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ブスを代表して、全ての男性に告ぐ

いじられて笑えるようになったのは、いつからだろうか。「お前、ほんとブスだよな」と言われ、わたしの顔が不特定多数の笑いの的となることに、なんの違和感も覚えなくなった。
飲み会で不定期にやってくるその瞬間は、もう一つのイベントみたいなものになっていて、その場でヒスになって泣き出したりせず、上手に対処できるようになっていた。
聞き分けのいいブス、ちょっと大人なブス、身分をわきまえているブス。

そのどれに自分が当てはまっているのか、当てはまってしまっているのかは、自分じゃわからない。結局どれであってもブスだから、別になんでもいい。

周りがからかう言葉に乗じて「自分がブスであること」を、面白いネタとして話せるようになった。
「今日、出勤する時に犬のフンを踏んじゃってさ」、多分そんなことと同じテンポで「わたしブスですから〜」って言える。どういう態度でいれば正解か、わからない。話しやすい感じでいて、わたしが心を相手に開きかけたその瞬間、火あぶりの刑みたいにブスの雨が降ってくる。

無理やり笑う痛いわたしを、女の子はどう見るんだろう。友達はどう見てたんだろう。こんなことを書くわたしを、親友はどう思うんだろうか。面白キャラって、グループに1人いればいいんだろうけど。わたしの顔が「ブス」であることって、面白いんだろうか。

わたしがからかわれる隣で、その的にならずに済んでた女の子たち。隣で男どもと一緒に笑ったかと思えば、時には「さくはブスじゃないから!」と無作為に庇ったり、気の毒そうな顔をして心配をしてくれたり。どれが本当の顔なんだろう。
そんなの心底どうでもいいけど、少なくとも彼女らは、クソ男のからかいの的から外れているわけだから、安全な場所にいていいなって思ってた。いいよな。
ブスの隣にいる女は、可愛く見える。これ、合コンの鉄則。覚えとけ、男。

あと何回笑って受け流すんだろう。あと何回、あの不快なイベントをやり過ごさなきゃいけないんだろう。
人付き合いを見直した最近では、もうだいぶ心ないことを言われることもなくなって、むしろそんな事を言う奴が大体ゴミクソなんだと言うことにも気づいた。
あんなやつらに傷つけられてたなんて、屈辱だ。体力の無駄遣い。馬鹿馬鹿しい。

大人になるにつれて、「ブス」と言われることは減った。顔で判断されることは、仕事の場であまりない。 わたし自身、ビジネスシーンにおいて顔で相手を判断したことはないし、わたしの顔がネックになった場面は、いまのところない。
もしかして、周りも一緒に大人になったのかもしれない。 本質は変わらず、きっとわたしを笑ってたあいつらはあのまま大人になったんだろうけど。言っていいことと悪いことの区別くらいはわかるようになってたりするのかな。
今頃きっと、どこかの女性に愛されているのかもしれない。「顔」がブスじゃない誰かに。男はブスとは付き合わないらしいし、多分そうなんだろう。

誰かがわたしを「好き」というたびに。
「可愛い」というたびに。

怖くなる。

具合が悪くなる。重たいものが急に心にのしかかる。いつからそうなったのか、気づいたらこの有様だ。
その人が嫌いになる。信じられなくなる。
好きなのに、嫌いになる。
「こんなわたしに可愛いとかいって、頭おかしいんじゃないの」って思ってしまう。
自分が自分を嫌いなのに、誰かに好かれても自信が出ない。
とことん自己肯定感が低くて、こじらせている。
最近はだいぶ変われたなとは思うようになったけれど、どんな変化も過去を変えてくれない。
仕事で大きな成功を収めたとき、ああわたし生きてるなって思えるようになった。結構自分、やればできるんだなって、褒められるようになった。

