第89回 ラッシュ/プライドと友情(2013米・独)
さて、本日はF1の開幕日であります。今年は日本グランプリがちゃんと開催されるといいのですが、こればかりは風任せです。
というわけで、F1を題材にした映画で今回はお送りしましょう。御想像のとおり『ラッシュ/プライドと友情』です。
ジェームズ・ハントとニキ・ラウダという70年代を代表するF1ドライバーのライバル関係を当時のマシンを走らせて描くロン・ハワード監督のいかにも得意そうな映画です。
腐の皆様にも観に行った人は意外に多いと思いますが、F1という特殊な社会を鮮やかに描いていて、話題性を抜きにしても実に良く出来ています。
そして、気付いたはずです。F1とはもはやホモセックス同然であると。モータースポーツは大鉱脈なのです。
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真面目に解説
2人のチャンピオン
まず、この映画の2人の主人公について説明せねばなりません。どちらも世界チャンピオンになった70年代を代表するレーサーですが、あまりに対照的です。
まずはクレジット順に従ってクリス・ヘムズワース演じるジェームズ・ハント。典型的イギリスのアホな上流階級で、命知らずで女狂いで誰からも好かれる男です。
流石にヘムズワースはソーでカーク船長の親父だけの事はあります。こういう愛される狂犬ははまり役と言えましょう。
対してダニエル・ブリュール演じるニキ・ラウダはオーストリア人。クールで堅物でリアリストで気難しいハントとは正反対の人物像です。
ブリュールは本noteで何気にトップクラスのPVを誇る『グッバイ!レーニン』に主演していた時同様堅実です。
性格も正反対ならドライバーとしても正反対なのがこのF1史上指折りのライバルの面白い点です。
ハントはリスクを恐れず限界に挑む、モータースポーツを知らない人にも分かりやすい速さを武器としています。これは昔気質なレーサー像と言えます。
対してラウダはリスクとミスを犯さず、マシンを知り尽くしているのが武器です。これは説明が必要でしょう。
というのも、レーシングマシンというのは形になったその日から絶えず改良と微調整が繰り返されるものです。どこをどう直せば速くなるのかを見抜くのもレーサーの仕事なのです。
マシンを速く走らせるのがハントで、マシンを速く走れるようにするのがラウダと言い換えることも出来ます。2人は速さの根幹まで正反対なのです。
吹き替えの裏技
本作を観に行った腐の方は多かったのではないかというのは吹き替えにあります。ラウダとハントをキンキキッズが吹き替えたのです。腐でジャニーズ好きという人は多いでしょう。
しかし、この種のタレント吹き替えは話題になる反面根っからの映画好きからは反感を買います。ましてやジャニーズはファンも多いですがアンチも多いのでリスクがあります。
そこで本作は上手いことやったというのか、金の問題か、ソフト版ではハントとラウダを東地宏樹と藤原啓治に差し替えています。どこからも文句の出ない腕利きです。
これはタレント吹き替えに対する最適解ではないかと私は思うのです。マッチのレーサー活動はどこまで言っても片手間であり、全てを捨てた森君が本物になったのと同じことです。
燃料は命
映画の中心になるのは1976年です。半世紀近くも昔の事なので、F1もその間に全く違った物になっています。
第一に、マシンの形が全然違うのが分かります。今は素人目には全部同じに見える程各チームのマシンは似ていて、なんだか3Dな感じで有機的な印象を与えます。
ところが当時は試行錯誤の時代で明らかにそれぞれの形が違うので観ていて飽きません。6輪車なんてのもあり、バリエーションに富んでいます。この時代のマシンが一番好きだというファンが今なお沢山居ます。
第二に、年に2人のペースで死ぬという恐ろしい事をラウダが述懐する点です。これは冗談でもなんでもなく、本当にこのくらいのペースで死亡事故が起きた時代でした。
というのも、安全対策という物がお留守だったのです。むしろ安全対策なんて臆病者でダサいという空気さえありました。
作中フランソワ・セベールというレーサーの死亡事故が描写されます。ガードレールの上に乗り上げて股からヘルメットまで縦に真っ二つになるという壮絶な死に様でした。
