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企画の始まり

初回は原案・脚本を務めるに至った経緯をお届けします。
ボクは20歳の頃に自身で本を作りたいという欲求から構想を練り始め、24歳でレシピ本を自費出版しました。
その後、作中で掲載する女の子のイラストを発注する際に考案していたバックボーンやイラストレーターさんとのやりとりを元に、11本の短編小説を執筆、某サイトで公開したモノが「シナリオ」という表現をするのであれば最初の作品となります。

10代の頃から映画が好きだったので、物語を描くということには関心がありました。なので先述のレシピ本を自費出版すると決めるまでは、自身が書く言葉が何かしらの作品の一部になり得るなら媒体は何でも良いと思っていた時期もあって、劇団を主催している知人に話を聞きに行ったり、出版社の求人に20社以上応募したことも(ちなみに全部落ちました)。
そこから数年、紆余曲折ありつつも自作のレシピ本がきっかけでケータリング(出張料理)のご依頼も少しずついただけるようになり、ありがたいことに正式に事業を立ち上げて以降は性質上「食」に携わる仕事がますます増えたため、執筆と呼べる活動はフリーペーパーに掲載されるレシピ付きコラムの連載を一時期していたくらいでした。

その間も映像作品やマンガ、小説に触れる機会は絶えずありましたが「いつかこんな物語が描けたら良いな」という妄想は割と頻繁にしていながらも、いざ書こうとなるとなかなかモチベーションが上がらず、気の向いた時にメモを残しておく程度・・・。

しかし、数年前からパートナーが趣味でお芝居を始めたことで映像製作に携わる方々と交流する機会も増えたようで、そういった話題が家庭内で飛び交っていた際に【スタジオ放課後】さんが脚本の持ち込みを受け付けているという話を耳にしました。
そのときは急ぐ話じゃないし、良いアイディアが閃いたら書いてみようくらいにしか考えられなかったのですが、2023年の4月にきっかけが訪れます。

母方の祖父の死です。

父方の祖父はボクが生まれるよりもずっと前に亡くなっており、ボクにとって「おじいちゃん」という存在との記憶は彼と過ごした時間だけでした。
年末には傘寿(90歳)を迎えるはずだったこともあって年齢を考慮すれば覚悟はしていましたが、まさか不幸な事故による死別など想像しているわけもなく、言葉に出来ない喪失感を抱きました。

葬儀に出席するにあたって朝イチの飛行機で祖父母が暮らす福岡に向かたったのですが、自身が生まれた町のはずなのに20年以上足を運ぶことがなかったため、最寄り駅から式場までの道のりは最早初めて見るに等しい景色。ボクは3兄弟の長男で物心つく頃には弟が生まれていたので、他の親戚が帰った後に両親と3人だけで過ごす時間があったことも新鮮な体験でした。
そうして初孫として参列した翌日、福岡から羽田に戻る飛行機の中で生死や命というものについてこれまで以上に思いを巡らせながら本作のプロット(原案)を書きました。この気持ちを映像という形で残し、誰かと対話するきっかけにしたかったんだと思います。

あらすじにもある通り、今作は我々の世界とそっくりでありながら人類の寿命が約50年の世界を舞台としています。随所にこちらの世界との比較とも取れる表現を織り交ぜましたが、短命と長生き、死にゆく命と生まれ来る命、合理性の追求と普遍的な感情といった相反する要素を、娯楽作品として成立するよう描写したつもりです。
現在、先日仕上がったばかりの台本最終稿を元にスタッフ、キャスト一同で鋭意製作中ですので、公開後に1人でも多くの方にご覧いただければ嬉しく思います。

スタジオ放課後の作品はこちらから↓
youtube.com/@sutajiohokago?si=s8GBRLRd3RwaE6fg