なぜ「自由」はクソ商品なのに「回収=リコール」されないのか?
「自由」の使い勝手の悪さは、明治に西洋から輸入されて以来ずっと知られてきたことである。
「自由」ほど、その扱いがむずかしいものはない。
その取り扱い方がしっかりと明記されなかったために、乱用・誤用が相次いだ。
この「自由」の乱用・誤用により、これまで数々の不具合が生じ、多くの事故や事件を引き起こしてきたのはいうまでもない。
近代社会のテーマは、「安心・安全・便利」である。
何よりも自分の身の安全と、身内の安心、そして生活の便利さを求めるぼくらである。
その市民生活において、「自由」はその導入以来、実に多くの厄災を振りまいてきた。
もはやすっかり、忌み嫌われていてもおかしくない存在である。
しかしどうだろう?
今日、「自由」が忌み嫌われている場面に出くわすことは意外なほど少ない。
それどころか、いまだに「自由」は生活に欠かすことのできないものとして扱われてすらいる。
こんなに使い勝手が悪いのに?
こんなに取り扱いが難しいのに?
ちょっと使い方を間違っただけで人生を踏み外し、ヘタすりゃ死ぬのに?
一体なぜだろう。
なぜ私たちは、これほどまでに「自由」を手放せないのだろう。
わたしは思うのだ。
本来ならば、「自由」なんてものはとっくに「回収=リコール」されてしかるべき代物だと。
なんせこれほどまでに不具合が発生しているのだから。
しかし、そのような「回収=リコール」が起こる兆しはない。
また、それを望むような声もあがらない。
なぜかと言えば、そこには主に3つの理由がある。
1、「自由」の製造元が不明
2、「自由」が広く浸透しすぎて、リコールに莫大な金がかかる
3、「自由」をリコールすると、その関連商品も色々と回収するハメになる
この1、2、3をまとめて一言で表現すると「超めんどくさい」となる。
なぜ「自由」はリコールされないのか?
それは、「超めんどくさい」からだ。
それがどれほどまでにめんどくさいことであるか?
まずはそのことについてお話しよう。
つづく!!!