第98回 上海バンスキング(1984 松竹)
さて、去る12月8日は御存じの通り太平洋戦争が始まった日であります。とすれば1941年の今頃は盆と正月が一緒に来たような大騒ぎであった事でしょう。
この開戦日に合わせてとある戦争映画が公開され、顰蹙を買っています。12月8日に戦争映画を公開するやり方も悪いですが、ストーリーの出来も悪いとあっては、戦没者への冒涜と思われてもしょうがないでしょう。
とは言え、戦争について考えるのには良い機会であります。だから今回はちょっと変わった視点から戦争を見る映画をレビューしましょう。『上海バンスキング』です。
上海のジャズマンの伝記を基に作られ、小劇場系演劇の金字塔となった作品を原作に、監督深作欣二、更に風間杜夫、松坂慶子、平田満が『蒲田行進曲』に続いて顔を揃えた一本です。
戦争映画には思想的バイアスがかかりがちな中、そのギリギリのラインを攻めつつ戦争の悲惨さを描いた深作欣二の手腕は驚くべき物で、上海の街並みと腕利きのミュージシャンを揃えたBGMはひたすらに美しく、その一方で戦争の残酷な一面もきっちり描いています。政治的に微妙な題材はアナーキーな人がやるべきなのです。
そして、華やかなジャズシーンが戦争と政治の狭間で押し潰されていく様と、登場人物の生き様は、不気味な程現代における華やかな世界と似ています。
一方で、志穂美悦子、夏八木勲、宇崎竜童ら脇の面々も仕事も素晴らしく、戦争だ何だという話を抜きにしても見る価値のある一本です。
そして、この組み合わせになればBLになるのは避けられません。本note初登場となる風間杜夫のBL力は腐の皆様の子宮に魚雷攻撃を仕掛けてくれます。
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真面目に解説
これは映画でやるべきか?
いきなりレビューの根幹を揺るがす点に踏み込まなければいけません。これはかなり難しい問題なのです。
本作は戦前の上海で活躍したあるクラリネット奏者の伝記が基になっていますが、本来は演劇の世界で金字塔を打ち立てた伝説的な作品なのです。
劇場では監督串田和美、主演吉田日出子という組み合わせで500回近くも公演されました。驚くべきは、プロのミュージシャンは使わずに劇団員が演奏する点です。ちょっと真似できる物ではありません。
それを映画化したのが本作なわけですが、1988年には串田和美自らメガホンを取り、オリジナルメンバーを揃えて製作したバージョンも存在し、こちらも高く評価されています。
とは言え、この映画は誰にでも勧める事が出来る仕上がりなのは断言します。1984年の配給収入ベストテンにも入っていますし、丸の内ピカデリーが有楽町マリオンに移転した時のこけら落としが本作と『ポリスアカデミー』でした。
上海とは何だ?
上海が中国随一の都会である事は誰もが知っているはずですが、果たしてそれが何故なのか考えた事があるでしょうか?実は上海には歴史が無いのです。
本来の上海はあまり重要とは言えない港町でした。しかし、アヘン戦争に清国が敗れ、中国の鎖国体制が崩壊すると、上海が所謂条約港として英国との貿易港になり、租界が開かれ、これによって上海は急激な発展を見ます。
つまり、神戸や横浜のような物です。租界は最初はイギリスの物でしたが、他の国も租界を開くようになって拡大します。勿論日本もその一員でした。何しろ巨大な利権を抱えた中国との窓口ですから
88年版はロケ無しですが、本作は上海ロケが行われています。今はこれは無理です。上海は今やミラービルばかりになり、租界があった時代の面影は失われています。そもそも、大気汚染がひどくて遠景ショットは無理でしょう。
一方で、上海は俗に魔都と申します。租界は列強各国による共同租界とフランス租界に分かれており、勿論中国領もあるわけで、犯罪者は2つの租界と中国領を行き来すればまず捕まりませんでした。なので上海は発展の一方で治安が悪かったのです。
冒頭でいきなり「犬と中国人入るべからず」という看板のある公園が出てきたり、「イギリス人が競馬場とアヘンを、フランス人は劇場と売春宿を、アメリカ人はスロットマシンとダンスホールをこの街に持ち込んだ」という言葉が語られたりと、上海の繁栄の裏に潜む暗部と差別もこの映画は余すことなく描いています。
