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第68回 零戦黒雲一家(1962 日活)

 なんだか命日ばかり取り上げている気がしてなりませんが、本日7月17日は石原裕次郎の命日です。

 そして、本来は『トップガン マーヴェリック』の公開日のはずでした。何度目かも分からない延期で、一体いつ観れるのか皆目見当もつきません。

 この組み合わせから出て来る映画は一つです。ジャパニーズトップガン『零戦黒雲一家』で繋ぎましょう。

 日本海軍航空隊のはみ出し者である裕ちゃんが、僻地のろくでなしばかりの基地でカリスマを発揮して零戦を乗り回すという、道具が豪華なだけでいつもの日活アクション映画です。

 撮るのは裕ちゃんの盟友にして戦争映画にかけては日本一の舛田利雄、そして原作の萱沼洋は駆逐艦時雨の機関長だった人物で、荒唐無稽に見えて日本軍のリアルが非常に巧みに描かれています。

 本当に飛行機を飛ばし、アイスマン兼グース枠の二谷英明と裕ちゃんがいちゃつき、日活バイプレイヤー陣が変態一歩手前の演技で脇を固める、『兵隊やくざ』『独立愚連隊』の日活バージョンと言うべきまことに楽しい映画です。

 そして、日本海軍にこの取り合わせとくれば、ホモ臭く仕上がるのは当然。日活アクションはタランティーノに見せたい映画ナンバーワンです。

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真面目に解説


日活スカイアクション
 映画に飛行機を出したい。これは多くの映画監督が願う事ではありますが、その反面飛行機は飛ぶだけに高くつくので難しい事です。

 この時代の日活はどういうコネがあったのかこのスカイアクションが得意でした。本当に飛行機を飛ばす映画がかなりの本数撮られています。当然、日活の映画を見るような若者はこういうのが大好きなわけです。

 本作は海上自衛隊の全面協力を取り付け、種子島に基地のセットを作って飛行機をジャンジャン飛ばします。流石に空戦シーンは特撮ですが、時代を考えれば『ベストガイ』よりはよくやったと評価すべきです。

 『トップガン』の公開された年にアメリカ海軍の志願者は例年の5倍に激増したそうですが、本作も当時非常に肩身の狭い思いをしていた自衛隊の人集めに寄与したのは想像に難くありません。

 もっとも、自衛隊に入ったところでパイロットになるのはとてつもなく困難であり、飛行機を持っていない(ヘリコプターはある)陸上自衛隊に入ってしまったおっちょこちょいも沢山居たと思いますが。

 おまけにというには余りに豪華ですが潜水艦まで出てきます。元はアメリカ海軍で「ミンゴ」と呼ばれていたお下がりですが、当時は海上自衛隊で「くろしお」として運用されていた艦です。

 飛行機ならともかく、お古とは言え機密の塊の潜水艦など滅多に貸してもらえません。資料映像としても貴重です。


テキサンゼロで行こう!
 さて、海上自衛隊の協力を得て迫力あるスカイアクションが撮れるのは良い事ですが、自衛隊は今も昔も貧乏であり、持っている飛行機には限りがあります。

 日本軍には空軍が無く、陸軍と海軍にそれぞれ航空隊がありました。一方、自衛隊においては戦闘機は航空自衛隊のシマであり、陸自と海自にも航空隊はありますが、戦闘機は持っていません。

 まして主役の零戦は世界に何機も残っていません。映画の為に借りて飛ばすなど不可能です。

 というわけで、海上自衛隊がアメリカのおさがりで持っていたT-6テキサンという練習機をそれっぽく塗装して零戦役に使っています。

 これは俗にテキサンゼロと呼ばれ、この後も国を問わず映画に零戦を出したい時の定番として重用されました。かの『トラ・トラ・トラ!』でも用いられた戦争映画の常連です。

 敵方の飛行機はもっと大胆で、P-2哨戒機とビーチクラフト18という輸送機をP-39という戦闘機と言い張り、また爆撃機としても使い回す無茶をやってのけます。

 検索するとわかりますが、それぞれ形も大きさも用途も全く違います。そもそもテキサンゼロも言うほど似ていないのです。しかし、この時代にここまでやった事に意義があります。


カリスマ裕ちゃん
 ソロモン諸島のバルテ島なる辺鄙な航空基地に、日本海軍航空隊の重要拠点であるニューギニアのラバウルから谷村雁中尉(石原裕次郎)が隊長として着任してくるところからこの映画は始まります。

 ところが隊員は他の隊を追い出されたゴロツキばかりで、谷村の零戦を機銃で迎撃する有様で、軍記は乱れ切っています。

 しかし、相手は裕ちゃんです。ドラム合戦で歌おうと、病院で煙草を吸って酒飲んで手術しようと、渡哲也を大腸がんにしようと許される、日本映画史上最強のカリスマの前に隊員たちはたちまち篭絡されていくのです。

 裕ちゃんのカリスマに男が惚れるのが裕ちゃんの映画であり、その様に古の腐女子が熱狂したのは渡哲也追悼特集で熱弁したとおりです。


木暮VS神代
 裕ちゃんの映画は男が男に惚れるのが裏のテーマである以上、盛り上がりの観点から最初は衝突しなければいけません。団長さえ最初から木暮課長にデレていたわけではないのです。

 軍記を引き締めようとイキり倒す谷村ですが、隊員は最初から素直には言う事を聞きません。わけでもボスであるワイルドで強そうな八雲上飛曹(二谷英明)が強硬に抵抗します。

 当然です。二谷英明と言えば『特捜最前線』の神代課長として石原軍団に負けず劣らずのホモソーシャル軍団を十年に渡って率いてきた豪傑であり、木暮課長においそれと従う事など出来ないのです。

 また、谷村は海軍兵学校を出た中尉であり、黒雲一家のパイロットは八雲を筆頭に全員下士官であるという階級の違いにも注目です。

 兵隊の大親分である下士官と、指揮官である将校ではそもそも人種が異なります。特に日本海軍はイギリスに範を取っているので階級制度が組織の根底にあり、同じ飛行機に乗っている乗組員の弁当の中身が階級で違ったなんて嫌な逸話もあるのです。

 八雲は故あって少尉から降格した身の上ですが、恐らく下士官からの叩き上げであり、この場合兵学校を出ている将校とは階級は同じでも待遇が異なります。谷村とは根本的に見えているものが違うのです。

 この二人の抗争が男の血をたぎらせ、女の子宮をうずかせる。当時の日活の映画はそういう仕組みになっています。


日活ダイヤモンドラインは永遠に
 ついでに、当時の日活の主演俳優達について説明しておきましょう。

 当時の日本映画は大量生産される製品であり、どこの会社も数人のスターを仕立てて順番に主演させることで映画を供給していました。

 特に日活は若者向けのオサレを重視するので、主演俳優を「日活ダイヤモンドライン」と名付けてセットで売り出していました。

 筆頭が「タフガイ」石原裕次郎であり、これに未だ元気な「マイトガイ」小林旭が続き、一番イケメンな「クールガイ」赤木圭一郎、更に若手の「やんちゃガイ(なんて無責任なネーミング!)」和田浩治が加えられて第1次ダイヤモンドラインとなります。

