くてたまらない。
ロングブーツなんて履いた事が無いので歩きづらいし。
だが、“はじめてのおつかい”のようで心臓が忙しなく動いている。
それと、なんというか…新世界に来たような感覚。
匠馬に出会い、少しずつ自分が変わって行く様子が分かる。
「おい、…あの子……ないか…?」
「見て………ね」
しかし。
先程からすれ違う人が振り返ってまで見てきたり、連れの人と何か耳打ち。
見てられている、と思うと周りの人の視線が刃のように感じてくる。
ここに匠馬はいない、と思うと
“怖い”
恐怖心が産まれ、急に騒音が自分を罵る声に聞こえ、くらり…と世界が揺れた。
まだ、自分には早かったのかもしれない、と思うと自分に嫌気が差してくる。
ーーーその時。
「大丈夫?」
目の前に知らない男性が智風の腕を掴んでいた。
「顔色悪いけど、貧血?」
匠馬に似て優しい口調。
その口調に智風の緊張も解れ、周りがはっきりと見えてくる。
「す、すみません!あ、ありがとう、ございます!」
深呼吸をしてお礼を述べたのだが、男性は智風の腕を離そうとはしなかった。
やはり、匠馬以外の人に触られるのは慣れない。
恐怖感もあるが、虫唾が走るというか。
思わず掴まれていた腕を振り払った。
「大丈夫、です…」
「気息奄々」
「え?」
「今の君はそんな感じ。…あれ?このメモ君の?」
メモを落としてしまっていて、男性はそれを拾ってくれた。
「ここの店に行くの?」
「そ、そうですけど…。あ、すみません、ありがとうございました」
メモを受け取り深々と頭を下げ、立ち去ろうとする智風に
「また倒れそうになっても困るから。どうせ、俺もそこの店に行こうと思っていたところだったんだ。一緒に行こうよ」
「え?あ、…そ、それは…」
ありがたい申し出だが、店の中とはいえ、始めて会った男性に着いて行くのはどうなのか。
しかし、頭の中で
『Q:ここに来た目的は?
A:お揃いの手袋を買う為です。
Q:こんな調子で店に着ける?店に入って会話出来る?
A:出来ません!』
と2人の智風がやりとりしている。
そして、結果。
とりあえず連れて行ってもらうのが最善なのかもしれない、という結論に至った。
「あ、あの、…その、お願いしてもいいですか…?」
その言葉に男性は優しく笑い頷くと歩き出し、智風は3歩ほど離れた距離で着いて行った。
男性は175センチ程だろうか。
スポーツ刈りとまではいかないが、短めに切られた髪は清潔感を漂わせる。
いつの間にか下を向いて違う方向に歩いており、男性は何度も振り返って智風を軌道修正してくれ、そのお蔭でどうにか店に着く事が出来た。
だが、1軒目の店には手袋が品薄で仕方なく次の店に行こうとすると、また、男性が案内をしてくれた。
断りたいが、迷ってたり倒れるような羽目になっても、困る。
また、何度も軌道修正してもらいながら、2軒目に向かった。
そして、2軒目。
やはり、ここも照明は控えめにされスーツ姿の店員。
1軒目よりも、……高そうだ。
しかし、1軒目もそうだったが、やたらと男性店員に声を掛けられ、困った。
と言うよりも、固まった。
固まっていると、ここまで連れて来てくれた男性が店員と話をしてくれ、助けてくれるのだった。
暫くして店員は手袋を何双か出して
「男性の手のサイズは?」
と聞かれ、手にサイズなんてあるのか、驚いた。
「え…っと、サイズは分かりませんが、かなり大きくって…指が長い、と思います……」
「そうですか。なら、こちらのグラブがよろしいかと」
藍色と菖蒲色。
落ち着いた色で、肌触りもいい。
両小指の下辺りにここのお店のロゴが入っていて、ちょっと大人な感じで素敵だ。
「あの、こ、これ…下さい…」