とどのつまり、インディジョーンズと同じ時代の映画だと言えば分かりやすいと思います。ああいうのが当時の上海です。
ジャズが格好良かった時代
映画は本作の為に作られたオリジナルナンバー『ウェルカム上海』を使ったOPから始まります。実に素敵な曲です。
その他にもあらゆるシーンでジャズのスタンダードナンバーが演奏され、あるいはBGMとして使われ、それ故本作はある種のミュージカルとみなされています。
そもそも、ジャズミュージシャンが主人公であるというのは時代を感じさせます。今時ジャズで生計を立てるのはプロ野球選手になるより難しいでしょう。
そして、バンスとはギャラの前借りという意味です。ジャズ喫茶で演奏する人が喫茶店のマスターに借金なんて頼んでも応じてもらえないでしょう。そもそも、大半はノーギャラのはず。
ですが当時はジャズが最先端の音楽でした。だからジャズミュージシャンは稼げる仕事だったのです。今で言えば歌い手とかボカロPみたいな位置にジャズミュージシャンが居た時代の物語です。
そういう意味でもこの映画は儚くて美しいと思います。そして、どんなに時代が変わってもジャズの良さは変わりません。本当に良い物は色褪せないのです。
深作文芸路線
深作欣二と言えばヤクザ映画、ヤクザ映画と言えば深作欣二。これは映画に詳しい人なら誰も異を唱えない黄金律です。
しかし、深作欣二という人は奇妙な二面性があり、特に80年代はこういう文芸映画を盛んに撮っていたのです。『蒲田行進曲』が深作欣二の映画であるという事自体が、よく考えれば何かおかしいのです。
本作は蒲田行進曲で大当たりをとった、風間杜夫、松坂慶子、平田満のトリオを再び揃えて作られました。これは手堅いやり方ですが、松竹よりも東映の匂いを感じる方法論なのも確かです。
単純に深作欣二は松坂慶子が好きだったのでしょう。
というのも、この組み合わせは『青春の門』に始まります。この映画は『南極物語』で知られる蔵原惟繕と共同監督だったのですが、実に面白いエピソードがあります。
この組み合わせになると、やはり深作欣二には暴力シーンばかりが回ってくるわけです。つまり深作欣二はせっかく慶子ちゃんと仕事ができると大張り切りだったのに、深作組の現場に来るのは菅原文太や若山富三郎らいつもの面々ばかり。
ついには深作欣二は「俺にも慶子ちゃんを撮らせろ!」とゴネ始め、チーフ助監督の土橋亨が蔵原組まで行って頼み込み、ワンシーンだけ譲ってもらったという素敵なエピソードが残っています。
前立腺がんの治療を拒んで死んだ漢はやる事が違います。やはり人間は性欲が原動力になるのです。だから本作は気合バリバリです。
非国民=上級国民説
さて、戦前の上海のジャズシーンにおける華やかな有様と、それが戦争によって崩壊していく様がこの映画には描かれています。
しかし、注目すべきは作中の登場人物は一様に小金持ちである事です。昨今の戦争映画のほぼ全てを占める、苦難にめげずひたむきに生きる貧乏人は基本的に出て来ません。
つまり、作中に描かれるような華やかな都市生活を満喫する人達と、凶作の度に娘を身売りに出す貧農が、当時の日本には全く交わる事なく同居していたのです。そして、そうした都市生活が戦争と共に非難に直面するようになり、このようなライフスタイルを貫かんとする人たちは非国民と呼ばれたのです。
中国との戦争の影を感じさせ、上級国民などという言葉が流行る昨今の情勢と、どういうわけか不気味なほど似ています。その辺を踏まえて、この映画を分析してみましょう。
ジャズサーのマドンナ
上海港に主人公であるクラリネット奏者の四郎(風間杜夫)と、その妻で金持ちのお嬢様のマドンナことまどか(松坂慶子)が新婚旅行と称して上陸するところからストーリーが始まります。
マドンナですって。何とも嫌なニュアンスを含んでいます。今風に言えばオタサーの姫です。実際まどかはナチュラルに男を誘惑するところがあります。