本作ではこれにこの前の年にガードレールの下をくぐって首を落としたヘルムート・コイニクというレーサーの死亡事故も詰め込んでいます。グロい事故現場のシーンはのっけから飛ばしています。そういう時代だったのです。
吹き替えない裏技
というわけで、監督のロン・ハワードはこの映画をCGをバリバリ使って撮るつもりでいました。
とは言えレースシーン以外は本物の方がいいので、当事者だったレーサーやコレクターにマシンの提供を仰ぎました。
こういう往年のマシンが走るイベントは人気を集めるので彼らも慣れたもので、何よりそういう危険な時代を生き延びた人達なので腕は確かです。
というわけで、老レーサー達がテストでスーパーテクニックを披露したのでハワードは考えを変え、彼らをカースタントに使って事故シーンまでガンガン実写で撮り、見事成功を収めたわけです。
CGで撮っていたらこれほど高くは評価されなかったでしょうし、金もかかったでしょう。レーサーたちの心意気がこの映画を作ったのです。
燃料は金
モータースポーツというのはとても金がかかるスポーツです。ましてやF1は最も権威があるのでかかる金も一番です。
従ってレーサーになるには金持ちの家に生まれる事がスタートという側面があり、普通の家の生まれのレーサーはそれだけで話題になるレベルです。
ハントとラウダはどちらも金持ちのボンボンですが、親にレーサーになる事を反対されて苦しい下積み生活を送りました。
さて、知らない人も多いでしょうがF1と言うからにはF2もあり、F3やF4もあります。数字が増えるほどエンジンが小さくなり、レーサーは下のカテゴリからスタートして少しずつステップアップして頂点を目指します。
本作はラウダとハントがF3で下積みをしていた時代から始まるのですが、そこからF1へ行くのが大変なのです。しかし、2人はその方法さえ対照的です。
持つべきは友達
ハントは友達が多く、イギリスきっての大富豪であるヘスケス卿(クリスチャン・マッケイ)が道楽で作ったF3チームで他のドライバーの女を寝取ったりしながら面白おかしく勝ちまくっています。
ヘスケス卿は後に貴族院議員になって大臣まで務めた大物で、映画では2人より年上に描かれていますが実際には同年代です。
ヘスケス卿とハントの関係は当時としてもかなり古風なモータースポーツの原風景と言えます。道楽貴族が金を出し、仲間内の腕利きが名誉の為に走る。本来レースとはそういう物だったのです。
ヘスケス卿は良い奴で、ハントをF1のひのき舞台に立たせてやる為にマシンを買ってチームごとF1にステップアップします。「F2でもF1でも経費は大差ない」という身も蓋もない事を言っていますが、これは本当の話です。
自分だけが頼りだ
ホモソーシャルその物のヘスケス軍団にドイツ人呼ばわりされて悔しい思いをするラウダでしたが、彼らになくてラウダにあるのが社会常識です。
ラウダは金を出してくれる人間が居ないので、銀行で金を借りて金のないチームからシートを買うという手段に出ます。大胆な事のように書かれていますが、これは今ではF1では避けて通れない関門です。
持参金は200万シリング=10万ポンドと語られますかが、これも時代を物語る安さです。今ならこれは1000万ドル単位です。
こうして金でシートを買ったレーサーをF1の世界では「ペイドライバー」と呼び、軽く見る風潮があります。残念な話ですが、日本人のF1ドライバーは今のところ全員ペイドライバーです。
貧乏チームだと実力より金が必要でペイドライバーを乗せる傾向があり、甚だしいと親にチームごと買ってもらったドライバーも居ます。
こういうレーサーはスポンサーに切られるとチームからも切られる運命にあり、現に今年もあるロシア人がこの情勢なのでスポンサーごとチームから切られる悲話がありました。
しかし、最初はペイドライバーでも腕で黙らせる事が出来るのも確かであり、現にラウダは3度もワールドチャンピオンになったのです。
オメコ芸者2人
さて、女の扱いも2人は正反対です。ハントは開始早々レーサーの女房を寝取ったのを皮切りに女遊びの限りを尽くし、女優のスージー・ミラー(オリヴィア・ワイルド)とノリで華々しく結婚してしまいます。