それでも、頑張れば頑張るほど孤独になる。
仕事を頑張っても、女としてのいいことはあまりない。
男性だったら、仕事が男としての価値に直結しやすいけれど、女性はまだそんなことない。
たくましくなって、強くなって、1人で生きていけるようになってしまって。
上手に甘えて、結婚して、お金をかけて綺麗になって、人妻になっていった彼女たちに。
かける言葉が見つからなくて、直視できない。
働かなくても、生きていける世界が。家で家事をして誰かに愛される居場所が。
わたしにはないものが、いまはやけに羨ましいのかもしれない。

中学生の時、好きだった人に「あんなブス、好きになるわけねーだろ」と言われた。
それまで好きだといってくれていたのに、わたしが学校で女子にいじめられるようになってから、手のひらを返された。

違う人には、「お前の子供はどうせブスなんだろうな」と言われたことがある。好きな人に、一番言われたくなかった。
ちゃんと笑って流したけど、あの後あの場でなにを話したか、覚えてないくらい嫌だった。

「ブスにはブスって、立場をわきまえてもらうためにも俺は言う」って堂々と言っていたあの男。
あいつ、何様だったんだろう。それ、何の意味があるの?
わたしがブスであると決めつけて、自信をなくさせ、可愛いランキングカースト下位に位置付けさせ、「わたしはブスです」と自覚させて、なにがしたかったの?
「ブスなお前とも仲良くしてる俺、心広い」とか思ってたりした?
滑稽。「俺はわかってるから」みたいなその態度、笑える。草生える。その草で大草原できそう。

言われた言葉が消えなくて、早く死にたい。
気をぬくと思い出してしまう。うまく行っているときに限って、思い出す。

たとえいつか、大好きな誰かと結婚したとしても。子供ができても。
きっとわたしは、どこか素直に喜べない。嬉しさと一緒に、不安でたまらなくなる気がする。
生まれてきた子は、わたしの遺伝子のせいでブスなのかもしれない。
わたしみたいに、ブスだといじめられるのかもしれない。
傷つくのかもしれない。
わたしのせいで。
私に似ないでって、心の底から思う。

だから、一生結婚しないと思う。

いつかわたしを好きだと言ってくれる人が現れたら。そしてわたしも、結婚したいと思える人ができたとしても。
明日世界が終わるそのときまで、結婚しない。

長年言われてきたことを、そう簡単に気にならなくなるなんてこと、できない。
そんなラクに、克服なんてできない。
「可愛いよ」も「俺は好きだよ」も、どこか信じられない。
容姿を褒められると、すぐに疑う。不安になる。本当はどう思ってるの、って。

いつも、洗脳みたいにこびりついてる。
「わたしは、ブスだ」って、ずっと頭の中で響いてる。
治っても治っても、また出血して、致死寸前で回復する。その繰り返し。

「本当にブスなやつに、男はブスなんて言わないから」。
そんなの百億回聞いた。慰めセリフのテンプレ乙。
笑わせんな。虫酸の走る台詞、気持ち悪い。その顔面を往復ビンタして腐った生卵の海に沈めて湯で沸かしてやりたくなるから、もう言うな。

ブスじゃないやつに、男はブスって言わない。
絶対に、言わない。
心のどこかで「こいつは言っても大丈夫なブス」って思っているから、その言葉の通りの言葉を吐いているだけだ。ちょいブスだろうが、なんだろうが、どこか人の顔を見下している。
この程度で自分のことを嫌いにならないと、嫌いになられたとしても所詮こいつの顔は「ブス」、顔が整っていないということだけで、女としての価値はそれだけでそいつにとって低いのである。
惚れている相手に、間違ってもブスだなんて言わない。
言わない。言ってなかった。少なくとも、私の周りの男は言ってなかった。
相当天邪鬼で、いやいや素直になれよ!と言わんばかりのへそ曲がりはいたけど、とりあえずみんなの前で女の子に「ブス」とは言ってなかった。
周りの目は怖くて相手の態度を観察しまくりだったからこそわかったこと。
わかりたくなかった、言われたくなんてなかった。

