人生の正体がバトンリレーなら、それはつまりプレゼント
人生はよくバトンリレーに例えられる。
バトンリレーは2つの素材でできている。
バトンと、ランナーだ。
僕の人生にとって、ランナーとは僕のことだね。
では、バトンは何だろうか?
その問いを前に、僕というランナーは思わず足を止めて考え込む。
「はて、僕の人生のバトンとはなんだろう?」
「そもそも僕は、何かバトンのようなものを運ぶために生きているのだろうか?」
「だとしたら、それは一体誰から受け取ったバトンだろう?」
「そして、それは次に誰が受け取る予定のバトンなのだろうか?」
僕らが暮らすこの近代という時代では、誰もがランナーとして走ることを、生まれながらに義務付けられている。
近代の特徴は、誰もが「国民」であることだ。
ここでは、誰もが「国民」という名のランナーである。
国民は、生まれた国や、惑星の環境、地域社会や血族、所属する学校や会社組織のために。
それら「社会的なチーム」のために、日々走っている。
じゃあ、その「社会的なチーム」が、僕という国民が持っているバトンなのかな?
この「社会的なチーム」は、現代では巨大なシステムをカタチ作っている。
僕ら国民と呼ばれるランナーは、この巨大なシステムの網目の中で、新しい知識を学び、技術を身につけたりする。
商品を生み出すために労働するし、その対価を得たりもする。
そして、国にその一部を税金として納めていたりする。
国は集めた税金を、国民の代表として色んなカタチで再分配する。
さらに法というルールを作ることにより、国家は国民の生活を秩序ある状態に保とうとする。
国民は国民としての責務を果たし、国家は国家としての責務を果たす。
国民と国家とのバトンリレー。
近代を生きる僕らは、日々こんなバトンリレーをしているみたいだ。
では、僕の人生のバトンリレーは、国家のためにあるのだろうか?
もしくは、国家の内側にある、様々な社会的なチームのために?
だとしたら、僕はどうもしっくりこない。
この国民としてのバトンリレー内に、僕の人生がすっぽり収まるとは、どうしても思えないからだ。
生理的に却下、である。
そもそも、国家も国民もただの名前であり、概念なんだし。
でも、バトンリレーにとって、バトンはもっと大切なもののはず。
そんなに簡単に言葉で言い表せるとは思えないし、言い表せるなら、みんなこんなに悩んでない。
バトンリレーをさせられているのに、そのバトンにしっくりこなかったり、またはそもそもバトンの存在を忘却しているところに、僕ら現代人の抱えるストレスや違和感の正体ってあると思うから。
「なんか生きづらい」
ってのは、
「なんかこのバトンリレー、走りづらくね?」
ってことなんじゃない?
じゃあ、その原因をハッキリさせちゃおうぜ!
ってんで、古今東西色んな哲学者やら科学者やらが英雄として立ち上がっては、なかなかの悪戦苦闘をして来たのが地球の歴史。
で、彼らの残してくれた功績によると、そもそも人生というバトンリレーにおいて、バトンとランナーは切っても切り離せない存在らしい。
おっと、イキナリ前提から違ってくるじゃないか。
なら、もっと根本的なところに立ち返らないとダメだ。
バトンとランナーは別々に存在しているんじゃ無くて、どちらも同時にワンセットで存在しているんだから。
ランナーが持って走っていなければ、バトンはバトンである意味がなくなってしまうし、バトンが無ければランナーはランナーではあれない。
バトンとランナーはワンセットでニコイチ。
だからどちらも、バトン受け取った瞬間から、それを誰かに明け渡すまでの間に運命づけられた、「配役」のことなのだろう。
つまり、人生はバトンリレーによく例えられるけど、それは僕らの人生が例外なく誰かから受け取ったバトン=プレゼントのようなものであり、しかもそれは同時に、自分の先に待っている誰かへといずれ明け渡されるバトン=プレゼントでもあるのだ。
僕というランナーは、誰かからのバトンを受け取ったことでランナーになれたわけで。
しかし、僕というランナーは、この先に待つ誰かをランナーにするために、ソイツにバトンをパスするために走る存在なわけだ。
ですから僕らは、「生」と「死」の瞬間に挟まれた時間のことを「人生」と呼んでいますけど、この人生というものの正体は、例えばバトンリレーであり、つまるところプレゼントというわけ。
で、最初の問いに戻るけど、
「僕が受け取っているバトンはなんなのか?」
「誰からの、どんなプレゼントなのか?」
「この先に待つ人へ、どうパスするのが良さそうなのか?」
それはランナーらしく、走りながら思い出していこう。
師走なので「走る」をテーマに書いてみました。
みなさん、大切な足腰を大切に、2021年もそれぞれのバトンを持って走りましょう。
「生きることは、思い出すこと」
僕の師匠が教えてくれたことです。
それでは、よいお年を。