しかし、遊び人で自堕落なハントにスージーは愛想をつかし、エリザベス・テイラーと離婚した直後のリチャード・バートンと浮気して乗り換えてしまいます。これは本当の話です。
一方、ラウダはパーティーで知り合った愛人上がりでラウダが何者か知らなかったマルレーヌ(アレクサンドラ・マリア・ララ)とじっくり交際期間を置いて地味婚します。
つまり、ハントは天性のオメコ芸者と結婚し、ラウダは職業オメコ芸者と結婚したわけです。従ってマルレーヌはラウダの良い時も悪い時も連れ添い、実に良い女としてストーリーを左右します。
もっとも、2人も後年離婚してしまい、ラウダは引退後に興した航空会社のCAと再婚してしまったのは内緒です。
走る広告塔
さて、F1マシンにはスポンサーロゴが一杯付いているものですが、作中出てくるヘスケスのマシンは違います。ヘスケスは事あるごとに煙草やコンドームのロゴなんて御免だと言って自分の金でチームを運営するのです。
コンドームなんて馬鹿なとお思いでしょうが、1976年にサーティースというチームがコンドームメーカーをスポンサーに付け、BBCがこのシーズンのF1中継を取りやめたという騒動が本当に起きたのです。
煙草はイメージしやすいと思います。昔のF1マシンには大抵煙草のロゴが入っていたものです。その効果の程は、車好きの喫煙率と銘柄を確かめれば一目瞭然です。
そもそもF1マシンに広告が付くようになったのは1968年の事で、やはり煙草メーカーによるものでした。F1に限らずモータースポーツと煙草は二人三脚の関係だったのです。
これに文句を言ったのが『フォードVSフェラーリ』で名ヒールぶりを見せ、本作にも登場するエンツォ爺さん(アウグスト・ダラーラ)で、「フェラーリは煙草を吸わない」と格好良い事を言いました。
しかし、ラウダの乗るフェラーリにはマルボロのロゴがデカデカと描かれています。あの爺さんは格好良い事を言いますが吐いた唾も飲むのです。
ちなみに、作中描写されませんでしたがヘスケスは資金的に行き詰まり、ハント離脱後にはあのエロ本のペントハウスをスポンサーにして、セクシーなお姉ちゃんをマシンにでかでかと描くことになります。おおらかな時代の話です。
F1という闘争
さて、今ではF1チームは必ず2台エントリーと決まっていますが、当時は1台のチームもあれば何台も出すチームもあり、ヘスケスはハント1人体制ですが、ラウダの売り込んだBRMにはクレイ・レガツォーニ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)というチームメイトが居ます。
2台体制だと片方が駄目でももう片方が上位入賞できるチャンスがあり、広告効果も大きく、マシンの改良に必要なデータも効率的に取れます。ダーティーな事を言うと、片方が上位に行く為にもう片方が勝負を捨ててライバルを邪魔するような戦術も取られます。
チームメイトとの仲はまちまちですが、レガツォーニは優秀なベテランであり、変人のラウダがマシンを改良して劇的にタイムを縮めたのを高く買い、エンツォ爺さんにラウダを推薦して一緒にフェラーリに移籍します。
F1マシンはチームごとに性能差が非常に大きく、下位チームで印象を残して上位チームに移籍してからが本番です。果たしてラウダはハントに先んじて1975年のチャンピオンになりますが、ハントはパッとしないヘスケスのマシンに乗っているので水をあけられてしまいます。
しかし、ヘスケス卿は金を使い果たし、ハントは強豪チームのマクラーレンに強引に売り込んでようやく対等の条件で続く1976年を迎えるのです。
緑の地獄ニュルブルクリンク
問題の76年シーズンはラウダ有利で進みますが、中盤戦のドイツGPで事件が起きます。
ドイツGPの舞台のニュルブルクリンクサーキット北コースは恐ろしく危険なコースで、おまけに雨が降っているので問題になります。
というのもF1の行われるサーキットは5キロ前後が普通ですが、このコースはなんと22キロもあり、普段は森の中の道路なのでコンディションと視界が悪く、天気が悪いとある場所は晴れていてある場所は雨なんて事も起こります。
ラウダはドライバーを集めて危険なのでボイコットしようと提案しますが、結局反対多数で否決され、案の定ラウダは事故を起こして顔を大やけどして死にかけます。
