【小説】醜いあひるの子 5話
次の日。
1限目の授業は担任。
皆が席に着いたと同時、教室のドアが開き、クラスの女子の黄色い悲鳴が響き渡った。
「おはよ〜!せんせ〜今日からボクも真面目に登校しま〜す」
ネクタイを緩く締めた鮎川が登校して来たのだ。
一番後ろの席が鮎川の席で、そこまで行くのに彼は皆に声を掛けられている。
女の子達は嬉しそうに顔を赤くして、きゃあきゃあと騒ぐ。
登校予定で無かった為、喜びは一入だ。
「ね!ね!どうしたの!?急に登校してくるなんて!」
スカートの短い女生徒が振り返って必死に声をかけている。
女生徒の声に鮎川は足を止め
「ほら、来月は学期末試験でしょ?そろそろ勉強しておかないと親から怒られちゃうしね。それに…皆に忘れられちゃったら大変だし」
「鮎川君の事、忘れる訳ないじゃん!」
「「そうだよぅ!」」
「本当?あ…もしかして、シャンプー変えた?いい香りだね。君に合ってる」
微笑みながら女生徒の優しく髪を撫でた。
合ってる、など言われて喜ばない女等居ないだろう。
顔を真っ赤にして喜ぶ彼女とその子の取り巻きは、嬉し過ぎてなのだろう涙すら浮かべている。
「分かった!分かったから落ち着けー!あーそんなに鮎川の声が聞きたいのかー。よーし鮎川、自主登校記念に179ページの5行目から読め」
「え〜!」
「え〜、じゃない。読めー」
「「読んで〜〜〜!」」
きゃあきゃあと女生徒の後押しが入り、鮎川は苦笑いを浮かべる。
「も〜。しょうがないな〜」
肩をすくめながら席に着くと鮎川は教科書を開き、指定された場所から読み始め、漸くいつも通り静かな授業が再開された。
授業が終わると鮎川の周りには人だかりができ、そのはとても賑やかで楽しそうだ。
反対に何時も居ない鮎川が居るだけで智風の心は大荒れだった。
次の日も鮎川は宣言通り、登校して来た。
勿論、鮎川に話しかけられる事は無いし、こちらから話しかける事も無い。
しかし、ごく稀に鮎川と視線が合う事があったが、……すぐに視線を逸らされた。
鮎川が登校し始めたので、もう彼の家にプリントを届けに行く事は無くなるのだ。
となると、鮎川との接点等無くなる。
“そう、だよね…。あたしなんかに鮎川君のような人が学校で話しかけて来る訳ないか…。だって、あたしが鮎川君にプリントを届けてるのも内緒だったんだもん…”
それが本来、当たり前の事なのだが、もの凄く寂しく感じてしまう。
よく考えてみれば、入学式の日、話しかけられたけれど2年生で一緒のクラスになったからといって話しかけられた訳でも無い。
それが少し話すようになっただけで友達気取りになり、勝手に思い上がっていたのだ。
“やはりあの賭けっていうのも冗談。冗談も鮎川君なりの餞別みたいなものだったのかもね。…あぁ、そっか餞別か。じゃあ、もう、鮎川君と関わる事はないんだ…”
鮎川が登校して来て余計騒がしいはずの教室なのに、智風の周りは全く変わりなく無音。
今迄と同じなのに、何故か1日がとても長く寂しく感じられた。
***
土曜日。
鮎川が登校しだし、3日。
相変わらず女生徒達は楽しそうにしているのが目に入るが、そんな事も気にならないようになった。
智風はいつも通り存在が無いように静かにしている。
土曜日は2時限で授業は終了し、殆どの者が足早に下校していく。
そんな中、智風は塾のテストの採点をしていた。
担任に許可を得ているので、バイトに行くまでここに居ても何も言われない。
気兼ね無く仕事を進められ、多量に持ち込んだ解答用紙をリズムよく採点していた。
30分もすると生徒は誰も居なくなり、鳥の囀りや風の音、運動部のかけ声が不思議と心地いいもので、集中出来た。
ピピッ…と携帯が昼を知らせ、智風は思いっきり背伸びをする。
「もう、お昼か。お腹、減るはずだぁ…」
昼食を取ろうとカバンを開け、思わず二度見してしまった。
昨夜、半額で購入したパンは無く、その代りに見覚えの無い風呂敷に包まれたお弁当が入っている。
何時の間に覚えてしまったか、その風呂敷は鮎川の香り。
「…も、もしかして…」