「お前ブスだな」に匹敵するくらい、男性がショックな言葉ってなんだろう、って考えたことがある。
「低収入ですね」とか「セックス下手そうですね」とか「モテなさそうですね」とか。
同じダメージを食らえばわかるんじゃないかって思ったけど、そこまで考えて虚しくなった。
ここまでこじらせたくせに、誰かに同じ思いになってほしいとは願えなくて、変なところで偽善者な自分が嫌になる。
バカにされても、誰かをバカにしたいと思わなかった。バカにしてきた相手が悪いんじゃなくて、バカにされる自分が悪いと思ってしまう。
めちゃくちゃに相手を恨めればいいのに。それさえできない。


できることなら、わたしだって。
わたしだって、可愛く生まれたかった。

わたしだって、あの子みたいに、あの人みたいに、あなたが好きなあの子みたいに、可愛く生まれたかった。
せめて「ブス」って言われないくらいの、普通の、平均でいい。
とびきり可愛くなくていいから、今よりもう少しだけ整っていたら。
わたしのことをブスって思う人が1人でも減る状態になれるなら。
もうなにもいらない。

ちょっとだけ可愛かったら。
整形したいなんて思わなくてすんだ。
容姿に苦しんだりしないですんだ。
あの場で馬鹿にされて、笑って流したその瞬間も、笑う自分の顔が気になって誰とも目を合わせられなくて、そんな。
生きているのに地獄にいるみたいな状態になんて、きっとならなかった。

可愛ければ、整形しなくていいからお金だってかからない。
可愛ければ、馬鹿にされなくてすむから自分を嫌いにならなくていい。
可愛ければ、電車の窓に映る自分の顔を見て泣きたくもならない。

そんなものは、願っても叶わない夢物語だ。考えれば考えるほど虚しくなるだけの、おとぎ話だ。
少し目を瞑れば、もしかしたらわたし、明日は可愛くなれてるかもとか。少しだけ目が大きくなってるかもとか。もうすこし体型に自信を持てるかもとか。
そんなふうに、いつのまにか未来に「奇跡」を望むようになった。
恋愛で奇跡を望むようになったら終わりって、昔どこかで聞いたことがあるけれど、この先の自分にそれが降りかかることを夢見てしまっているんだから、もうそれまでだ。
努力して努力して、少しでも可愛くなりたくて、せめてブスじゃない自分になりたくて。
高い化粧品で身を繕ってみても、自信なんてでなかった。

傷ついた分だけ優しくなれるなんて、誰が最初に言ったんだろう。
言われて嫌なことを言おうとか、わざわざ嫌がらせをしようとかなんて、思えない。同じ目にあってほしいとかなんて、思わない。
ブスだって言われて嫌なことを知ってるから、人に言う気にもならないし、容姿で人を評価するなんて気持ち悪いと思ってる。
そういうのって、傷つかないと気づけないことなんだろうか。言ってはいけないことって、言われた人しかわからないんだろうか。何そのシステム。

理不尽は人をこじらせるし、暗くさせるだけだって思ってる。
負の感情をプラスに変えるなんてこと、循環マシーンじゃないんだからいつまでもできるわけない。

わたしは、整形できない。できなかった。
前金まで払ってカウンセラーまで行って、じゃあ明日手術しますってときに、母の顔をみてガン泣きした。
ごめんお母さんって思いで、何に謝ればいいのか、何か悪いことをしたのか、全部わからなくて泣いた。
物理的に顔が腫れてその日できなくなったというオチと、「やめます」っていったときの安心感が忘れられない。
きっとしてたら、今もしてる。
嫌いなとこが一つ治ったら、嫌いなところがまたできて、直して、できての繰り返しだった。
それくらい嫌なところが多すぎる。わたしみたいな人間が、簡単に手を出していいことではない。

本心から整形する人は、多分いない。
今までの人生を共に歩んだ顔を変えるのは怖い。怖いし、悲しい。
できることなら、このままでいたい。このままの自分を、可愛いと言って認めてほしい。求めて欲しい。愛してほしい。
でも、それが叶わず泣いてきたから。馬鹿にされて傷ついて、顔を見るたびに死にたいと思うくらいなら。
変える怖さよりも、顔が可愛くなった人生を選ぶのだ。きっと、そうだ。
その勇気は、絶対的なもので、相当なものだと思う。