この辺りから映画は露骨にBLになり、ラウダが顔の火傷も生々しく復帰したところでピークに達します。細かい話はこれからです。久々のオールナマモノでお送りします。
BL的に解説
映画に描かれなかった美味しい事実
本作はラウダ当人がほめちぎった程度にリアルですが、一つBL的には改悪と言わざるを得ない部分があります。
2人はレースで初対面して以来犬猿の仲という事になっていますが、実際は逆でした。
金持ちの息子なのに親に見放されて貧乏な二人は気が合い、あろうことか一緒に安アパートで同居していたのです。
これはもう親の愛に飢えた2人が傷を舐め合ううちに水野先生言うところの入り口を舐め合う仲になるのは当然の帰結です。そして結果として入り口が傷口になってしまうのです。
F1BL復興計画
F1がテレビで観れなくなってかなりの年月が経ちますが、30年ほど前はF1ブームで、月曜ともなれば誰もがセナだプロストだと学校や職場で講釈を垂れていたのです。
振り返ってコミケがメッセや晴海でやって居た頃、やおい界隈ではまだナマモノが無視できない勢力を持っていました。
従って先人がF1に目を付けたのは自然な事です。ともすればF1関係者はサーキットでレースではなくホモセックスをしていると言っても過言ではありません。
ライバル、友情、師弟、血縁、利害、およそBLになり得るあらゆる関係性がF1には揃っています。それが長年にわたって何重にも絡み合っているのですから、これはもう知れば知るほどBLであり、機械的知識も身に付ければ一生楽しめます。
嘘だと思うなら今やF1のオーナーであるNetflixが『栄光のグランプリ』というドキュメントを配信しているのでご覧ください。これはもうゲイポルノです。
ラウダ鬼畜攻め説
さて、忘れられたF1BLの楽しみ方をレクチャーしましょう。その根幹になるのがこれです。
ラウダのレース人生の前半は恵まれない物でした。カートを買うのさえ許されず、銀行員を自宅の屋敷に連れて行って最悪親が返済すると示してようやくレースのキャリアをスタートさせたほどです。
そして、スポンサー集めが難航したのはレーサーを断念させるために父親が妨害したからだと言われています。
この悪条件下でスポンサーを集める為にどうするか?そう、身体です。
F1ドライバーのフィジカルは皆様の想像を超えています。かのシューマッハがサッカードイツ代表とトレーニングをしたら、誰もシューマッハについてこれなかったというのは有名な話です。
かようなる逞しきオーストリア人にナチスコスプレをさせて犯したいゲイのユダヤ人は山と居るはずです。ヒトラーはオーストリア生まれなのですから。
ハイルハイルと口ずさみながら痛みと屈辱に耐えるラウダ。しかし、レーサーとはそういう職業なのです。こうして掘られて地位を築いた男が地位を盾に掘るようになる。よくある話です。
とにかく、これで企業人×レーサーというカップリングが簡単に組めるわけです。
ラウダ×マックス・モズレー
唐突なる居ない人とのBLでお送りします。このマックス・モズレーという人は何者なのかというと、ラウダがF1デビューを飾ったチームのオーナーです。
映画ではBRMに売り込んでデビューした事になっていますが、実際はこれより先にマーチというチームに金を払ってデビューしています。そのオーナーがモズレーなのです。
このモズレーという人物が大変に美味しい御仁で、父親はイギリス政界の大物にして同国のファシスト指導者で、自身も後にF1統括団体の会長にまでなりながら、女王様にナチコスプレをさせてSM乱交パーティーをした映像が流出して失脚してしまいました。
そんな変態紳士の元へ若さと才能にあふれたオーストリア人が金を持って現れればやる事は一つです。
鞭と制服を取り出すモズレー。全て承知で行為に及ぶラウダ。かくしてテストドライブが夜を徹して行われ、モズレーはシートを手に入れたわけです。
モズレーが女王様に責められていた時、父親の雄姿とラウダとの若き日の情事を考えていたのだとすれば、私は彼を責める気にはとてもなれないのです。
ラウダ×エンツォ・フェラーリ
もはやエンツォ爺さんは総受け認定になりつつありますが、あの爺さんは掘るより掘られるのが似合うと私は確信しています。
