「〇〇女子」に張り付く呪い
前回の記事ではめちゃくちゃ書き足りなかったので、さらにいっぱい書きました!
ラベリングに抵抗する人を揶揄する声
☑︎ なんで嫌なのかわからない人もいる
☑︎ ラベリングされる事に抵抗がない人もいる
☑︎ 年齢や外見を指して失礼な決めつけをする人もいる
〇〇女子のラベリングが嫌だって主張する人に対して、「気にしすぎ」「自意識過剰」「ブス、デブはお呼びじゃない」「BBAが怒ってるだけ」そういう反応がチラホラ見えたりする。
中には「私は女子だけど自意識過剰じゃないかな?なんでも騒いでみっともないよね!」みたいな無邪気さ全開の意見もある。
中にはラベリングが嫌だと行っただけで「フェミ」を冠して勝手に分類したり、レッテルを貼って鼻で笑って満足する人もいる。
でも、〇〇女子問題ってそういう簡単なものでは無いと思う。
マーケティングをする過程で〇〇女子って勝手にラベリングする現象もモヤモヤするけど、ラベリングは嫌だなって言ってる人に対して嘲笑する人の態度は、正直言って地獄だな、と思う。
そもそも女子って何歳までなの?
☑︎ 女の子を指す時もある
☑︎ 女性全般を指す時もある
☑︎ 年齢の定義は曖昧
正直言って、女子の定義は幅広い。
1 女児。息女。
「京にてうまれたりし―」〈土佐〉
2 若い女性。女。おなご。
「―ども呼びて床をとらせ」〈浮・諸艶大鑑・五〉
1 おんなのこ。むすめ。⇔男子。
2 女性。おんな。「女子学生」「女子ゴルフ」⇔男子。
「女子」という単語は、未成年を指したり、女性そのものを指したり、そもそも文脈が伴わないと判断が出来ない。
中には40歳が初老であることを鑑みて、30歳からがおばさん、30歳未満が女子みたいに区切ったりする人も多いと思う。
中には「子なんて字が入ってるんだから、そんなの10代で終わり!」みたいな人もいると思う。
だけど、女子って単語を持ち出した時、それは女性全般の事になり得るって事は忘れないで欲しい。
年齢に対する偏見と若さ信仰
☑︎ 特定の年齢で大幅に性格が変わる事はない
☑︎ 何歳でも好きなものは好き
☑︎ 年齢で勝手に相手の性別を否定するのは失礼
女子に幅広い括りがある事は分かったと思う。
文脈が提示されていない限り、この「女子」という言葉には女性全般とも言えるし、一部の若い女の子を指してる事もある。
正直、女性は若ければ若いほど良い、みたいな価値観が巷には溢れかえってると思う。
そこで翻って、若くなければ罵って良い、お前は女じゃないとラベリングしても良い、みたいな下品な人が沢山いる事だ。
そもそも人は誰でも平等に歳を取るのに、とある年齢を過ぎた瞬間からどうして扱いが変わるの?
ルッキズムと外見至上主義
☑︎ 見た目は内面の一番外側だけど、外側で全てわかるわけじゃない
☑︎ 体型や顔面で相手の性別を否定するのは失礼
ブスは女じゃない、デブは女じゃない、そうやって人の見た目を嘲笑ったり、女でも男でもないよくわからない存在にラベリングする事をルッキズムという。
そもそも美人でもブスでも、パーツとバランスの違いでしかないから、正直中身なんてそんなに変わらない。
ランウェイを歩くモデルだって、映画に出る女優だって、そこらへんで犬の散歩をする主婦だって、誰しもがそれぞれ悩みや課題がある。
無様な事を人は簡単に笑うけど、その無神経な言葉のナイフで、一体どれだけの人が素直に笑えなくなったのか考えた事はあるのか、と問いたい。
そもそも自分の好きな体型、ベストな体型なんて個人によって違う。
アスリートやプラスサイズモデル、オペラ歌手や主婦、伸び盛りの子供とか、あらゆる前提条件を無視して同じ美醜のまな板に載せようとするのがもう嫌だ。
そこらへんにいる人は美醜コンテストの参加者じゃないし、審判員を気取った人達とは関わり合いにもなりたくない。
どうして「〇〇女子」が嫌がられるのか
☑︎ 見た目や年齢によって女性であることを否定されて嘲笑される
☑︎ 大抵は「無知で軽薄」であるイメージを付けられている
人によって女子の解釈は変わるし、しかも年齢と外見によって勝手に女子なのか女子じゃないのかジャッジされ続ける。
黙って心の中でジャッジしてるだけならそれでも良い、内心は自由だから。
だけど、まるで幼稚な人は実に口が軽く、何も考えないまま本人をジャッジするのだ。
聞こえてるなんて思ってもいない無邪気な感想だったり、逆に虫を捕まえていたぶる幼稚園児みたいに堂々と人を嘲笑する。
ただでさえ自分が思っている普通とかけ離れた時に、エンタメのようにすれ違いの他人をコンテンツ化したりされたりする日常があって、その上で誰かから勝手にラベリングされ、そのラベルを見た誰かに勝手に嘲笑される。
酷い時には名誉毀損に当たるような感想や言葉を、あっちこっちで撒き散らされる。
ラベリングは嫌って言うのは、つまり、誰かの顔色を伺って、私は女子なのか女子じゃないのかとか、そんなくだらない事で悩みたくないって事だ。
性別に対する偏見
そもそも、性別に対する偏見が「〇〇女子」「〇〇男子」には含まれている。
いわゆるステレオタイプってやつだ。
スイーツ男子なんて、その典型例だと思う。
綺麗なケーキは女が食べるモノ、男は甘いものに興味なんてないしケーキを食べる事はない。
確かにその偏見を打ち破って、スイーツを楽しむ男性の存在を打ち出した意義は大きいのかもしれない。