 ところが赤木は事故で早世し、裕ちゃんが怪我で戦列を離れた事から、ここから一枚下がった位置に居た「エースのジョー」宍戸錠「ダンプガイ」二谷英明が引き上げられて第2次ダイヤモンドラインとなります。

 しかし、第2次の二人は第1次の面々と比べて明らかに男性ホルモン過多であり、年も上です。従って第1次の面々がメインの映画においては第2次の二人は兄貴分的ポジションや敵役が多くなります。

 本作の谷村と八雲はこのジェネレーションギャップを上手く活用しており、そういう意味でもこの映画は当時の日活の映画作りの姿勢が見えて興味深いのです。


歌うが勝ち
 さて、日活映画に限った話ではありませんが、当時の映画はとりあえず主演俳優が主題歌を歌います。ついでにレコードが売れるので一石二鳥と言うわけです。

 この流れを作ったのが実は日活なのです。最初はレコード会社も嫌がったそうですが、オサレを尊ぶ若者たちから支持され、日本映画黄金時代に欠かせざる要素になりました。

 裕ちゃんはとにかく歌います。特別上手いとは思いませんが、裕ちゃんの歌は全部歌えるなんて爺さんは近所を探せば一人や二人は居るものです。それが裕ちゃんのカリスマなのです。

 本作のメインテーマである「黒いシャッポの歌」もよくよく聞けば珍妙な歌です。しかし、裕ちゃんが歌っているという一点で全てが許されるのです。カリスマとは「何をしても許される」という事なのです。


トんでる航空隊
 バルテ島はどうでもいい基地なので一応置いてある零戦はボロボロ、パイロットも二谷英明なので強キャラ設定の八雲を除いてろくなのが居ません。

 プロペラで人をはねる事故(かなり多発した)を起こして以来飛行機恐怖症のダイガクこと柴田(近藤宏)、腕が一番怪しいのに生き残って海上自衛隊で若い衆と飛びながら狂言回しを務めるヨカレンこと中北(浜田光夫)、どうにも頼りなくて不安にさせる連中です。

 これも結構リアリティのある話です。というのも、零戦は所詮貧乏な当時の日本の戦闘機なので性能に限界があり、とりわけ防御に問題を抱えていました。

 飛行機は装甲すると重くなるわけですが、エンジンの出力には限界があります。当時の日本では高出力のエンジンを開発できず、零戦は軽快さと航続距離を確保するために装甲が殆どありませんでした。

 贅沢に作られたがん場なアメリカの戦闘機は下手糞でも乗っているうちに上手くなる事が出来ますが、零戦だと下手糞は即靖国行きです。従って、零戦乗りはニュータイプと新米しかいないのです。

 そして私が大好きなのが古株で放れ駒なる異名を持つ九州ヤクザの木津(草薙幸二郎)です。ヤクザがパイロットになれるのかというと大いに疑問ですが、黒雲一家のある意味象徴的存在と言えます。

 草薙幸二郎はかの『真昼の暗黒』で主役に抜擢されて後の一番脂の乗っていた時期で、こういう胡散臭い役は絶品です。日活映画はむしろこの手の悪役俳優が肝なのです。


日活ピラニア
 何度も説明してきましたが、映画会社はそれぞれカラーがあります。本作は日活映画ですがかなり東映テイストです。

 日活の大部屋俳優は役名だけはオサレなのを付けてもらえますが、あくまでダイヤモンドラインの面々の斬られ役であり、あまり印象深い仕事をさせてもらえません。

 ところが本作は『トラック野郎』を思わせる変態一歩手前の格好の脇役たちが画面を賑やかし、一人一人にちゃんと特技に応じた見せ場がある貴重な映画です。舛田利雄の類稀な構成力が窺えます。

 谷村に機銃で脅しをかけた袈裟を着た海坊主こと遠藤(江角英明)、同じく毛皮のベストで山賊ルックの鉄砲勘太こと松木(内田良平)、そしてパイプにグラサン、腰巻というトロピカルな格好の南洋ゴロこと滝(井上昭文)、朝鮮人で整備士の崔(郷えい治)あたりは役者としても格上なので見せ場が多く用意されます。

 その後は普段チンピラ役で殴られている人たちで、妙に良い身体でモヒカンのラッパ手村上(榎木兵衛)、乳首の部分に的の描かれた変態ベストを着たポン引こと通信兵赤井(天坊準)、当たらない霊感占いが特技のコンコン様こと市原(衣笠力矢)、セーラー服に赤褌とストライクウィッチーズを先取りした通信兵のデンキヤこと亀田(天王寺虎之助)、実にアクの強い愉快な連中です。

 従兵を仰せつかった吃音のドモ久こと高塚(高品格)は流石に忠義でした。そして、井上昭文と高品格がいるという事はマルさんとゲンさんのデュアルおやっさん体制であり、心強いことこの上ありません。二人とも戦争に行った設定でしたしね。


海のサバイバル

 とは言えマルさんとヤマさんはまだ若手なので、基地その物の整備を担当する設営隊の軍属であるインテリの海野(大坂志郎)がおやっさん枠です。

 大坂志郎と言えば南町奉行所のおやっさんであり、芸能界最強クラスのゲイと噂の加藤剛に仕えていたのでこれはナイスキャスティングでしょう。

 軍属とは軍隊に雇われた民間人で、海野は少尉待遇という事になっていますが、軍人たちからはちょっと軽く扱われ、ごく潰し呼ばわりされているのが嫌なリアリティがあります。

 しかし、この海野はタロイモを育て、を育て、ヤシ酒を作り、補給がろくに来ない基地の食糧事情を支えています。これも日本軍の現実を投影しています。

 日本軍と飢えは切っても切れない腐れ縁です。当然このような自給自足が行われ、これが上手くいった部隊が生き残るという嫌な構図がありました。

 メス豚が隊員に狙われるという下品なギャグに注目です。これはギャグ協力としてクレジットされている永六輔の実に良い仕事です。

 英国海軍が紅茶のミルクの為にヤギを船に乗せ、水兵が逆に下の口からミルクを飲ませるというのは有名な話ですが、軍隊においてこの手の逸話は珍しいものではないのです。その程度の事を永六輔ともあろうお人が知らぬはずがありません。