『フォードVSフェラーリ』で説明した通りエンツォ爺さんは気難しく、特にマシンへの批判は絶対にしてはいけないという暗黙のルールがありました。
ところが、空気を読まないラウダはテスト走行でいきなりマシンをこき下ろし、エンツォ爺さんを唖然とさせます。そしてラウダの指示で改良するとちゃんと走るようになるのです。
レースを知らない人はまさか栄光のイタリアの跳ね馬、天下のフェラーリが駄目なマシンを作るわけがないとお思いでしょうが、車はエンブレムで走るのではないのです。
フェラーリが長年F1で実績残してきたのは確かですが、時にはイタリアのピンキーパイと言うべき残念なのを作ってしまう事もあるのです。
しかもラウダの指示で改良するとちゃんと走るようになるのですからエンツォ爺さんは痛し痒しです。
さて、御存じのとおりフェラーリはイタリアの企業ですが、ラウダはオーストリア人、同僚のレガツォーニはスイス人です。これはF1の世界ではちょっと異色です。
この種のメーカー直営のワークスチームは特にそうですが、スポンサーの事もあるのでどのチームも自国人のドライバーを乗せたがるものです。日本人ドライバーの後ろにはいつもホンダエンジンとおやっさんの魂があるのです(時々トヨタも)
というのも、これまた『フォードVSフェラーリ』でヴィランとして登場したロレンツォ・バンディーニが事故死してマスコミから袋叩きに逢い、それからというものエンツォ爺さんはイタリア人を乗せたがらなくなったのです。
1950年に始まったF1でフェラーリが獲得したドライバーズタイトルは15。そのうちラウダが2回、ドイツ人のシューマッハが5回です。
そして、エンツォ爺さんの経歴に注目しましょう。エンツォ爺さんは爺さんなので、そのレース経歴は実に1920年までさかのぼる長い物です。
戦前のグランプリ(F1とは呼ばない)はヒトラーとムッソリーニのタニマチ合戦という側面があり、当然エンツォ爺さんもムッソリーニとズブズブでした。そしてフェラーリで勝つのはドイツ人やオーストリア人ばかり。これがどういうことか?
そう、エンツォ爺さんは独裁者フェチなのです。「あんたじゃなくて僕が走らせているんだ」などとヒトラーの口調を真似てエンツォ爺さんを鞭打つラウダの姿が容易に想像できます。
後日談になりますが、ラウダとエンツォ爺さんの関係は爛れた物になり、1977年シーズンをラウダは優勝したというのに、白紙の小切手を出して欲しいだけやると引き留めるエンツォ爺さんを振り切って移籍してしまいます。
このやりとりも2人の夜のレースの存在を念頭に置くと非常に意味深です。かように何がどう転んでもBLが見出せるのがF1なのです。
ラウダ×レガツォーニ(リバあり)
F1BLにおいてチームメイトというのは一番美味しい関係と言うべきかもしれません。
そもそも、マシンの性能差が大きいF1においてレーサーの能力を測る基準として最も便利に用いられるのがチームメイトとの成績の比較です。チームメイトに何勝何敗と言う風に表現します。
チームとしてどっちを優先するかは事前に決まっているのが普通ですが、これがはっきりしないチームだと互いにぶつけ合う内ゲバになったりセカンドドライバーがリバして関係がぎくしゃくしたりと非常に美味しい事になります。
例えば皇帝シューマッハはその異名に相応しくチームメイトを小姓扱いするのと弟のゲイ疑惑で有名でした。彼にケツを差し出すのが嫌で駄目チームへ行ってキャリアダウンしたのが鈴木亜久里だったりするのです。
その一方本当にデキているのではないかと疑うような仲良しも居たりと、チームメイトはどんな関係であろうと美味しく頂ける部位です。
さて、ラウダとレガツォーニの関係は決して悪くありませんでした。ラウダはチームに来て早々マシンの改良を指示して渋るレガツォーニを乗せ、一気にタイムを縮めて信頼を得ます。
そしてレガツォーニが去年まで居たフェラーリに復帰するのに合わせ、ラウダもレガツォーニの推薦で移籍します。
この時点でラウダは借りを作っているわけです。銀行に金を借りる必要がなくなってもまだまだラウダの負債は増えていくのです。
サーキットの職員のお姉ちゃんにモーションかけようとしたところをハントのお手付きだとレガツォーニに教えてもらい、レガツォーニの知り合いのパーティーに連れて行ってもらったりと、借金は膨らむ一方です。