高級感漂う風呂敷を触っていいのか迷うがカバンから取り出すと、真新しいお箸セットとメモが添えられていた。
『屋嘉比さんへ。 勝手で悪いけどお弁当作ったからカバンに入れておくね。簡単に済ませられるからってパンやおにぎりだけじゃ躰によくないからバランスの摂れた食事をしないとダメだよ。今日の夕飯は餃子と青椒肉絲と青梗菜のスープを用意しておくからバイト終わったら絶対に来る事。追伸・皆には内緒でね。 鮎川』
風呂敷を開けると、少し大きめのお弁当。
何でここまでしてくれるのだろう。
鮎川の気配りに、嬉しくて思わず涙ぐむ。
「…そっか、そうだったんだ!鮎川君はあたしを友達と思ってくれて、…だから心配してくれて、…あたしを笑わせる為にあんなこと言ってみたんだ!あたし、何か勘違いしてた!」
智風は勝手に納得し、鮎川が作ってくれたお弁当に手を合わせた。
ーーー20時20分。
少しだけ作業が遅れ、塾を出るのが遅くなった智風は急いで自転車を漕ぎ、鮎川の家に到着した。
息を切らせ、玄関のチャイムを鳴らすと何時もの様に鮎川が満面の笑みで戸を開けた。
「こ、こんばんは…」
「ぷっ、何か急いで来たみたいだね。髪が凄い事になってるよ」
そう言って鮎川は手慣れた感じで智風の前髪をかき分け、顔を露わにさせた。
「え、ちょ、ちょっとあああああああ鮎川君っ!」
思わず泣いた日、彼が額にキスした事を思い出し
「は!恥ずかしいから!」
慌てて髪を戻そうとする智風の手を鮎川は優しく止めた。
「ボクは屋嘉比さんの顔見て話したいのに…。なら、ボクと2人っきりになった時だけ。ね?いいでしょ?」
そして、にっこりと微笑んでくる。
“友達の言う事は素直に聞かなきゃ…。それに、この人は王子様だからこう言った事は日常茶飯事、なんだよ!慣れていかなきゃ!”
「う……うん…」
「あ!お弁当を勝手にカバンに入れてごめんね?流石に皆の前で渡す事出来ないからさ」
「う、ううん!そんな、こっちこそ、お、お弁当、ありがとう。そう!法蓮草の白和えすっごく美味しかった!あたし、大好きだから嬉しかった!」
出されたスリッパを履き、鮎川の後ろを歩きながら智風はお礼を述べた。
「白和え好きなの?じゃあまた今度作ってあげるね。食べられない物とか、アレルギーとかあったら言って」
「うん!…本当、鮎川君って本当に友達想いね。あたしの事も友達って思ってくれてありがとう!」
その瞬間。
ゴン!!!
物凄い音を立て、鮎川は入り口の処で頭をぶつけた。
「ぐぅ〜〜〜!!!」
「あ、鮎川君!?大丈夫!?」
鮎川が頭をぶつけて涙目になっているだけでは無く、自分の発言のせいでもあるとは、全くもって気づかない智風であった。
それから略毎日、バイトに行く前に鮎川の家で夕食をごちそうになるようになった。
智風は“友達”発言をしてから、勿論、学校では話さないが2人になるとよく話し、よく笑うようになった。
メルアドを交換した時は、本当の友達が出来たとアパートで独り大はしゃぎ。
鮎川から受けるスキンシップも日常化し、多少、免疫がつき始めた。
そのせいでテストで負けた時(処女プレゼント)の件は、すっかり頭から消え去ってしまっていた。
そして、学期末テスト。
智風は自信満々で帰宅し、最終日のバイトも終わらせた。
テストの結果よりも、今度のバイト先はどんな処なんだろう、と期待と不安で胸を高鳴らせていた。
***
テストが終わり、5日目。
答案用紙が全部返って来た。
帰宅前、鮎川からメールが入り、ワクワクしながらメールボックスを開く。
『答案全部返って来たから、今日見せあいこね。6時半くらいにご飯出来上がる様にしとくから、それに合わせて来て』
『了解です。今日の晩御飯何ですか?』
『キノコのオムライスとコンソメスープ。デザートはこの前食べたいって言ってたスフレチーズケーキだよ。あ、オムライスに赤ワイン使うけど大丈夫?』
『全然大丈夫です。早く鮎川君のご飯が食べたいです!』
メールを送信し終えるとにやけ顔で携帯をカバンに入れる。
早く食べたい。美味しいご飯!