 ちなみに、大坂志郎は日本映画史上初のキスシーン(ただし包帯越し)をやった名優であり、功労者なので最後は美味しい所を持って行きます。


飢えというリアル

 私がこの映画を高く買うのは、何気ないシーンの細々した所に日本軍のリアルが覗くところです。

 食料を入れたドラム缶が海岸に流れ着き、ガダルカナル島から漂着してきた戸沢(河上信夫)が懐かしがる必然性のないシーンが入ります。これはもろに原作の萱沼氏の軍隊経験が反映されたものです。

 このドラム缶入りの物資は艦これでちょっと有名になった東京急行とか鼠輸送と呼ばれる作戦の産物です。

 島に孤立した日本軍に物資を届ける為に、夜間にこっそり島に近付いてドラム缶を流して海岸に流れ着くのを期待するという涙ぐましい作戦で、日本軍の負けっぷりを物語る迷作戦とされています。そんな事をしなきゃいけなくなった時点で負けなのです。

 萱沼氏が乗っていた駆逐艦時雨はまさにガダルカナル島への鼠輸送に従事しました。一見必然性の無いように見える戸沢絡みのエピソードはそういう意味が込められているように思えてならないのです。

 また、戸沢は一人だけ陸軍なので激戦を潜り抜けてきた勇士なのに肩身が狭く、ガダルカナルでの経験を語ろうとするたびにちょっと馬鹿にされます。

 これは日本軍名物陸海軍の対立を象徴するシーンです。しかし、陸海軍の対立は何処の国にもあり、アメリカに至っては軍歌でディスっている事実は学校の先生は絶対に教えてくれないリアルです。


女王様とお呼び
 さて、最初は裕ちゃん特有のカリスマで無理矢理コントロールされていた黒雲一家ですが、こういうホモソーシャルの天敵、がん細胞というべき代物が流れ着きます。そう、です。

 大喜びでカヌーを漕いで拾いに行く隊員達。カヌーにちゃんとアウトリガー(波よけにカヌーの横に付いてるあれ)が付いているのが私的には高得点です。

 この元歌手でやっぱり慰安婦の奈美(渡辺美佐子)が現れた事で黒雲一家にちょっと亀裂が生じます。

 渡辺美佐子は本来助演女優で、パールラインと呼ばれる主演女優陣がダイヤモンドラインといちゃつく一方で助演や敵役の愛人なんか務めるポジションに居ます。

 これにエロエロボディと運動神経の持ち主が酒場のダンサーとして加わるのが日活映画の基本フォーマットですが、その型から外れて主演なしで助演一人というのがこの映画のホモソーシャリズムを物語っています。

 しかし、男しかいない島に渡辺美佐子です。一歩どころか半歩間違えても女一人を巡って男が殺し合ったアナタハン島の女王事件の再現は不可避です。

 ですがこれを収めるのが裕ちゃんのカリスマであり、二谷英明の男気なのです。刑事ドラマのボスにかかれば女もホモソーシャルに飲み込まれてしまうものなのです。

わんこ受けファイト
 二人のカリスマは戦闘でも遺憾なく発揮されます。空戦は特撮で安っぽいですが、当時の日本でこれ以上となると円谷のおやっさんに頼むより他ありません。その代わり火薬は出し惜しみなしです。

 戦闘機パイロットというのは5機撃墜で撃墜王であり、当時の零戦はもはやアメリカの戦闘機に性能面で完全に負けているので非常に分の悪い勝負を強いられていました。

 ですが裕ちゃんです。アメリカンヒーローのごとく敵の弾は避けて通り、自分の弾は吸い込まれるように当たります。挙句の果てには敵の戦闘機を無理矢理着陸させて分捕ってしまうのです。

 これは本当に出来たなら勲章モノであり、軍事史に特筆すべき快挙ですが、裕ちゃんのカリスマの前には朝飯前です。

 しかし、捕虜になったパイロットのタワーズ(ジャック・セラー)が当然問題を起こします。

 セラーは当時歌手としても女優としても絶頂にあった雪村いづみがアメリカで見つけた最初の亭主で、俳優でも歌手でもない単なる大学生です。なのにこんないい役を貰えたのですからある意味最強の髪結いの亭主です。


BL的に解説


日活アクションは大鉱脈
 この時代の日活の映画は近年Amazonプライムを中心にジャンジャン配信され、視聴が容易になっています。だからこそ腐女子腐男子の皆様に訴えたいのは、日活アクションは東映ヤクザ映画に勝るとも劣らない大鉱脈であるという事です。

 裕ちゃんを筆頭にダイヤモンドラインの面々は色気むんむんであり、しかも大抵二人体制です。いきおいホモ臭い展開になってしまいます。

 日活映画はごく初期に『南国土佐を後にして』を紹介し、ダイヤモンドラインの後の世代に当たるグリーンラインの一員である渡哲也の追悼をやっただけでしたが、今後私は日活にも力を入れていきます。

 本当に良いBLは腐女子腐男子の視界の外にある。その視界を広げるのがBL的映画鑑賞の使命と私は思っております。


裕ちゃんを拒めるか?
 裕ちゃんはカリスマです。何度も言いましたが、何をやっても許されますし、何をされても相手は許してしまいます。

 例えばあなた(性別不問)が裕ちゃんにブランデーを勧められて「○○さんよ、あんたの身体を一晩貸してくれないか?」と迫られたら断れますか?

 答えはノーです。団長であろうと元都知事であろうと甥っ子であろうと拒めようはずがありません。

 渡哲也追悼特集で散々力説しましたが、石原軍団はジャニーズやJACと同じ構造のハーレムであるというは昭和の昔から絶えません。だからこそ腐女子は熱狂したのです。

 というわけで、裕ちゃんは総攻めです。裕ちゃんを受けに出来る役者が存在しないとは言いませんが、そんな相手とは裕ちゃんは共演しません。それが許されるのがカリスマです。


トロピカル石原軍団
 『独立愚連隊』でも言いましたが、ホモソーシャルは突き詰めると排他性に行きつきます。黒雲一家の面々は谷村を撃墜しようとするのですから、海に囲まれている分独立愚連隊の面々より拗らせています。

 階級が全く機能していないのに注目です。これは一家が後戻りできない領域に到達している証明です。

 潜水艦でこういう現象がしばしば起きました。というのも、潜水艦は数十人しか乗っていない為、艦長から下っ端の水兵まで全員知った仲であり、人手の問題から役割分担を徹底できません。

 こうなると階級や役職は名目上の物でしかなくなり、上下関係が希薄化して一つの家族のようになってしまうのです。黒雲一家にも同じ状況に置かれており、こうなれば一家が全員夫で妻になるのは当たり前です。

 しかもあだ名で呼び合っており、盛大に火薬が使われているので既に『西部警察』のフォーマットは完成していたというわけです。

 ところが、谷村は日本刀を手に愛機を降りるや一家を整列させて絶対服従を誓わせます。裕ちゃんも若いのでスーパー攻め様気味なのです。

 一家は反発して前の隊長が毒蛇に噛まれて死んだ「事になっている」と恐ろしい脅しをかけます。これも日本軍リアルです。しかし、谷村は裕ちゃんなのでこんな脅しに乗りません。