「ありがとうございます。男性用17.800円と女性用13.800円で、お会計、31.600円になります」
「………(はぁ!?)」
値段を見なかったのが悪いのだが、この金額は1ヶ月分の生活費と同じになる。
完璧に痛い出費であるが、大家の“これくらいは当たり前”の言葉を思い出し、泣く泣く財布に手を伸ばした。
『年末年始もあるけど、年の為に5万円を用意しておいて本当によかった…』
もう1万円だけおろして、無駄使いしなければ大丈夫であろう。
しかし、イベントというのは厄介なモノだ、と智風は心の中でため息を吐く。
暫くして、手袋は丁寧にラッピングされ、智風の許にやって来た。
「男性用の手袋は箱も幾分か大きいので分かると思いますが、念の為、水色のリボンをつけさせて頂きました。お買い上げありがとうございました」
店員は店のガラス戸を空けてくれ、その横を通り抜けて店を出ると丁寧に頭を下げる。
それに軽く頭を下げると店員は意味有りげに微笑みながら戸を閉めた。
「…ありがとうございました。無事に買う事が出来ました」
智風はここまで連れて来てくれた男性に頭を下げた。
「いや、俺もストラップ買う事出来たし」
少し照れたように笑う男性を見ていると、安堵もあってか智風も微笑んでいた。
「では人と待ち合わせしてますので、ここで失礼させてもらいます。本当にありがとうございました」
「また、会った時は声掛けてもいい?」
「え?あ…っとそれは…」
「じゃ」
男性は軽く手を上げて、智風の前から姿を消した。
ーーーーー
携帯のバイブレーションの音がカバンの中からする。
また、玄関の戸をノックする音。
その音で智風は目を覚ました。
ショッピングモールで買い物を済ませ、大家と合流すると喫茶店で昼食を摂り帰って来たのだが、人に酔ったのと疲れで帰り着くなりベッドにダイブし、眠ってしまっていた。
コンタクトレンズをしたまま寝てしまい、視点がなかなか合わないまま携帯のディスプレイを覘く。
“タクマ”
慌てて通話ボタンを押し、玄関に向かった。
「もしもし?」
何も考えずに玄関のドアを開けると、そこにはスーツ姿でスマホを耳に当て、ほんの少し鼻先が赤くなった匠馬が立っていた。
匠馬は、微笑むと耳に押し当てていたスマホを下げ、玄関内に足を踏み込む。
たった5日。
その5日がどれほど長かったか。
「久し振りって……ちーがそんな格好してるなんて、ちょっと驚き」
素早い動きで智風が持っていた携帯を取り上げ、そのまま唇を寄せようとした…が。
「あの、悪いんだけど、玄関の戸閉めてくれる?」
「…」
彼女の色気も素っ気も無い台詞にがっくりと匠馬は項垂れ戸を閉めた。
「っていうか、会えないんじゃなかったの?」
智風はささっとその場から離れると、薬缶に水を入れガスコンロに掛ける。
インスタントコーヒーの瓶を手に持りコーヒーの準備をしようとしたら、そのまま抱きしめられた。
何時ものスキンシップなのが、やけに緊張する。
たった5日間会えないでいただけなのに、智風は変に緊張している自分にも戸惑っていた。
「えっと、インスタントで悪いんだけど…、あ、そう!そう!今日大家さんと、あそこの大型ショッピングモールに手袋買いに行って来たの!す、凄い人だし、広くって吃驚した!」
みるみる顔が赤くなっていく。
心臓も早く、マグカップを取ろうとする指が震えていた。
何時もならこんなにも喋れる訳が無い。
緊張の余り声は上ずっているのに、口は勝手に動く。
「で、でね!この服、大家さんの娘さんの服なの!初めてミニスカートなんて着たから足なんか寒いって言うより、ひりひりするし!みんなよくこんな寒い服着るよね!凄いよね!そ、それとね、初めてロングブーツ履いたの!あ!何でこんな服着てるのか聞いてくれる!?もう、出発しようとしたらね、」