そして、金持ちのお嬢様がジャズマンに捕まるというのが当時のジャズの繁栄ぶりと、推しビジネスの危険さを物語ります。我々の曽祖父母の時代からこの展開はあったのです。
とは言え、当時すでに松坂慶子は30歳を過ぎています。無知なお嬢様で通すのは無理がある年齢です。
しかし、考えてみてください。松坂慶子の全盛期はアラサーの時期です。『愛の水中花』の網タイツ姿で世に出た時でも既に27歳。『蒲田行進曲』は30歳。本作では32歳。
これぞ美熟女です。しかも歌って踊れるとあれば、深作欣二から寵愛を受けるのも無理もありませんし、若さしか取り柄の無い昨今のネットにはびこる小娘とは次元が違います。
吹き手の四郎
一方、まどかの夫である四郎は優れたクラリネット奏者ですが、基本的にヘタレのゲス野郎であり、まどかの良心の目の前でジャズを辞めると宣言し、パリへ新婚旅行へ行くと言って1000円もの大金をだまし取り、寄港地である上海に居ついてジャズをやろうとします。
映画だからいい物を、現代ならネットで自殺するまで叩かれる所業です。いや、それを許すまどかもどうかしているのです。
そもそも、四郎は本場のジャズがやりたいという理由で上海を目指したのですが、上海のジャズは所詮二流です。本当に本場のジャズをやるのなら西回り航路でニューオーリンズへ行くべきなのです。
この辺りが四郎のヘタレぶりであり、そもそも上海は日本からパスポートが無しで行ける身近な外国だったので、この種のモラトリアム人間のたまり場のような様相を呈していました。
ジャズを弾圧する軍人を目の敵にしているくせに、いざ軍人を目の前にすると直立不動になってしまう小心さも、この男が根本的にいい加減で駄目な奴である事を端的に示しています。信念を貫き通す根性がないのです。
こういう駄目男が松坂慶子を物に出来るというのが、深作欣二らしい良くも悪くも安っぽい男女感を感じさせます。つまり、女は股間のクラリネットでころりとイくというのが深作欣二の考える女の在り方なのでしょう。
オフパコのバクマツ
四郎が上海に逃げ込んだのは、単にヘタレなだけでなく、知り合いがいたからでもあります。四郎とまどかが身を寄せたのは、当地のナイトクラブでバンドマスターをしているトランペット奏者のバクマツ(宇崎竜童)の家です。
しかし、バクマツも四郎と大差ないダメ人間で、雇い主の愛人のダンサーに手を出して大騒ぎになってしまうのです。
これは現代で言えばオフパコ云々の騒動とあまり変わりません。言い換えれば、トランペット奏者が志穂美悦子をオフパコできた時代が昭和戦前なのです。現代では吹奏楽部のトランペット奏者は軽音楽部のチャラい男に好きな女の子を盗られてしまいます。
しかし、宇崎竜童の仕事ぶりは完璧です。つまり、バクマツは破滅型のミュージシャンですから、地でやれちゃうのです。
そして、バクマツはダメ人間ですが仲間にはいいやつで、家に四郎とまどかを住まわせて奇妙なシェアハウスになります。しかも戦争が起きない限りは平和なので、死人さえ出る現代のシェアハウスとはえらい違いです。
スパチャのリリー
バクマツがNTRをかましたのが、中国人ダンサーのリリー(志穂美悦子)です。
松竹としてもわざわざ深作欣二を招いた以上、ついでに東映から一番中国人ヒロインに相応しい女優を借りてきたわけです。
チャイナドレスの悦ちゃんですから、私はもう辛抱たまりません。カラテ映画では基本的に露出ゼロの服装でしたが。本作では予想も期待も裏切らない分かりやすいチャイナドレスです。
ちょっとだけですが、悦ちゃんは勿論格闘シーンも見せます。これがないとやはりお客さんは納得しません。しかもパンチラサービスありです。流石に深作欣二は分かっています。だから私達は長渕が嫌いなのです。
とは言え、一等地に家まで買い与えられたというのにバンマスとデキちゃうリリーにも相当問題があります。やはり中国の人はちょっと倫理観が日本人と違うのでしょう。
色気を武器に男から金を搾り取る。売春は人類最古の職業であるという説を信じるのなら、いつの世もこういうやり方は若さと美しさがあれば通じるのでしょう。リリーが貢がれる事と、昨今の女性がスパチャをねだる行為は、長い桃色の線で繋がっているのです。
半グレのラリー