整形を批判したり、云々かんぬん。
お前ら暇か?ってくらい、誰かが顔を変えることに過敏に反応する世論の醜さ。
相手の人生に責任なんか持てないくせに、自分の意見を簡単に押し付けて。
やれ整形は悪だ、持って生まれた顔に傷をつけるなだの、いい加減黙れ。
泣いて泣いて悩んで、どうしようもない罪悪感とか、親のこととか、友達のこととか。
死にたいくらい悩んで決心して、可愛くなろうってその人が決めたんだから、それに対してあーだこーだいうのはお門違い。
それを公言するのも、誰かに話すのも、本当は自信なんてないからで、わかってほしいからだってこと、その小さな心の叫びすら踏んづけて、傷つけて、何がしたい?

そのあなたの何気無い「ブス」と言う言葉で。
女は死ぬ。
何回でも死ぬ。

たとえ本心ではなく、口から出ただけのものだったとしても。
死にたいくらい悲しくなることだって、あるのです。
着飾り整え、「まとも」であればいいと思って生きているのに、そしてあわよくばちょっとだけ可愛いと思ってもらえて、好きな人にはせめて普通の女の子扱いしてもらえれば嬉しいなと思っている毎日。
ブスと言われたその日には、今日のメイクも、着ている服も、なにもかもがゴミになる。全部、間違いになる。朝からやり直して、ブスと言われないでやり過ごせるまで繰り返したい。正解が知りたい。

かわいいって、思ってくれなくていい。
女の子として大切にしてくれなんて、言わない。

ただ、人として扱ってほしい。
人として、同等に扱ってほしい。
そして、ブスって思ってもいいから、言わないでほしい。わざわざ伝えなくていい。もう嫌という程聞いてきたから、自覚してきたから、生き方も模索してるから。
言わないで。お願い。
それしかもう言えない。
「こいつだからいい」なんてことはない。言われ慣れてなんかない。
いつまでも慣れない、いつまでも泣きたい。

自分に娘ができた時。
娘がされて嫌だと思うことは、周りの女性にもするなって、男性に言いたい。
娘がいじめられて帰ってきたら、怒るだろう。怒るでしょ。それを、これから父親になる自分が他者にしてると思ったら、納得しないだろうか。
娘にブスっていう父親がいるとしたら、そいつは父親なんかじゃない。男でさえも、きっとない。

優しさや思いやりがどういうものであるかは、教科書には書いていない。
人との関わり合いで、自分で考えて学ぶものなのだ。周りにいる人との出会いで、自分自身で吸収して得るものなのだ。
学び合って人間性を得る生き物なのに、相手の心を傷つける言葉を容易く言えるのは何故なのか。
口から出た言葉は、二度と消せない。目に見えなくても、ずっと残る。後悔したときには、言葉は刃物になって誰かの心をズタズタに引き裂いている。
傷つける前に、気づけ。手遅れになってからじゃ、何もかもが遅いのだ。

こんなことを書くと「被害妄想だ」「だったら整形しろ」とかなんとか言われるかもしれないんだろうけど。
そうやって、本音を隠して笑ってやり過ごしている女の子が多いって、知ってる。
からかっても何も言わない無害そうな、あなたのまわりにいる、あなたにとっては価値が低い「ブス」がいるだろう。いまその子たちは、どんなことを思って明日を迎えるんだろうな。何に傷ついて、これからどういう人生を歩もうとしてるんだろうな。その人生に、多分あなたはいない。
相手がなにも言わないからって、理解してると思うな。言えないから、弱いなんて思うな。

誰かが言わないとずっと変わらないなら。
わたしは、こうやって叫び続ける。
今日もどこかで傷ついて泣いている女の子に、自信のなさに俯いているあの子に、そして自分に。

心の中でこんなことを思っていても、また近いうちに、自分の中の「ブス」と向き合わなければいけない時がくるのだろう。
また笑って受け流して、可愛い子の隣で面白キャラになって、扱いやすい存在になっていくんだろう。
こんなこと書いてると後ろ指さされて、どこかで敵をつくるのかもしれない。書かなきゃ波風は立たないし、不安になることも少ない。