何時もとテンションが違いすぎて可笑しくて堪らない、と匠馬は必死で笑うのを我慢し、よしよしと智風の頭を撫でくる。
「分かった。ちょっと声が大きいかな。少しボリューム落とした方が良いかも。時間も時間だし。ね?」
「そ、そう!?っでさ!あたしなりにはお洒落していったつもりだったのに、もう全てに駄目だしされて!全部着替えさせられちゃったって訳なんですよ!その上、お化粧もしなきゃダメーって言い出すし!お化粧なんて七五参以来だし!コンタクトもさせられてね、目は乾いちゃうし!買い物から帰って来たら疲れで寝ちゃうし!全く携帯鳴ってるの気づかなかったの!」
「あのさ、緊張してるでしょ?」
「え゛!?」
匠馬の一言に躰が反応し、びくりと揺れた。
バレバレな態度なのに、本人は気づかれていないと思っていたのだろうか。
笑いを隠そうと、智風を抱きしめる腕の力をほんの少し強めた。
「きっ!きんちょうなんて!」
「してないの?」
「いや!あの、その…して……い…ます……」
急に智風の声の音量もトーンも下がり、無駄に入っていた肩の力が抜けて流し台に手を置いた。
「だって…その、…急に…来るし…。そ、それに…」
「それに?」
「…制服、とかじゃ、ないし…その…スーツ……着てるし…」
「そっか…。も〜!ちー可愛過ぎ!!!」
しかし、我慢できずにぎゅっと抱きしめると、智風の口から蛙のような声が。
「ぐえっ!」
「本当に面白いちーが見れて良かった。こんな一面もあるんだね。じゃあ、今度はボクのを話そうか」
「う…ん」
「学校休んで父さんの会社でバイトしてた。うちは小遣い制じゃ無いから、こうやってたまにバイトしてお金稼いでるんだ」
しゅーっと薬缶から湯気が出始め、匠馬は火を止めた。
「父さんの会社、ジュエリーショップでね。クリスマスで店が忙しくなる時期だったから、頼まれたってのもあるんだけど。まぁ、しっかりと稼がせていただきましたが…。あのさ、ちー」
くるりと智風を自分の方に向けた途端。
ピピピピピ……と智風の携帯が鳴り始めた。
携帯を開けば“大家さん”の文字に、2人は顔を見合わせた。
時計の針はすでに10時を差そうとしている。
智風は慌てて通話ボタンを押し、耳に当てた。
「もしもし」
『あ、智風ちゃん?こんな時間にごめんね。今、お客さんが来てるの?』
「え?あ、はい…」
『そう。……あのね、お隣さんがね“煩さい”って電話掛けて来てね。悪いんだけど、他所ではしゃいで貰っていい?隣お婆ちゃんでしょ?最近特にね、ちょっとした事が気になるみたいで。本当に悪いんだけど、お願いできる?』
「え…あ、分かりました。すみませんでした、ご迷惑かけて…」
『こっちこそごめんね。楽しんでる時に』
「いえ、では…」
パタンッと携帯を折ると、心配した匠馬が顔を覗き込んで来た。
「大家さん何て?」
「えっと…隣のお婆ちゃんが“煩い”って。出来たら、他所に出掛けて欲しいって…」
「ちーが大きな声で話すからだよ」
「………」
「ならさ、ボク行きたい処があるんだけど、そこに行かない?」
「どこ?」
「ラブホ」
「ラァ!?むぐっ!!」
叫びそうになった智風の口を手で慌てて塞ぐ。
「しー!またお婆ちゃんが怒るって。それにさ、今から出掛けるって言ってもクリスマスだから人がいっぱいだろうし。ゆっくり出来ないよ?ラブホならゆっくり出来るし邪魔もされない。…何事も経験だよし、これも社会科見学って思えばいいんだよ」
「しゃ…社会科見学…(ごくり)」
「そ、社会科見学」
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