 それどころか暴力に訴え、刃物を持った一家に囲まれて海野が豚を餌に取りなして命拾いする有様です。一家のメンバーがメンバーなので一気にいつもの日活風になるのが笑いどころです。

 しかし、谷村が出撃して八雲と互角の腕前を見せた事で一家は完堕ちします。力を見せれば認める。気持ちの良い連中です。

 ここからはもう完全に一家は谷村の大奥に変身しますが、同時に七曲署同様に存在感のある奴から順番に靖国神社へ送り込まれる消耗戦に突入します。次々墓が作られる様は飛行機だけにフライングマンのようです。

 しかし、そういう極限下でこそ裕ちゃんのカリスマは意味を持ち、一家は谷村に魅了されてついには全員小姓に収まります。かくして黒雲一家は裕ちゃんの最初の大奥となったのです。

 ちなみにこの映画、『パトレイバー』のOVAで遊馬が特車二課の僻地ぶりを例えるのに「殴り合いで友情する恥ずかしい奴」と称して引き合いに出されます。

 押井守は名うての女好きであり、篠原重工は前橋にあるのでおそらくスバルがモデルです。とすれば前身は中島飛行機であり、陸軍系の企業です。そういう感想を持つのは致し方ないのでしょう。

 しかし、特車二課は女も居るのにホモソーシャルもいい所です。男は恥ずかしいだ何だと言ってもこういうのが好きなのです。下の口は正直だぜと言うわけです。

×八雲
 裕ちゃんは総攻めですが、二谷英明は基本的に受け属性です。ご近所のはずの西部署と特命課の決定的違いはここにあります。

 カリスマとは言えあまり現場を知らない谷村に対し、半ば見捨てられた一家の現状を冷静に受け止めているベテラン八雲。腐女子なら字面だけで欲情する取り合わせです。

 八雲は一家の面々を「けだもの」だの「野外動物園」だのと評しながらも、ボスとしての責任をまっとうしようと尽くし、一家の面々もまた八雲を慕っているのです。

 ともすれば八雲にとってバルテ島は居心地の良い場所であり、谷村に引っ掻き回されるのは面白くないのです。

 海野も招いて親睦を深める為に宴会を開こうと提案する谷村に意味もなく反対するのが全て物語っています。そう、八雲はバルテ島の女王であり、谷村はゴム兜なのです。

 覚えておいてください。陸軍のコンドームは突撃一番ですが海軍のはゴム兜と称するのです。有明でNCISに絡まれたくなければこれは必須です。

 しかし、奈美の漂着で潮目が大きく変わります。谷村は奈美を牢屋に入れる事で守りますが、その一方で「たかが女一人でなんて様だ」と怒ります。

 一応奈美を尊重するのが裕ちゃんですが、その一方で谷村軍団創設の障害である奈美を恐れています。裕ちゃんは女も大層好きだったので有名ですが、谷村はガチホモなのです。

 そして谷村は最初に喧嘩を吹っかけた鉄砲勘太に処罰を命じ、殺し合い寸前になりますが、八雲が止めに入ります。

 ここで八雲は特命課課長の矜持を発揮し、谷村に力の勝負を持ち掛け、負けたら絶対服従という条件で殴り合おうとします。

 しかし、この隙に何を思ったのかダイガクが八雲の零戦に乗って勝手に出撃して撃墜されてしまいます。

 追いかけて出撃した谷村と八雲は見事なコンビネーションで敵を撃退し、あまつさえタワーズを飛行機ごと捕虜にします。

 こんなのヒロポン打ってセックスするも同然です。八雲はこの瞬間谷村というマーベリックのグースにしてアイスマンになったのです。

 八雲が谷村を助ける場面さえありました。八雲は「俺は飛行機乗りなんでな」と男気を見せますが、谷村は24時間の禁固を命じ、攻め様体勢を崩しません。

 これに対して八雲は谷村がダイガクを殺したと恨み言を言います。ボスに部下を引き渡したとて神代警部です。特命課じゃ七曲署程命は安くないのです。

 しかし、禁固刑が風向きを変えます。隣り合って牢屋に入れられた八雲と奈美は恋人だったのです。偉い人が奈美を犯そうとしたのでぶん殴って八雲は少尉から降格になり、バルテ島に島流しになってしまったのです。

 歌手から慰安婦に身を落とした奈美は自分は汚れてしまったとやけっぱちになって死んだほうがましと嘆きますが、二谷英明もまた男の中の男なので生きていることが正しいと説きます。

 そして、黒雲一家のホモソーシャル最大の危機が訪れます。南洋ゴロが抜け駆けして奈美に襲い掛かるのです。

 どうせ慰安婦じゃねえかとナイフを手に居直る南洋ゴロを殺そうとする八雲。神代警部とゲンさんの内ゲバです。警察不祥事です。

 しかし、谷村が介入して阻止し、「この谷村を信じてくれ」とポリススタイルに傾斜しつつカリスマを見せて丸く収めます。八雲はこの時、奈美への絶対の愛情に枝分かれが生じた事に気付いたに違いありません。

 ちなみに、南洋ゴロには嫁さんが居る事が後で判明します。慰安婦を必要としたのは独身者よりむしろ妻帯者であったと言われており、非常にリアリティがあります。

 段階的に八雲は谷村に一目置くようになりますが、その後の空襲で大きな犠牲が出た上、敵の上陸も近いと悟ってリバを狙い銃を谷村に向けます。奈美が止めに入りますが、裕ちゃんと二谷英明の戦いとなれば女など無力です。

 何をしてくれるでもない国家の為に死ぬのを拒む八雲。しかし、谷村は生きている限り命令をしなければいけないと突っ張ります。

 ここで裕ちゃんのカリスマが炸裂します。既に谷村にメロメロの小姓達が八雲に逆らうのです。

 それを聞いて八雲は弾を小姓の足元に撃ち込み、「そう言うのを待っていた」とついに谷村にデレます。

 「命令なんていらねえ、俺隊は一緒に死ぬ」とまで言います。ついに二人は一つとなったのです。

 海野の発案による固めの盃と盆踊りはもはや一家のホモ乱交です。英霊の盆踊りです。ホモ祭りです。

 裕ちゃんが輪の中心で太鼓を叩くのが笑いどころです。何と言っても『嵐を呼ぶ男』ですからね。そして嵐ではなく潜水艦を呼んじゃうのがカリスマです。救援要請に応えて兵学校の先輩の加藤艦長(芦田伸介)が救援に来てくれたのです。