挙句パーティーへ向かう車中で自分の方が腕が良いとレガツォーニに言い放ち、放り出されてしまいますが、そこで同じくパーティーを抜けてきたマルレーヌと出会うのです。レガツォーニへの恩はもはや返済不能です。
果たして、シーズンが始まるとラウダの方が速く、レガツォーニは成績で水をあけられてしまいます。とんだ三枚目です。
F1は限られたシートをドライバーが奪い合う椅子取りゲームでもあり、レガツォーニはこのままでは立場がありません。もっと古い、ホモ貴族の道楽の側面の強かった時代からレーサーをやってきたレガツォーニとしてはやる事は一つです。
便所へ連れ込んで生意気だと因縁をつけてラウダに襲い掛かるレガツォーニ。しかし、ラウダはエンツォ爺さんさえ掘っているのでレガツォーニは逆に掘られてしまったに違いありません。
それを証拠に、レガツォーニは嫉妬に狂ってぶつけてもいいところをそうせず、大人な振る舞いでラウダを尊重します。これは主従関係のはっきりした証明です。
これまた後日談になりますが、76年シーズンを最後にレガツォーニはフェラーリから解雇されます。セカンドドライバーにリバられたベテランはこうなると決まっているのです。勝負の世界の常とは言え、地獄を見て大人になったラウダとしては責任を感じてしまうはずです。
栄光のフェラーリ乗りから完走さえままならない型遅れのマシンを使う貧乏チームに堕ちて四苦八苦するレガツォーニ。酒場でふと二人きりになった時、レガツォーニは今までの恩を酒の勢いでぶちまけてしまいます。
ラウダは久しぶりにケツを人に差し出すケツ意をし、酒場はブルーオイスターに変身してオリーブの首飾りが響きます。
更に後日談になりますが、レガツォーニは80年に事故で車いす生活になり、レーサーを引退する事になります。
その後手だけで運転できる改造車で走れるようにはなりましたが、そこに至るまでどれ程の苦労があったか想像もできません。
ラウダもお見舞いくらいは行ったでしょう。走れない苦しみの分かる者同士になった今、二人の間に敵意など有ろうはずがありません。
もう掘ることはできませんが掘られることはできます。そうして病室で一つになるライバル。顔面火傷と髭のおじさんという取り合わせに目を瞑ればBLというより一昔前のエロゲの様相です。
ヘスケス×ハント
さて、ハントサイドにもクローズアップしていきましょう。何しろ英国上流階級ですからより露骨にホモです。
まずハントの経歴に注目です。彼は株式仲買人の息子であり、パブリックスクールに通いました。もうこの時点でノンケとは考えられません。
パブリックスクールと言えば男色とお尻ペンペンです。ハントは人一倍叩かれて掘られたのは明白です。
とすれば、彼が女に狂っているのは隠れ蓑です。ジェームズ・ボンドバイ説を以前提唱しましたが、全く同じ構図です。
何しろモータースポーツの世界は超ホモソーシャルなので、F1ドライバーでカミングアウトしたのは今のところ一人だけです。カミングアウトはとてもできない空気があの世界にはあるのです。
一方、ヘスケス卿は古き良きグランプリを一人でやり直そうとした情熱の男です。スポンサーを拒否し、パドックで高級料理を振舞い、一人の天才の為に尽くす。まさに古き良き貴族趣味です。そして、貴族趣味はホモです。
第一ヘスケス卿はハントが好きすぎます。ヘスケス卿は自分ではレーサーになれないと分かっているからこそハントという天才に夢を託していたのでしょう。つまりヘスケス卿にとってハントは分身であり、親友であり、夢そのものなのです。
冒頭のレースでも病院でナンパした看護婦をハントは連れて来ますが、明らかにヘスケス卿とよりいちゃいちゃしています。
ヘスケス卿はハントの女好きをも愛し、その一方で男は女以上に車を愛すると釘をさすのを忘れません。所詮女はコンドームであるとヘスケス卿は分かっているのです。
ラウダをリタイアさせて勝利を収めたハントがシャンパンファイトをするのを真正面で受けるのに至っては実質セックスです。公衆の面前で顔射とは流石変態紳士の国は違います。
ハントもカップを受け取って最初にヘスケス卿と抱き合う事からも2人の盤石の関係が観て取れます。
ハントの危険運転に文句を言いに来たラウダに敵意むき出しで応じるのはホモのジェラシーです。ヘスケス卿はレースをよく分かっています。だからこそラウダが怖いのです。そして、それは現実となったのです。