でも、それでもわたしは。

わたしは、もっとわたしを好きになりたい。好きでいていいって、思いたい。自分を好きになることが間違いだなんて、もう思いたくない。
持って生まれた自分の見た目に、泣いて卑屈になってるだけなんて、もう嫌なのだ。
ブスと言われて黙って泣くなんて、嫌なのだ。
人の評価が顔だけで決まるのならば、わたしはもう審査対象外かもしれないけれど。
その評価だけが自分じゃないって、わかった。
それだけが、女の価値じゃないってわかった。
一人で生きる力とか、お金を稼ぐために働くとか、思いやりを持つだとか。そういう人間力がなによりもの基盤で、見た目とはその後についてくるものなのかもしれないと、この歳になって思うのだ。わたしのまわりの素敵な人は、総じてそんな人なのだと、やっと気づけた23歳。

許さなかったあの人も、許せなかったあいつらも。
誰かにとっては大切な人なのだ。誰かにとっては愛しい人なのだ。
わたしにとって嫌いな人でも、誰かにとってはなくてはならない存在だ。
だからきっと、わたしが嫌いなわたしは、誰かにとってはもしかしたら必要な存在なのかもしれない、なんて。
だとしたら、大事に思ってくれてる人に失礼だって思ったのだ。誰かの大切なわたしを、わたしが大事にしていないなんて、価値を勝手に下げてしまっている。
そんなふうに変われたのは、心に元気がなくなるような言葉を平気で投げつける人たちから、そっと離れられたから。もう本当の意味で、自分の好きな人とだけいればいいと思えたからこそ。愛をくれる人とだけいれば、幸せなんだなって思えるように、やっとなれたからなのだ。

もっと成長したい。もっと、上にいきたい。
自分史上最高のわたしになりたい。
あと少し、綺麗になって。あと少し、可愛くなれたら。
差し出される本当の愛に、見えなかった希望に、戸惑わずに飛び付ける気がするのだ。自信が出る気がするのだ。
手を伸ばす先を間違わず、過ごす時間に後悔をせず。ブスだからという理由で逃げてきたものに、今度は真っ向から向かいたい。

なりたいわたしは、美人な自分じゃない。
「わたしが好きなわたしになりたい」、それだけだ。自分を好きでいられれば、それでいい。
だから、これからは自分の心に嘘をつかないで、嫌なことは嫌だというのだ。やめてほしいことは、やめてというのだ。同じことで悩んでる人がいたら、出せない声の代わりにわたしが叫ぶのだ。言えなかった過去のわたしの代わりに、今のわたしが主張するのだ。
そうやって、ちょっとずつ変わりたい。変わっていきたい。これでいいやなんて、思いたくない。

たとえ鼻で笑われても、働きすぎて女としてアウトと言われても。
自分で選んだ道だから、泥沼でも結果を出し続けて仕事をがんばる。バカにしてきた男に、負ける気なんてしない。
たとえ白い目で見られても、書くことをやめない。書いて自分が救われるから、書いて何かを変えられる気がするから、絶対やめない。勝手に笑ってろ。
ブスだから書けることがあるのなら、徹底的に書いてやる。徹底的に、吐き散らかしてやる。それが芸術になる日が来るまで、今日もわたしは綴るのだ。
ブスだけど、強く生きていきたい。ブスだから、負けたくない。
違う、ブスだからこそ。
誰にも負けないくらい幸せになるって決めたんだ。
自分にも、周りにも。バカにしてきた、あの男達にも。もう逃げたくないから、顔を理由に泣くのはやめる。


貴様の感性の中でだけでつくられた「ブス」を疑わず、平気で人様の容姿をバカにする全ての男へ。

女をなめるな。見た目だけで評価するな。ブスだって言うな。
その言葉を言った、後のことを考えてから言え。

それがわからないのなら、女に近寄るな。てかこっちから、おまえなんて願い下げだ。

こちらからは以上です。

#エッセイ #ブス #コンプレックス #整形





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