 しかし、潜水艦は都合の良い事に二人定員オーバーだそうです。谷村は自分が残ると宣言すると我も我もと自分が残ると一家は名乗り出ます。奈美もその一人ですが、まあそれはどうでもいいでしょう。

 しかし、谷村は八雲を指名します。二人で零戦に乗ってラバウルへ逃げると言う名目ですが、これは事実上の正妻指名です。

 谷村は八雲に悪あがきの末ダウンしたタワーズをラバウルへ届けろと命令しますが、八雲は「俺の命まで助けようったってそうはいかない」と最高の笑顔で言うのです。この受けっぷりが二谷英明なのです。

 二人は一家のカヌーと潜水艦を守るために出撃します。そして見事に愛する仲間達を守り抜いて華々しく心中するのです。もはや奈美など居ても居なくても同じです。

 二人の機体が交錯するシーンは非常に意味深です。『戦国自衛隊』の砂浜デート並みのクィアシーンです。

 八雲は一応奈美に最後の別れをして、無線で谷村に「今度は戦争のない世の中に生まれ変わりましょうや」と言い残し、二人で空に消えていきます。

 これは舛田利雄が後年関わった『さらば宇宙戦艦ヤマト』にオマージュされた名シーンです。そういう意味でもこの映画は映画史上に特筆すべき一本なのです。

 ヤマトはエロいお姉ちゃんが近頃かなり増員されていますが、それでもやはり男達の物であり、海軍は男の聖域なのです。


×海野
 海野はインテリであり、明治男です。明治は薩摩や土佐のガチホモエリート達によって衆道が全国にばら撒かれた大ホモ時代であり、高等教育の現場では戦後に至るまでホモが格好良いという価値観で回っていました。ホモ純度は同じ大卒でもダイガクの比ではありません。

 しかも東北訛りです。威張り腐った薩摩や土佐の先輩に維新の事をネタに掘られる運命は避けようがなかったはずです。

 そして海野は軽んじられる半面一家の生命線であり、食料清算を統轄しています。つまり、タロイモと引き換えに一家の男達の逞しいタロイモを下の口に食わせてもらえる立場にあるのです。谷村に好意的だったのもいい男が来たからにほかなりません。

 そして、奈美の漂着を遠目に眺めて谷村に「女程厄介な物はありませんぞ」と複雑な表情をするのも意味深です。アナタハン現象を予見しているのは明白ですが、同時に下の口が飢餓の危機に瀕しているのを見抜いているのです。

 しかし、海野はおやっさん枠なのでダイガクの死に強がりながらも落ち込む谷村の辛さを見抜いて励まします。

 谷村も海野には本音を見せ、自分も含めて持て余し者と弱音を吐くのです。海野にしてみればこれはまさに男の本懐。おやっさんの面目躍如です。

 谷村が分捕ったパワーズの飛行機を飛ばせるかどうかで紛糾する一家の面々の前に颯爽と現れ、兵学校は本来四年の所を六年もかかって卒業し、命令反抗をしまくった挙句に島流しになったと谷村が来たいきさつを語るのも、寝物語に聞いたのでしょう。

 そして海野は手塩にかけた豚をそっくり航空隊に提供し、ついでに競豚と称するレースを催します。これも二人の間に何があったかを物語る材料です。

 八雲と谷村の邂逅にも大喜びするのはおやっさん特有の余裕です。水盃をやろうと言い出すのも、仲人になればコントロールが容易という裏があります。

 南洋ゴロが秘蔵していた灘の生一本が砂浜から掘り出される間に海野も隠していた軍刀を佩用して将校(待遇)の貫録を「武人の嗜み」と称して見せるのは他の一家への牽制です。あくまでイニシアチブを取ろうというわけです。

 そして海野の提案で盆踊りが盛大に行われます。ここまでくるともはや海野が事実上の指揮官です。しかし、谷村は文句を言いません。おやっさんの助言にはちゃんと従うのが裕ちゃんなのです。

 そして谷村は撤退する一家を見送って残ると言うので本当に海野に指揮権を委譲します。しかし、海野は今更自分には無理と言い出し、「あんたが息子のような気がしてたのに」とついに本音を出します。

 つまり、海野としては自分が一番年上だからとか言って谷村と残って独り占めを狙ったわけです。しかし、筋目という物があるので当然谷村は八雲を指名し、諦めた海野は人の変わったように立派な指揮官ぶりを見せて一家で敬礼し、見事に敵襲を潜り抜けて一家を潜水艦に送り届けます。

 戦後、黒雲一家の生き残りを集めて戦友会が結成されるのは間違いありません。勿論会長は海野です。

 盆踊りの日に合わせて一家は靖国神社に参拝し、特命課のビルもほど近い水交会を借り切ってバルテ島に散った仲間達の遺影を囲んで灘の生一本を呑んで盆踊りを踊り、乱交パーティーを催します。

 そこには階級も国籍も陸軍も海軍もありません。奈美の扱いだけが問題ですが、まあここは引いてもらうしかありません。

 大体、BL的云々など抜きで戦友会などという物は精神的ホモの境地なのです。それは仕方のない事です。戦争を知らない我々に口を挟む余地などありません。

×ヨカレン
 ヨカレンこと中北は谷村に対して忠誠というより崇拝の念を抱いています。谷村の教えで一人前のパイロットになれると信じているのです。

 そして注目すべきは、ヨカレンは不良少年だったのに童貞という美味しい事実です。硬派だったからと言い訳しますが、昭和初期の硬派な不良はホモに走ると決まっています。

 そして生きて捕虜の辱めを受けるべからずという日本軍のモットーを妄信していて、死を恐れているダイガクに食ってかかったりしちゃいます。相当な萌えキャラです。

 谷村の方もヨカレンに目をかけています。ダイガクを追いかけて出撃した谷村を見て「俺もヤりてえ」と羨ましそうです。その上谷村は八雲と一緒にバリバリ敵機を撃墜するのですからそりゃあ惚れます。

 そしてヨカレンは二回目の敵襲でついに男となります。おまけに1機撃墜の戦果を挙げて戦闘機パイロットの仲間入りです。

 男になったヨカレンは一皮むけてイきり始め、パワーズの放火で谷村のお下がりの零戦が燃えそうになれば「俺の零戦だ」とちょっと攻めに入ります。

 しかし、崔が経験が要るとこれを振り払い、崔は靖国神社へ行ってしまうのです。ヨカレンはこうして自分を通り過ぎて行った男達に助けられてどんどん成長していくのです。

 灘の生一本での固めの盃で媒酌人を仰せつかったのもヨカレンが一家のお稚児さんである事を暗示しています。皆ヨカレンが可愛いのです。

 谷村と八雲との別れに号泣するヨカレンは海野に「見苦しいぞ」と励まされ、谷村はヨカレンを一瞥して南海の華と散るのです。なんとも美しき悲恋物語です。

 そうして生き残ったヨカレンは海上自衛隊に入り、教官として若者を導く立場になります。そして初飛行に胸躍らせる教え子たちを前にバルテ島の思い出を回想するのです。

 当時の自衛隊は人材難もいい所で、ヤンキー漫画並みの強面隊員が揃っていました。ヨカレンはそんなやんちゃな教え子たちに谷村や八雲を重ね、教え子を特殊な街角に誘うのです。