リリーのパパ(意味深)であり、バクマツが働くクラブ「セントルイス」のオーナーでもあるブルドッグみたいなアメリカ人がギャングのラリー(ケン・フランクル)です。「お前達の死体、揚子江に浮かぶよ」という決め台詞は何かの機会に使いたくなる中毒性を秘めています。
ラリーはバクマツに制裁する為にJACから連れてきたらしき若い衆を使ってバクマツの指を切り落とそうとして、深作欣二の文芸映画にありがちなコミカルな乱闘シーンになりますが、まどかが持参金の1000円をラリーに差し出し、四郎と一緒にセントルイスで働いて賠償すると申し出ると許してくれます。
ギャングには太っ腹な所も必要ですし、ラリーはこの映画に欠かせないコメディリリーフなのですが、これは二流のやり方です。
つまり、ヤクザであれギャングであれ、アウトローの世界ではNTRはかなりの大罪であり、女を盗られた場合は自ら寝取り男を殺す事が求められるのです。さもないと仲間に嘲笑されて飯の食い上げですす。
やはり上海に居るギャングなどは二流です。人類が居るところどこにでもアウトローは根を張りますが、結局のところ新天地を求めるのは、元居た場所で地位を築けなかった小物なのです。
上海月夜
というわけで、4人はセントルイスに出演し、『月光値千金』を歌って踊ります。バンドやバックダンサーも一流の人を揃えているので、全く見事なクオリティです。
きっとセントルイスはオビ・ワンと並ぶ高級店なのでしょう。こんなのが普通にどこのクラブでも見られるとは到底思えません。
まどかは月給300円、四郎は月給200円でラリーと契約したのがその証拠です。大工の日当が2円、大卒初任給が100円、長屋が1000円の時代なので、彼らはスキルも給料も高いのです。
注目すべきは、志穂美悦子の歌唱力です。かの有名な『13階段のマキ』で見せた破壊的な歌唱力はどこかに消え、ちゃんと聞けるレベルに仕上がっています。
そして当然リリーは悦ちゃんなので踊りも上手いわけです。この点からもリリーがどこぞのDV野郎よりは強いはずのラリーの子分を蹴り倒した事は合理的に説明できます。
悦ちゃんの師匠の師匠である大山倍達先生は言いました。「ダンサーとは喧嘩をしちゃいかんよ、キミィ!」と。つまり、ダンサーは身体能力と運動神経が優れているので喧嘩すると強いのです。
迷惑系の弘田
上海が体制に馴染めない人の受け皿だった事はさっき説明しました。これを更に裏付ける描写があります。
まどかに横恋慕するストーカーのインテリ左翼、弘田(平田満)がセントルイスに現れます。ついに銀ちゃんと小夏とヤスが揃いました。
弘田はまどかの父に娘をやると言われていたので必死ですが、まどかはジャズ屋の自由さを愛しているので取り合いません。
しかし、弘田はジャズを「うわべだけの華やかさ」だの「西洋資本主義国の搾取と圧政に成り立つ繁栄」だのとこき下ろします。
いかにも駄目なインテリ左翼の言いそうな事です。軍国主義の悲惨さと、この手の左翼の矛盾と虚弱さを同時に描けるのが深作欣二の隠れた強みです。つまり超アナーキーなのです。
そして、意外かもしれませんが、戦前の都市生活を享受できる若者にとって、社会主義者はジャズ屋と同様に格好良い物だったのです。思想を語ればモテた時代だったのです。
日本で社会主義が流行らなかった理由の一つがこれです。恵まれたインテリがファッションとして社会主義を消費した結果、社会主義を労働者が嫌ったのです。
弘田は拳銃でまどかを脅して奪おうとさえします。かなりの糞野郎ですが、ブローニングなのがよく分かっています。この拳銃は小型なので日本人には丁度良い大きさで、流行ったのです。
そこへ特高が弘田を探しに来て銃撃戦になります。そこは深作欣二なので、このシーンがむやみやたらと気合が入っています。
つまり、戦前の社会主義者は下らない私利私欲の為に拳銃を振り回すようなテロリスト連中だったので、厳しく取り締まられたのです。
マジ恋の白井
一番素敵なシーンを選ぶなら、やはり騒動がひと段落してから行われるバクマツとリリーの七夕婚でしょう。しかし、七夕というのは引き離された男女が年に一日だけ会える日なので、後の事を考えると示唆に富んでいます。