F1マシンのお披露目ではハントを目隠しして屋敷に招き入れてサプライズです。ハントは感動のあまりヘスケス卿に濃厚なキスをかまします。絶対あの晩ヤってます。
スポンサーを拒む時にやたらに「煙草とコンドーム」を強調するのも意味深です。煙草は定番ですが、コンドームはレアケースに過ぎません。
まだエイズは無い時代です。従ってホモにはワセリンがあれば十分で、コンドームの無用の長物でした。つまり、これはヘスケスの今夜OKのサインです。コンドームの要らない俺と夜のレースしようぜというわけです。
ハント1人体制というのもそう考えると損得勘定を超えた物を感じます。成績の事を考えるなら、ベテランをもう1人雇った方が確かです。
これは独占欲です。変に実績のあるベテランなど雇ってハントをセカンドドライバーにするなど、ましてやそのベテランにハントを攫われるなどヘスケス卿には考えたくもないおぞましい事態でしょう。
翌シーズンからセカンドドライバーを雇ったのもこの説を裏付けます。ハントをナンバーワンにしてからなら大丈夫だろうという計算です。
ハントもハントでマシンの出来に文句を言いつつ、ヘスケス卿の資金がパンクするまでチームを移らずいました。もっと早くに上のチームに移ろうと思えばできたはずなのに、最後までヘスケス卿と一緒に居たのは明らかに損得勘定を超えています。
結局ヘスケス卿はノースポンサー主義とハントを手放してしまいましたが、スポンサーにペントハウスを選んだのもやはりハント愛です。ハントが愛読していたに違いありません。
そしてハントのタイトル獲得の瞬間をテレビで見守り、大喜びするヘスケス卿の姿をご覧ください。そこには愛以外の何物も介在する余地はありません。
例えチームを離れても、2人の絆はチャンピオンなのです。
リチャード・バートン×ハント
またも居ない人とのBLです。スージーが浮気したリチャード・バートンと言えば英国を代表する名優ですが、彼がバイであったのは公然の秘密です。
スージーの前の妻であるエリザベス・テイラーはこれまた公然の秘密のローレンス・オリヴィエとデキていたと言って遺族は必死に否定しています。どうせ何を言っても無駄です。都合の良い方を信じるのが大衆なのです。
さて、バートンが男もイケる口だとすると、エリザベス・テイラーを捨てて二流半程度の女優に過ぎないスージーに走った事に別の意味合いが加わります。
そう、バートンの本命はハントだったのです。しかし、それは叶わぬ恋であるとすれば、嫁で妥協しようというのは自然な発想です。間接ホモセックスできます。
ハントにしたようにしてみろと命じられるスージー。しかし、すぐに飽きて捨てられてしまいました。所詮彼女は当て馬女に過ぎなかったのです。
ラウダ×ハント
さて、F1BLの可能性を長々と説いたところでついにメインディッシュといきましょう。映画の方も明らかに狙っています。
2人は初対面の時から張り合ってきました。しかも初対戦はハントが優勝でラウダはリタイアという屈辱的な物です。
文句を言いに行ったラウダをヘスケス卿とおホモ達は冷たく追い返し、ハントはラウダを「うんこ」呼ばわりまでします。
ラウダの心中は嫉妬に狂っていたに違いありません。自分は貧乏しながらやっとの思いでスタートラインに立つというのに、ハントはホモソーシャルな仲間と面白おかしくレースをして自分に勝つのですから。
ラウダはこの時なんとしてもハントを打ち負かしてやろうと決意したのです。先んじてF1デビューを果たしたのもこのライバルを打倒さんと言う執念の賜物です。
持参金200万シリングの担保はなんとラウダ自身の生命保険でした。命を賭けてでもハントに勝つというラウダの闘志に行員も心打たれたに違いあるません。
しかし、またもハントが立ちふさがります。気になるレース場の職員のお姉ちゃんはハントのお手付きだったのです。
これは女性には想像しにくいかもしれませんが男にとっては耐えがたい屈辱です。
そうこうするうちにハントの事しか考えられなくなるのがライバルBLの王道ですが、はたして2人は王道を突き進んでいきます。
パドックで顔を合わせれば喧嘩ばかりです。死亡事故の見解でさえ争うのですから、ブリジット・バルドーにフラれた挙句死んだセベールは全く立場がありません。