八雲×ヨカレン
 ヨカレンは完全に谷村の物になったわけではありません。それ以前に八雲の物でもあります。奈美との絡みがそれを強調します。

 ヨカレンは二回目の敵襲でついに男となります。おまけに1機撃墜の戦果を挙げてデートその物の雰囲気である意味童貞を捨てた喜びと木津を死なせてしまった後悔を奈美に語ります。奈美はそんな優しく励まし、キスしようとしますが、八雲が駆けつけてきて未遂に終わります。

 八雲は強くヨカレンを責める事はしません。南洋ゴロを殺そうとしていたのとはえらい違いです。八雲の中で奈美とヨカレンがほぼ互角である事を示唆しています。

 それどころか、奈美に歌って見せろと強要して泣かせてしまうのですから、八雲は長い軍隊生活で黒雲一家のホモソーシャルに完全に浸ってしまっていたということです。

 これに対して女をいじめるなと男気を見せるヨカレンですが、ヨカレンの母親はどうも人に言えないような事をして息子を育てた慈母のようで、八雲は「お袋を思い出すからか?」と精神攻撃です。

 八雲は不味い事を言ったと悟ってすぐ謝りますが、ヨカレンは激高して八雲に殴り掛かります。黙って殴られる八雲。割と甘々路線の本作において特筆すべきバイオレンスポルノです。

 現実的に考えれば、恐らく戦後奈美はヨカレンと引っ付いたのでしょう。「私は汚れた女よ」と言う奈美に「奈美さんは汚くなんかない」とヨカレンは突っ張り、海野の仲人で黒雲一家一同が参列して結婚式を挙げる姿が容易に想像できます。

 微笑ましい光景ですが、そうだとすればそれは八雲との間接セックスです。息子など産まれれば奈美が嫌がっても「雁」や「甲三」と名付けるのは明白です。

 そして、ヨカレンが教え子たちにバルテ島の思い出を語る時、むしろ教え子たちが目を輝かせるのは谷村のカリスマより八雲の男気であろうと私は男の端くれとして確信しています。

 かくして日本の平和を守る為、海上自衛隊航空隊は男の魂を乗せて今日も飛ぶのです。

×ダイガク
 ダイガクはインテリです。大学に行っていたのですから、学歴で言えば旧制高校と同格とされる海軍兵学校より上です。しかし、心優しきこの美青年が大学でどうされるのかは言うまでもないでしょう。

 ダイガクは飛行機恐怖症で飛行機に乗れないはずでしたが、奈美漂着の混乱に乗じて八雲の零戦に乗って出撃してしまいます。

 これは昨晩のうちにダイガクの尻に谷村の海軍精神注入棒が飛んだのでしょう。メンタルケアにはセックスが一番です。

 八雲の零戦を選んだのが意味深です。これは谷村が自分の零戦で追いかけてきてくれるという期待を暗示しているように思えてなりません。極めて高度な誘い受けです。

 ダイガクは見事敵機を撃墜して男になりますが、救援より先に撃墜されてしまいます。海坊主のお経で葬儀が執り行われ、木津はガダルカナルじゃ誰も墓なんて作ってくれなかったと語る戸沢を殴り倒し、八雲は谷村に恨み言を言います。

 黒雲一家がいかに複雑な重婚関係にあったかダイガクは死して語るのです。そう、ダイガクもまた谷村一人の物ではなかったのです。

 戦友会で一家はダイガクの遺影を前に最後の最後に男になって死んでいった彼の勇気を讃え、ダイガクの母校の校歌を高らかに歌うのです。


×木津
 木津は北九州では名の知れたと自称するリアルヤクザであり、炭鉱夫上りである事も示唆されます。炭鉱夫でヤクザとなればもうダブル役満です。

 そして着陸してきた谷村が気絶していると考え、小便をかけてラバウルに追い返してやると未遂に終わりましたがスカトロ宣言です。ホモのレベルが違います。

 これに谷村は「ムスコの出迎えには及ばん」と返すのですから、これも永六輔のファインプレイです。

 その反面木津は一応侠客なので宴会の自己紹介で立派な仁義を切りますが、谷村は茶々を入れます。これはヤクザ同士なら殺し合いになって当然の蛮行です。

 これに対して木津はヤクザらしくサイコロ勝負を持ち掛けます。木津が勝てば谷村がヤシ酒を一気飲みし、谷村が勝ったら自分が子分になるというかなり分の悪い勝負です。

 結局谷村は一気飲みしますが、これは谷村の男としての器量を見抜いた木津が秘かに兄弟盃を交わしたのではないかと思えます。

 パイロットだけに谷村の活躍に特に感銘を受けていたのも木津の気持ちの良い気性を物語ります。谷村は兄貴分に相応しいとこの時満天下に証明されたのです。

 ともすれば、スカトロで生意気にもリバろうとしたのは好きな子に意地悪しちゃう小学生男子のメンタリティとも取れます。九州男児はいつまでも少年の心を捨てきれないのです。

 しかし、木津の幸せは長く続きませんでした。次の敵襲でヨカレンに整備状態の良い機体を譲り、撃墜されてしまうのです。

 心配する崔に仁義を切って飛び立ち、華々しく散った木津。まさに川筋者の真骨頂です。ヨカレンは自分の身代わりに死んだと墓標に酒をかけて涙を流します。

 谷村も木津が男を見せて死んだ事を嘆いている様子です。谷村がマーベリックで八雲がグースですが、同時に木津もグースだったのです。

 戦友会で一家は木津の遺影を前に彼の義侠心と見事な仁義を懐かしみ、炭坑節で踊り狂うのです。


×崔
 パイロットと整備士はデキると言いたいところですが、日本海軍では整備兵は軽んじられていました。しかも崔は朝鮮人なので微妙な立場です。

 しかし、裕ちゃんは国籍で人を差別するようなちんけな男ではありません。むしろ二番目に執着し、お誘いを拒絶したためになんじゃこりゃしたと噂のアドリブ野郎は在日コリアンであったと言われています。

 谷村は自分の命を預ける飛行機を整備してくれる崔を軽んじるような真似はしません。また、崔も整備不良の零戦で大立ち回りをやってのけた谷村を非常に尊敬しています。

 パワーズから分捕った戦闘機に谷村が乗るというので不安視する一家の面々にも崔は谷村さんは研究していたと抗弁します。

 ここで海軍と陸軍の違いに注目です。本来日本海軍には制度上朝鮮人は居ないはずなのです。一方陸軍では珍しくもなく、将軍も居ればパイロットも居ました。

 整備のスタンスも陸海軍で違います。陸軍の方がこの点では進んでいて、手すきのパイロットは整備兵を手伝うものとされ、機体の整備状況や機械的知識をより熟知していました。

 国籍で人を差別しない谷村が陸海軍の対立など意に介するはずがありません。陸軍のパイロットとの昼夜の交流を通じてこれを取り入れたとしたら?