鮎川が以前、オムライスの卵はふわふわで、ほんの少しだけトロッとしているのを作ると言っていた。
夢に迄見たお店で出て来るあのふわふわオムライスを想像するだけで、智風はお腹が空いてしまう。
それを我慢しながら智風はアパートに戻り、シャワーを浴びた。
いつもと変わりないジーンズに柄入りのシャツを着て、赤いチェックのコートを羽織りアパートを出た。
自転車に乗ってみると首元が寒く、マフラー代わりに髪を首に巻く。
しっかりと寒さ対策をして鮎川の家に向かった。
何時もの様にチャイムを鳴らすと髪が濡れた鮎川が顔を出し、智風はそのセクシーさにドキドキしてしまった。
本当に今、お風呂から出ました感、丸出しなので思わず見惚れてしまう。
“友達が男前だと美味しいなぁ”…と。
「いらっしゃい。…今日は髪結んで無いんだ」
「え!?あ、今日寒いし、あたしマフラー持ってないから寒さ対策に」
「ふ〜ん。…あ、前髪。ほら、前髪分けて」
「はいはい」
前髪を分け、両耳に掛けると納得した様に鮎川は智風の前にスリッパを出した。
「今日はボクの部屋で食べよう。階段上がって左のドアだから、先に行っててくれる?」
鮎川は指示を出すと、さっさと台所に姿を消してしまった。
「?」
何時もと態度が違う様だったが、気のせいかもしれない、と智風は言われた通りに2階に上がって行った。
部屋の戸を開けると、20畳くらいのフローリング。
「ひ、広い……」
机にセミダブルのロングサイズベッド、本棚に真っ白い箪笥。
そして、真ん中に正方形のコタツがある。
コタツに入っている鮎川が想像できず、智風は思わず笑ってしまった。
用意周到な鮎川は、エアコンを入れて室内を暖めてくれている。
そういった心使いが上手い人だと感心してしまう。
コートを脱ぎ腕に掛けると、初めて入った鮎川の部屋に興味津々。
目を輝かせ、智風はウロウロと部屋の中を探索していた。
暫くすると階段を上がって来る足音が聞こえ、振り向くと戸が開いた。
「何だ、座って無いの?そこ、ボクの制服掛けてる横にコート掛けて」
別に鮎川のモノを触っていた訳でも無いのだが、何か気まずく智風は慌ててハンガーに手を伸ばした。
コタツに置かれた晩御飯に目をやると、ぐぐ〜っと胃袋が鳴り“早く食べたい”と意思表示をする。
「ぷっ。屋嘉比さん、初めてボクの家でピザ食べた時も、お腹鳴ったよね」
「すいません。色気より食い気で」
赤い顔をしながらも口を尖らせ、鮎川の反対側、ベッドの間に腰を下ろした。
「悪いとは言ってないよ。いっただっきまーす」
鮎川はそう言うと、さっさと食べ始めてしまった。
今日は何だか余り笑わないし、顔を見て話してくれない。
何か機嫌でも悪いのだろうか、と心配しながら智風は手を合わせ、オムライスを口に運んだ。
赤ワインのアクセントが利くのに、ふわとろな卵がそれを上手く中和する。
コンソメスープは反対にさっぱりしており、食を進めてくれる。
何と言っても、スフレチーズケーキは絶品で、大きめに切られたワンカットを頬張った。
市販されているモノは買いたくなくなってしまいそうなくらいだった。
鮎川の手料理を食べるようになってから体重が増えたので、血行もよくなった。
美味しすぎるのと『たくさんお食べ』と甘やかされるので、ついつい食べ過ぎてしまう。
自炊出来ればいいのだが、どうも苦手で半額になったお惣菜を買って食べるばかり。
なので、余計鮎川の手料理が美味しく感じてしまうのだ。
ご飯を食べ終わると、鮎川はすぐに食器を下げ、片付けを終わらせ戻って来た。
まだ、余韻に浸っていた智風に、鮎川は急かすように声を掛けた。
「屋嘉比さん。答案用紙」
「え?」
「答案用紙出して。全部」
「ちょっと、待って?折角だし、1枚ずつ出そうよ」
何を急かす事があるのか、と智風は首を傾げた。
「…良いけど…」
「…?じゃあ、外国語からね」
鮎川の歯切れが悪かったが、とりあえず、1枚ずつコタツの上に出して行った。
……どういう事だろう。
段々不安になって来ている自分がいた。
7教科満点を出せば、鮎川も7教科満点。
今迄出した試験の合計が、同点とは…。
そして、最後、1枚。
「最後は現代文ね」
バン!とコタツの上に置いて、智風は勝ち誇った顔をした。
ケアレスミスで1問目を見落とし書き忘れがあるが、それ以外はパーフェクト。
それに、鮎川が苦手だと言っていた現代文。
智風は保険をかけといてよかった、と思っていた。
が、鮎川を見れば、口がクッと上がっている。
「残念でした。ボク満点」
「え?う、うそぉ…そんなぁ…」
答案用紙を見れば、間違いなく鮎川は満点。
今回は自信があった。
満点も何時もと同じ数あったし、苦手な数学にも力を入れた。
点数的にも上がっている。
1位以外取った事が無い智風は初めて味わう敗北に思わず肩を落とした。
しゅん…となっていると、急に横から鮎川の腕が伸びて、そして、メガネが奪い取られる。
「…え?」
驚いている拍子に、唇に温かい感触と鮎川のドアップがあった。
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