そしてスージーとハントの結婚式の席上でラウダがフェラーリと契約したというニュースが届きます。これは明らかにラウダの仕返しです。この日のハントはパワー不足だったに違いありません。
シーズン最終戦は逆にハントをリタイアさせてラウダが優勝し、世界チャンピオンとなってしまいます。ここへ来て完全に左右は決まりました。
おまけにヘスケス卿は破産してハントは失業。飲んだくれて引きこもっているハントにスージーは愛想をつかしてしまうのです。ラウダに心を掘られてインポになっていたのかもしれません。
マクラーレンとの交渉でもラウダを倒すという事を第一の目標に挙げる辺り重傷です。チャンピオンを倒すという以上の意味合いを持つのは言うまでもありません。
乗せてくれるなら何でもやると総受け宣言をかました甲斐あって翌シーズンの開幕戦ではハントがポールポジションを取ってちょいリバしますが、結局ラウダの方が優位にシーズンを進めます。
初優勝を飾ったかと思えばラウダがマクラーレンのマシンが微妙に規定を違反していると抗議して失格にし、改良に手間取らせてやりかえします。明らかにラウダの方が上手でハントの心はキレ痔寸前です。
サイン会での悪口の応酬に至ってはもはや夫婦喧嘩です。そんなラウダの行くところ何処へでも付いて来るマルレーヌは腐女子に違いありません。
一方、スージーと離婚して性的自由を取り戻したハントは巻き返し、逆にマルレーヌと結婚したラウダは幸せは敵とかなり空気を読めない発言をしますが、マルレーヌはそんな事を言うと勝てないと100点の回答です。コンドームどころかバイアグラです。
しかし、ドイツGPで2人の関係に大きな変化が生じます。ボイコットを提案するラウダに反対するのは、例の死亡事故の時に中止にすべきと言っていたハントの言動と矛盾します。
つまり、明らかにラウダへの逆張りです。完璧にのぼせ上っています。そして結果としてラウダはクラッシュし、牧師が呼ばれるほどの大やけどを負ってしまいます。
ハントは責任を感じてお詫びの手紙を書こうとする有様です。ラウダが休んでいる間にハントはポイントを稼いでいきますが、ラウダは辛い治療の時は常にテレビでその光景を見ているのです。
もうこれは実質SMです。ラウダはハントに追いつくために復帰しようとし、ハントはラウダ意外の誰かに負けたくないのです。マルレーヌはバイアグラですが他のドライバーが今度はコンドームです。
そうして不屈の闘志で1月半で復帰したラウダの元に笑顔で駆け寄るハント。しかし、ラウダの顔は火傷で酷い事になっていて絶句します。
この顔で一生人を怖がらせるとジョークを飛ばすラウダに責任を感じて詫びるハント。ラウダは君のレースで生きる闘志がわいたと返し、風向きが変わります。
記者会見でその顔で夫婦生活が成立するのかと失礼な質問をした記者をハントが便所へ連れ込んで鉄拳制裁するのは本作の最尊シーンです。完堕ちです。
復帰戦のイタリアGPで4位に入賞したラウダをリタイアしたハントが路肩で見守るシーンをご覧ください。完全にメスの目です。
そして最終戦となる雨の日本GPを迎えます。そりゃあもう酷い雨で、ラウダは危険を冒したくないと数周でリタイア。ハントは表彰台ならチャンピオンという条件で3位に入ります。それを見守り去っていくラウダの視線もまた熱く、もはや2人は心でデキているのを物語ります。
そして最後は「数少ない友人の一人で尊敬できる人間の一人、唯一羨んだ男」というハントへのラウダの賛辞で終わります。こんなの実質プロポーズです。
ハントは引退後早くに亡くなりましたが、この最後の賛辞はラウダの偽らざる気持ちだと私は信じます。いやあ、美しい。
お勧めの映画
独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し
『フォードVSフェラーリ』(2019 米)(★★★★★)(フランス風味)
『デイズ・オブ・サンダー』(1990 米)(★★★★)(アメリカ風味)
『グッバイ、レーニン!』(2002 独)(★★★)(若き日のラウダ)
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君が私のヘスケス卿だ