 そう、崔は整備兵なれば機体の一部です。谷村に研究されてしまったのです。もはやちあきなおみさえもゴム兜です。

 しかし、その研究の性果はタワーズによって燃やされてしまいます。借り物の飛行機が煙を浴びるようなシーンを撮るのですから気合が入っています。

 自分の一部である飛行機の危機を救おうと奮闘する崔。しかし、彼は航空燃料に焼かれて靖国神社へと行ってしまうのです。

 民族という垣根を越えて熱く燃えた谷村と崔の愛。崔の献身で零戦だけは助かったのですから、愛は勝ったという事です。

 戦友会で一家は崔の遺影を前に男の度胸に国境などないと再確認し、アリランを舞います。


×鉄砲勘太

 内田良平はゲイがゲイであってほしいと思う俳優の一人です。あのマスクでやんちゃ者でありながら子供と詩作とチロリアンハットをこよなく愛するロマンチスト。実に色気があります。

 そして鉄砲勘太は樺太の猟師です。『ゴールデンカムイ』を読んでいる人は樺太はゲイアイランドと思っていそうですが、これは決して誇張ではありません。

 猟師は軍人より数段ホモソーシャルな男達です。俗世間と隔絶された環境下で大自然の驚異と孤独と戦う彼らの性欲が見習の少年の尻に向かうのは当然であり、機会的同性愛は猟師の通過儀礼と言っても過言ではありません。

 まして内田良平です。少年時代の彼が熊のような猟師達の中に放り込まれれば、彼の尻に村田銃が乱射されるのは当たり前です。

 当然こういう同性愛関係は長じれば掘る側に回るわけですし、内田良平は攻め属性です。なので鉄砲勘太は谷村を最初は掘ろうとしますが、裕ちゃんには勝てません。

 谷村をいきなり謀殺しようとしたのはホモの英才教育を受けた彼が黒雲一家のホモソーシャルに格別の愛着を抱いていた証拠です。暑いか寒いかの違いしかないのですから。

 そして宴会の自己紹介で「狙ったら最後外さねえぜ」とかますのも既に猟師の魂が勃起している証明です。極上のガゼールにロックオンです。

 しかし、猟師の同性愛は機会的同性愛なので、女がいると話が変わってきます。奈美の漂着とその奪い合いで先頭に立ったのは鉄砲勘太でした。

 これを受けて谷村は鉄砲勘太が発端を作ったとして処罰を命じます。一家は不服を表明しますが、谷村は「俺が統率する」とスーパー攻め様を爆発させ、遂に二人の関係は殺すか殺されるかの段階に突入します。

 スコップを手に「狙ったら最後必ず仕留める」と語るのが本気度を物語っています。スコップは頑丈かつ鋭利な凶器であり、銃剣などよりよほど危険です。

 しかし、内田良平が裕ちゃんに勝てる法は無く、八雲の介入もあって結局処罰を受ける羽目になってしまいます。この瞬間谷村に鉄砲勘太は敗れ去ったのです。

 鉄砲勘太の空しい抵抗は続き、谷村ならアメリカの飛行機も飛ばせると確信した海坊主に掴みかかって怒ります。

 多分鉄砲勘太と海坊主はデキていたはずです。一緒に撃ちまくる仲ですから、お互いの尻に撃ちまくったのでしょう。それだけに鉄砲勘太はホモのジェラシーを燃やしてしまったのです。

 ところが、この分捕り飛行機にパワーズが放火した事で谷村と鉄砲勘太は急接近します。消火活動に夢中になるあまり危うくプロペラにはねられるところだった鉄砲勘太をタックルで助ける谷村。しかもうまい具合に死なない程度にケガするおまけつきです。

 裕ちゃんにこんな助け方をされれば当然ですが鉄砲勘太は急激にデレ始め、崔を殺してしまったと嘆くヨカレンに「俺だって危うく隊長を」とのろけながら励ます有様です。もはや鉄砲勘太は少年の心に戻ってしまったわけです。

 続く空襲では二人仲良く機銃で敵を迎撃します。こんなものは本当は焼け石に水なのですが、二人で4機も撃墜して犠牲者を出しながらもどうにか敵をやり過ごすことに成功するのです。

 もう鉄砲勘太はメロメロで、反乱を企てて谷村を殺そうとする八雲に掴みかかり「俺からやってくれ」「俺は隊長と一緒に死ぬぜ」と樺太犬受け宣言です。

 これに他の小姓達も呼応しますが、最初に名乗り出たアドバンテージは非常に大きなものがあります。鉄砲勘太は狙った獲物は逃がさないのです。

 俺が最初に名乗り出た。これは戦後に戦友会の集まりで一家と再会しても鉄砲勘太の自慢の種です。故郷樺太も海坊主も失った今、バルテ島の思い出こそが鉄砲勘太の故郷なのです。

×デンキヤ
 デンキヤは一家とラバウルの通信を一手に引き受ける立場であり、言うなれば谷村という将軍に仕える奥祐筆です。美味しいポジションに居ます。

 最初は都合の悪い通信を握りつぶしたりと一家でも特にヤバい所業に手を染めていましたが、谷村自ら無線機を直して通信してしまうので最初に堕ちたのは彼です。

 木津たちの葬式の最中に大規模な敵襲が来るという通信を受け取って錯乱して逃げようとしますが、谷村にとっ捕まって通信所へ連れ戻され、谷村に口止めされます。

 しかし、デンキヤは相棒のポン引きを筆頭に多くの仲間が死んだので知る権利等主張して抵抗し、号泣します。

 谷村は「俺が殺したんだ」と責任を感じてうなだれてしまいます。そして最善を尽くして万一の時は一緒に死のうと説きます。

 これにはデンキヤも感激して「ワイも男や」と口止めを承知し、ついには「段々隊長さんを好きになってきたんや」「惚れてきよったんやな」と大胆な告白をします。

 つまり、一家の中でも最も露骨にホモな面を見せたのはデンキヤなのです。この観点だと八雲より彼こそがメインヒロインとさえ言えます。

 この直後の食事で豚肉に銃弾が混じっていてえずいたのを隣に座った鉄砲勘太が「つわりか?」と冷やかすのも意味深です。

 そう、あのあまりに濃厚なやり取りでもうデンキヤは実質谷村の子供を孕んでいるのです。この格好なら処女を守らねばいけないはずですが大丈夫、男の出産は肛門からなので魔力は失いません。やおい穴さえ守っていれば多分OKです。