だけど、その方式って「そもその男はこんな事しないって偏見」がないと成立しないし、偏見を一度認めなければいけないのだ。
偏見を強化するマーケティング
この記事を見て欲しい。
結果、美術大学と一般大学には大きな違いが見られた。美術大学のほうが、一般大学と比べて女性入学者の割合が大きく、女性教員の割合が小さいことがわかる。もっとも女性教員と女性入学者の割合の差が大きかったのは、東京藝術大学で55.2パーセント、もっとも小さかったのは関東学院大学で1.9パーセントだった。美術大学は教員と学生の割合の差が40~50パーセント台であるのに対し、一般大学では調査したうちでは元も差が大きかった首都大学東京でも19パーセントにとどまった。
また、教員の女性割合に関しても東京藝術大学は特徴がある。民間企業でも大学でも地位が上になればなるほど女性比率は小さくなる傾向(*5)にあるが 、東京藝術大学の教授の女性比率はわずか2パーセントにとどまる。衝撃的である。教員/学生間のみならず、教員の間においてもジェンダーをめぐって極端なピラミッド構造があると考えられる。一般大学では東京大学の女性教授の割合が7.8パーセントと非常に少ない。いっぽうで美術大学においても、多摩美術大学や武蔵野美術大学などは、比較的教授職の女性比率が大きいといえるだろう。
女子生徒の割合が多いという事は、女性は比較的美術に関心を持っている人が多いということだ。
それなのに美術大学で教員になれる女性は少ない。
顕著なのは、学芸員と館長の男女差だ。学芸員では女性74%:男性26%なのに対し、館長となると女性16%:男性84%と数字が逆転する。この数字について、東京大学情報学環特任准教授・竹田恵子は「統計データから見る日本美術界のジェンダーアンバランス。シリーズ:ジェンダーフリーは可能か?(1)」のなかで、次のように指摘している。
美術館は運営側に女性が多く、しかし役職に就けることが非常に少ない。
美術大学の入学者の比率も多く、学芸員の比率も多いという事は、総じて女性の方が広く芸術全般に興味を持っていると言えるのでは?
身の回りでも比較的女性の方が美術館に行っている率が高く、男性の方はそこまで足を運んでいない気がする。
それなのに、まるで若い女性が無知で芸術に興味がないような偏見を強化させる「美術館女子」の企画というのは、本当に良くないことだと思うのです。
「美術館を『映えスポット』と呼んで、作品を鑑賞する場所である美術館を、インスタグラムなどの撮影場所のようにとらえているところも非常によくないと思います。こんなふうに館内各所で撮影したら、他の来場者の作品鑑賞の妨げになってしまうのではないでしょうか。さらに、無知な観客の役割を女性に担わせているところも、ジェンダー公正の点で大きな問題だと考えています。まさに、このような無理解や不公正を問題にして批判してきたのが近年の美術であることを考えれば、大きな問題がある企画だったと思います」。
つまり、もともとの客層やファン、文脈を無視し、偏見や差別を助長するマーケティングはハッキリ言って失策です。
マーケティングとは人に向き合う事
☑︎ 安易な性別のラベリングは偏見を助長する
☑︎ マーケティングはメリットデメリットをきちんと考えて欲しい
「〇〇女子」の類はマーケティングから出てくることがほとんどだと思うけど、正直、安易に〇〇女子とか〇〇男子なんて単語を持ち出すのは、マーケティングと真摯に向き合ってない典型例だと思う。
確かに性別や年齢層でターゲットは考えるけど、でもそれってその価値観が好きそうな人を見つけるためのペルソナに過ぎない。
正直、ペルソナそのまま押し出すのは、もう古いと思う。
ペルソナから滲み出る雰囲気や言葉遣い、ライフスタイルが重要なのであって、それをそのまま〇〇女子だなんて、雑すぎるのだ。
「〇〇女子」というラベリングをして、パッケージにして勝手に人を売るのはもうお終いにしても良いんじゃない?
まとめ
☑︎ 女子という単語は全ての女性を指す事もある
☑︎ 年齢と外見で他人の性別を勝手にジャッジするのは失礼
☑︎ 偏見を助長するマーケティングには反対
☑︎ 安易に性別を誇張する「〇〇女子」「〇〇男子」を使わないで欲しい
女子という単語には女性全般も含まれるから、歳をとった女性も「〇〇女子」に対しておかしいって声を上げるのはごく自然な事だと思うし、そもそも大体の女性はかつて女の子でした。
何年経っても、今この瞬間も女の子である人も沢山います。
それに対して外見や年齢に対して揶揄したり、嫌なことを嫌と言っただけで「過激派フェミニスト」のようなレッテルを貼り、如何にも聞く価値のないような言説だと嘲笑するのは、実に残念な事だと思います。
新しいターゲット層を開拓する時には、あまりに偏ったステレオタイプ基づいてコンテンツを作成していないかチェックして欲しいです。
「〇〇女子」「〇〇男子」といった表現には、そう言った層がいる事をみんなに啓蒙する力が強いけど、ラベリングした事で別のステレオタイプを貼り付けてしまったり、他人の差別的な振る舞いを容認してしまう事もあります。
出来れば、安易な性別によるマーケティング的なラベリングは控えて欲しいし、そして、それでも「〇〇女子」を打ち出したい場合、偏見を強化していないかチェックしてほしいです。