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「いいね」が欲しくて「いいね」をするのか

「一ヶ月で〇〇人フォロワーを増やす!」みたいな記事をよく見かける。たまにわたしもちらっと読んだりするけれど、とても上手にPR方法が書かれていて、凄いなと感心する。
自分の記事の魅せ方、アクセスの稼ぎ方、フォロワーの増やし方。到底わたしの思考では考えられないビジネス的な記事だ。
ただの趣味で書くだけではなくて、発信力を高めたり、趣味以上の使い方もあるんだな、と考えさせられる。

以前、ツイッターのタイムラインで流れて来たひとつのつぶやきが衝撃的で、今でも覚えている。
「いいねの数は、人間性によって決まる。人柄のいい人がつぶやけばいいねはつくが、嫌われ者がつぶやくといいねがつかない」(あやふやだけどこんな感じだった。間違ってたらごめんなさい。)
もしこれが本当ならば、わたしはもうSNSをやめたいと思う。今もなおツイッターもインスタグラムも続けているのは、そうではないだろうという結論に至ったからだ。

確かに、知り合い同士ではこの現象はあるかもしれない。親しい友人が投稿したことには突っ込みたくなるし、知らない人の投稿はまずスルーだ。
好きな人にはコメントしたいし、苦手な人とは絡まない(苦手な人ともツイッターやインスタグラムが繋がってしまうこの世の中、行きづらい)人が多いだろう。

では、noteという場ではどうなんだろう。
ふと考えてしまった。

ここは、基本的にテキストやイラスト、音楽などの自己表現の場である。自分が作ったものを顔の見えないどこかに住んでいる人に発信できる場だ。自分の作品を、見てもらえるし評価してもらえる素敵な場所。こういう場所を求めてた!という人は、いっぱいいるはず。
だとしたら。
ここでのいいねの質とか数とかって、どんな意味があるんだろう。

わたしは基本的に人の文章を読むのが好きすぎるので、暇さえあればエッセイのタグを漁って読み漁る。いいなこれ!って思ったら特に本当に何も考えずにいいねしちゃう単純の極みである。

でも、もしかしたら。
noteのスキにも、ツイッターで流れて来たつぶやきのような意味合いが含まれている場合もあるのかも知れない。と、ふと思った。わからないけれど。
フォロワーを増やしたいから、あえていいねでアピールする(よくわからないですが!)人が、もしかしていたりするのだろうか。もちろんそれはひとつの営業というか自己アピールだからいいのかもしれないけれど。
いいねの意味を考え始めたら、わたしは止まらない。

フェイスブックやツイッターなど、友達や先輩とつながっているアカウントでもわたしは発信する。だからこのnoteは知り合いも見ているし、「あの記事読んだよ!」といきなり知人から連絡がきたりもする。
だけど、不思議なことに「あの記事読んだよ!」といってくれる人は、いつもはいいねをしない人だ。え、あなたが読んでくれたの!という意外な人が読んでくれている。
そんな自分の経験から、別にいいねの数にこだわらないようになったのだけれど。noteは顔の見えない誰かに発信するものだから、読んだよ!的な意味でいいねが欲しい、というのがわたしのnoteへの意見だ。
このわたしの主観満載自己満な記事に、いいね!読んだよ!がくると嬉しい。コメントも嬉しい。

大衆向けの記事を狙えば、きっと認めてもらいやすくはなるけれど。
わたしみたいに尖りきった記事を書く人は、発信にある程度恐怖を感じてしまうと思う。わたしがそうだからいうけれど、「自分はこれが書きたい!例え誰に何を言われても!」みたいなものがあると、書くのがある日怖くなる。まじでこんなの書いちゃったよ、こんなの発信しちゃったよ、やばい女って思われたらどうしよう。そんな風にいきなりネガティブになって反省することも珍しくない。

だからこそ、確固たる意志を持って綴ったこのわたしのnoteをフォローしてくれたら嬉しいし、さらに反応してくれたら「書いてて良かった」ってなる。同意してくれる人もいるんだな、って。全ての人に認めてもらうものを目指すことはできないから、同じような悩みで苦しむ人たちに何かを届けられたら、と思う。

記事を書くときに、読み手の顔を想像する。画面の向こうの、こんな悩みを抱えている人に、こんな経験をモヤモヤして昇華できていない人に、わたしの経験で何かを届けたい。私自身、そして誰かのモヤモヤを言語化したい。そうやって、届けたい人たちの顔をある程度イメージして書く。

これは仕事でもいえる。届ける人の顔を想像しなければ、作り手は作り手になれない。
これができなければ、ライターとは言えない。ある種のクリエイターではあるのかもしれないけれど、ライターとはいえない。わたしはそう思う。
ライターは、書くことにプライドとある種の恐怖を抱えている。自分の発信のその先である読み手の顔を想像できて、初めて書き手になれるのではないだろうか。

何かの拍子でもしも、わたしがもしも有名になったとしたら。自分の記事がいまよりももっと多くの人の目に触れることになったとしたら。
わたしは、書く内容が変わってしまう気がしてちょっと怖い。大勢の目に触れるのも、いいねが増えるのも嬉しいけれど、書き続ける覚悟は、ちゃんと持たないとなあなんてしみじみ思う。

SNSのフォロワーにこだわるよりも。
自分の投稿は、誰に向けたものなのか。なにを伝えたいものなのか。ただの遊びでやっていないんだとしたら、少しでもいいからプライド持ってやってるんだとしたら。
クリエイターならば、それが明確にできているかどうかが一番大切なんじゃないかって、わたしは思うのです。

#エッセイ #SNS #Twitter #note編集


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