 空襲でもデンキヤは特に必然性なく谷村に助けてもらい、裏メインヒロインの座を着々と固めていきます。

 潜水艦の到着にあたっては谷村のマフラーを借用し、自分の赤褌も使って手旗信号を送ります。これはもう谷村とデンキヤの実質セックスです。

 俺は谷村中尉の右腕だった。デンキヤは戦友会で自らの果たした重要な役割をマフラーと褌を手に誇り、空に向かって手旗信号で愛のメッセージを送るのです。


×ドモ久
 谷村がやくざなドラマーだった頃には内ゲバの過去もありしたが、なにしろ二人は宗方先生とマルさんです。従ってドモ久の忠誠心は群を抜いていました。

 ドモ久は将校に引っ付いて世話を焼く従兵であり、将校の居ない一家においては持て余し者でしたが、谷村の着任で仕える相手が出来て喜びます。

 一家の他の面々が谷村の謀殺を狙う中、ドモ久一人だけが忠義を尽くすのですから、非常に尊いわんこ受けです。

 従兵なのでドモ久は風呂の世話と洗濯も請け負います。褌を洗い、谷村を身体を洗いながら戦闘を経て一家の谷村を見る目が変わったと喜ぶドモ久に屈託のない笑みを浮かべ歌う谷村。

 もはやここは城東病院です。しかし、クロさんもトクも居ません。肛門科と泌尿器科のオペの始まりです。

 というわけでドモ久は谷村の股間の20ミリ機銃もお世話します。それがドモ久にとって無上の喜びであり、役得なのです。

 なにしろマルさんなので勘も鋭いと見えて、デンキヤと谷村がいちゃついているところへ食事の用意が出来たと桃太郎侍並みの完璧なタイミングで駆け付けるのです。

 俺が一番谷村中尉に忠義を尽くした。戦友会でドモ久は谷村の遺影に陰膳をそなえながら言うのでしょう。


×ロロ

 バルテ島の島民は退去させられましたが、孤児となったロロという少年だけが残っています。ダイガクや八雲に懐いていて、八雲に日本語でありがとうはバカヤローだと嘘を教えられてバカヤローを連呼するような可愛いショタです。

 ここでまず皆様にお知らせしたいのは、南洋において同性愛は全くタブー視されないどころか、宣教師がドン引く程盛んに行われていたという事実です。ケツの穴の小さい事を抜かす宣教師はケツの穴を広げられた挙句食われます。

 ホモ臭い男しかいない島にそういう文化に生きてきた美少年一人。食糧事情の悪いバルテ島でロロが生きていくにはどうするか?答えは一つです。戦争犯罪は避けられません。

 ダイガクの葬式でロロは泣いていました。二人の関係がどういう物であったか物語ります。

 また、ロロは敵機や奈美をいち早く発見した優秀な見張り員でもあります。慰安夫であると同時に一家に欠かせざる一員でもあるわけです。

 そして、ロロは谷村と八雲にタワーズを託され、谷村に立派な男になれと命令され、バカヤローと挨拶を交わして別れます。二人が死にに行くのも知らず、なんとも健気です。ロロは戦後谷村や八雲の言いつけ通り立派な男となった事でしょう。

 そして、更に南洋において特筆すべき文化を紹介しましょう。カーゴカルトという宗教です。

 これは戦時中に日米軍が文明の利器をもたらしてくれた事を懐かしみ、滑走路や飛行機のハリボテを作り、パイロットのコスプレをしてまた彼らに来てもらおうとする祭りで、戦後あちこちの島で流行しました。。

 バルテ島のカーゴカルトの司祭となったロロは、飛行服を着ていい男を侍らせ、盆踊りを踊らせてバカヤローと叫びながら帰るはずのない谷村と八雲を待つのです。


×タワーズ
 タワーズはジャップに飛行機ごと生け捕りにされるという軍事史にも特筆すべき失態を犯しながら終始横柄でした。

 谷村の尋問に際しても日本が負けたら実家のペンシルバニアの農場で使ってやるなどと捕虜の分際でイきり倒すのです。

 日本軍は兵隊に食わす飯もないので捕虜の扱いが雑であり、ましてパイロットはなまじ階級の高い将校なので殺されても仕方のない危険な立場です。

 例えばパパブッシュは戦時中パイロットでしたが、危うく小笠原で兵隊の景気づけに食われる所でした。タワーズは余りに向こう見ずと言わざるを得ません。しかし、そういう生意気小僧が裕ちゃんはたまらなく好きなのは彼の小姓達を見れば明らかです。

 しかし、タワーズはまんまと牢屋から脱走し、自分の飛行機を燃やしてジャングルへ逃走します。

 仲間を殺されて怒り心頭の一家は山狩りを敢行します。捕まったら頭の皮をはがされることは必定です。しかし、空襲で山狩りは中断。タワーズは命拾いします。

 そして撤退する一家を見送って残った谷村と八雲によせばいいのに待ち伏せ攻撃を仕掛けます。

 勝ち誇って高笑いするタワーズ。しかし、日本の警察力の集大成と言うべき二人の前に単なるテンプル大の学生は余りに無力でした。八雲の腕に一発食らわせただけで卒倒してしまうのです。

 二人はタワーズを殺そうとはせず、ロロに託して散りました。それを見ていたタワーズは、日本の気高きサムライの最期に涙を流して改心するはずです。
 
 そして戦争は終わり、ペンシルバニアに帰ったタワーズは近所で雑貨屋を営む同じ陸軍のパイロットの戦友を訪ね、彼の息子に自分を美化しつつサムライの英雄譚を語るのです。

 少年はタワーズおじさんの話に目を輝かせ、俺もタニムラのような男になりたいと願い、海兵隊に入って湾岸戦争でスナイパーとして手柄を立て、長じてはNCISでホモソーシャルの王国を築く。そんな乱暴なクロスオーバーにまで思い至ってしまいます。

 もっとも、ギブスはアビーやジヴァ相手でも受けのスーパー受け様なので、その辺は限りなくヤクモ寄りです。

お勧めの映画


 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

『独立愚連隊』(1959 東宝)(★★★★★)(東宝の考える戦争)
『兵隊やくざ』(1965 大映)(★★★)(大映の考える戦争)
『拝啓天皇陛下様』(1963 松竹)(★★★)(松竹の考える戦争)
『大脱走』(1963 米)(★★)(米国の考える戦争)

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 良い映画だと思った。解説が良かった。憐れみを感じた。その他の理由はともかく、モチベーションアップと資料代他諸経費回収の為にご支援ください。

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阿愛@BL的映画レビュー
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