吉田博展

 人生が変わるほどの衝撃を受けたことを、死に方が見える呪いと称した人がいた。

 私にとっての「死に方が見える呪い」。

 吉田博展を鑑賞してきた。

 私は美術は全然詳しくないけれど、美術館に足を運ぶのが好きだ。きっかけは一昨年のゴッホ展を観覧してからだった。ゴッホの絵はそれは勿論綺麗で世界的な名作なのは知っていた。けれど、それだけだった。実物を見るまでは。印刷じゃない。インクを吹き付けただけの絵とは違う。

 実物には、執念が宿っている。それこそ、人を呪うほどに。

 作品を産み出すには、いつだって痛みが伴う。

 文章であっても、絵であっても。だから、創作物には作者の強い想いが宿っている。そうは思っていたけれど、ゴッホの絵を通して、初めて生でその想いに触れた。それから、私は出来るだけ気になった作品は生で見るようにしている。

 吉田博展もその一環だった。twitterで絵が流れてきたとき(ほんと何でだったか思い出せない)、あまりにも美しい絵でびっくりして、すぐさま行こうと決心した。そして本物を見て、私は呪われた。

 以下私の素人感想だが、絵がとにかく繊細。線の細さ、細部のディテールに至るまで手を抜かず仕上げる職人技。そして何より色使いが魅力的だ。元洋画家だけあって作品からは写実的な印象を受けるのだが、その色使いによって木版画というか、日本画のデフォルメが効いた描写と融合して、なんとも言いがたい魅力に繋がっている。堅いけれど、温かい、そんな印象を受けた。

 木版画の製作とその魅力の周知に尽力した吉田博は、自ら彫りや摺りを職人に指導するほど信念を持って作品製作に当たっていたらしい。その平均摺りは30枚に至るという。この数字を聞いたとき正直正気を疑った。もちろんどの画材でも作品製作は大変だが、木版画はその手間が段違いだ。なんでも、絵を描いてそれを元に木を掘って版を作って色を塗って紙をあてて……それを何度も行わなければ完成しない、気の遠くなるような作業である。小学校の木版1回だけでも嫌気が差したくらいだ。晩年作品の陽明門は90枚に及ぶというので、最早狂気すら感じる。だが、その狂気こそが、作品をこれ以上無い高みに押し上げるのだと思う。

 また、木版画であっても、生の絵は質感が違うことを知った。摺りの工程で強く紙を押し当てるので、版の形に紙が変形する。それが、独特の質感になって絵に現れている。また、これを利用して吉田博は空摺りを行い鳥の羽の柔らかさを表現した。私は図録で見たときにやっぱり実物と印象が違うと感じてがっかりしたのだけれど、この質感が、絵の魅力を大きく左右するのだと思う。木版画であっても、プリントアウトじゃなくて摺ったものを欲しがるのはこういうことかと理解した。

 帰りに、私にしては珍しくグッズをいくつか買った。(図録はいつもどの展示会でも買う)この絵を見ながら生活したい。目にはいる度、嬉しくなりそうな予感がした。そんな気持ちを抱くのは初めてだった。マグネット2個とポストカード。マグネットは、私の職場の机に貼ってある。いつでも目にはいる位置に。仕事中、ふとそれを見やる。

 ダイアナ妃はこんな気持ちだったのかな、なんて考えながら。

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