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キミの住んでる宇宙は「相性」でできている

磁石のS極とM極がくっつくのは、好き嫌いではなく「相性」の問題だ

男と女がくっつくのも、好き嫌いではなく「相性」の問題だ。

たぶん。

なぜならこの宇宙は「相性」で出来ているから。


人はなるべく、相性の良い人やモノや場所に囲まれていたい生き物です。


一緒にいるだけで元気になる人と一緒にいたい。

眠るだけで元気なるフカフカの布団で寝たい。

飲むだけで気持ちよく酔える美味い酒が飲みたい。

会うだけで「好きだ」と感じられる異性と会いたい。


自分のカラダが自然と喜ぶ人やモノや場所って、きっと「相性」が良い。

だから人生は基本的に、「相性」ベースで進んでいけば良い。


そして、そんな「相性」ベースの生き方を保証してくれているのが「自由」という概念だったりします。


学業の自由、職業選択の自由、住む場所の自由、信仰の自由、結婚の自由、などなど。

堅苦しい言葉で書かれていますが、要は「YOUのカラダにフィットした相性の良いもんを好きに選んじゃいなよ!」と日本国憲法はおっしゃっているわけです。

なるほど。


それでも、こうして「自由」が公に認められて、誰もが「相性」の良いモノを選べるようになるまでは、長い時間がかかりました。

戦争が起きたら国家総動員だし、ブーブー文句を言おうもんなら非国民だし、そのまた昔は生まれながらに身分が決まっていて、自分の職業を選ぶこともできない。

そんな時代もありました。


その最たるものが「奴隷」です。

奴隷には、一切の「自由」がない

つまり、自分で「相性」の良い人・モノ・場所を選べない状態。それが奴隷。


奴隷状態は、生き物である人間には辛いわけですよね。

だって、人の住む宇宙は「相性」でできているから。


相性がよければくっつくし、悪くなれば離れる。

万物は流転しています。

原子と分子の動きを見れば、離れた先でも、また必ず相性の良いもの同士でくっつき合って、新たな分子を構成するようになっています。


だから「宇宙が相性でできてる」ということは、くっつくのも自由だし、離れるのも自由だし、しかもそれを続けていても、別にキミはこの宇宙でひとりぼっちになることなんてないんだよ!

ってことなんです。


でも、この物理的なシステムと、人間が作った社会システムは、まだまだ相性がよくないところがいっぱいあるのも事実です。

なので、僕らは暮らしのいろんな場面で「不自由」を感じたりします。


例えば「不登校」。

登校拒否するのは、学校との相性がよくないからです。

でも、かと言って「家にいる生活」が、その子にとって相性がいいのか?と言うと、そうでもなかったりする。


となると、その子にとって「相性」のいい人やモノや場所はなんなのか?

どこに行けば会えるのか?

そういうことが、その子にとっての人生の問題として浮上してきます。


つまり、目の前の人・モノ・場所に「相性」の悪さを感じたら、それは自分にとって「相性」の良い人・モノ・場所を見つけ直す人生のチャンス到来!!

ということでもあります。


で、近代は国民全員に「自由」を認めていて、それは「相性の良い人・モノ・場所探ししちゃってオーケーだよ!」と認めてるってこと。

それがドンドンしやすくなるように、社会も発展しています。

そして今やネットで、自分と趣味の合う人も、好みの家具も、行きたい旅館もすぐに見つかる。


けれど、そうやって「自由」に欲望をドンドン満たしていった先で、アレ?意外と心身がむなしいな?と、我に帰ってしまう人が意外に多かった。

それが現代という時代です。


そもそも、「自由」を与えられても、その「自由」を使いこなせるかどうか?というのは別の話だったりします。


なので、よほどの事がない限り、人は「なんとな〜く」自分の身の回りの人・モノ・場所を決めているのかもしれませんね。

「自由」が与えられていても、その「自由」を徹底的に使いこなそうとする人は、あんまり多くないさそうです。


でも、世の中には「自由」を徹底的に使いこなした方が良い人もいます。

それは、「不自由」を感じやすい人です。


つまり、自分が生まれて出会う人・モノ・場所に、なぜか無性に「相性」の悪さを感じてしまう人。

周囲のあっけらか〜んとした空気感にはどうも馴染めないと、幼少期から感じてきた人。

それは肌ざわりの違和感で、たいていの場合、言語化できない。


だから、こういう人の思春期は尾崎豊モードになりがちです。

尾崎豊は、15才の夜に盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラスを壊して回ったりしたい人です。


でも、校舎の窓ガラスを壊して回りたくなるその時に、「自由」の使いこなし方を学ぶ方が良いと思うんです。

尾崎豊ほどの美声は、誰もが持っているわけじゃありません。

歌手としての成功は望めないかもしれませんし、バイクを盗むのだってラクじゃない。


でも、「自由」ならどう?

「自由」は、誰にでも、すでに与えられているみたいです。

ただ、「自由」を使いこなす方法が、よく分からないだけなんです。

分からないなら、学べばいいんです。

自由の取り扱い方を。


キミが心から納得できる、相性の良い人・モノ・場所に出会うために。

盗んだバイクで走り出す前に。




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