四郎は結婚式を控えながら、ジャズが弾圧される腹いせに過激な軍人批判をぶち上げますが、そこにバクマツの中学時代の同級生の白井中尉(夏八木勲)が招かれてやって来ると直立不動になってしまいます。軍服でばっちり決めた夏八木勲は物凄くセクシーです。
四郎の腰の弱さには呆れますが、これが当時の日本人の偽らざるリアルだと私は思います、つまり、なんだかんだ軍人は敬うべしという考えを国民が共有していたのです。
そこへバンドメンバーがこれ以上は無理というくらい楽しそうに『You Can Depend on Me』を演奏しながら踊り込んできて四郎はパニクりますが、白井はジャズを分かっているので大いに歓迎します。
軍人は全員がジャズを敵性音楽として憎んでいたというのも誤解を孕んだ極端な考えです。都会育ちで旧制中学に進学できるような若者なら、やはりジャズの良さも分かるわけです。
そして、この作品の特筆すべきポイントは、白井が戦争の大義について疑問を抱く日本軍人の良心として描かれる点にあります。
戦後日本の戦争映画では、将校は主役でない限り悪役であり、将校が主役でも上官は横暴なサディストとして描かれるものが大半で、将校が善玉の作品は極めて稀です。
そしてまどかは『聞かせてよ愛の言葉を』を歌い踊り、白井に薔薇の花を渡してナチュラルに誘惑しちゃいます。モテる事を自覚している嫌な女ムーブです。
女を雑に扱う深作欣二には珍しい展開ですが、これ以来白井は顔には出しませんがまどかに惚れたのが見え見えの振る舞いをします。それにまどかは気付いているの居ないのか、いずれにしても余計に白井をのぼせ上らせるような行動をとったのは確かです。
つまり、白井は歌い手にマジ恋してしまった哀れな男なのです。軍人になるのは馬鹿正直で誠実すぎる若者であるという、反戦映画では見落とされがちな現実をもこの作品は鋭く抉っています。
憧れの白十字
ジャズバンドによる『結婚行進曲』に合わせてバクマツとリリーが入場してきたまさにその時、ラリーが殴りこんできて結婚に異議を唱えます。
ところがこれはプロレスで、ラリーはバクマツとリリーの結婚をシャンパンを手に祝福し、牧師役を買って出て、結婚の誓いを破れば「揚子江に浮かぶよ」とぶち上げます。
子分が二本の白い布を使って即席の十字架を作るのが最高にクールです。もしも私が結婚する機会があれば、十字架はこの方式にしたいと思っていますが、相手が居ません。誰かいかがですか?(性別不問)
しかし、結婚式の最中に最悪のタイミングで日中開戦の知らせが届き、この映画は挽回不可能な暗い方向へと突き進み始めます。
飽きたらドンパチ
これ以降、作中の上海のパワーバランスは目まぐるしく変動し、説明が困難な程になります。
しかし、上海事変のシーンはJACと深作欣二の総力を結集していてド派手です。ただ、個々人の身体能力が高すぎるうえ、見栄え重視なのでリアリティは全然感じないのがJACの殺陣です。
これは『蒲田行進曲』でもそうでしたが、どうも深作欣二は松竹っぽい文芸映画をやると途中で飽きてこういうのをやりたくなるようです。
バクマツ達はもろに市街戦に巻き込まれ、日の丸を家に掲げる事で攻撃を逃れようとするも上手く行かず、ラリーはバンドを捨てて中立地のフランス租界に逃げ込むという展開も最高に嫌なリアルです。
アメリカ国籍のメンバー(オバQのOPで有名な石川進!)も居て、セントルイスのバンドは鉄の絆を持ちながらも、政治によって引き裂かれていくのです。
東洋鬼!
そしてご想像の通り、日本軍は捕虜を殺し始め、それを見たリリーは「東洋鬼」と泣き叫び、中国人メンバーの方さん(三谷昇)はもう日本人とジャズは出来ないと嘆き、地獄絵図です。
一応兵隊さんの名誉の為に言いますが、これは殺しをエンジョイしているという性質の物ではなく、中国軍は軍服を脱いで民間人に変装した便衣兵というゲリラを多用したので、結果として民間人が間違われて殺されたのです。
またこの種のゲリラは国際法違反なので処刑するのは法的には正当なのですが、残った写真が民間人虐殺に見えるのです。
いずれにしても、これは難しい問題なので、ノンポリを標榜する私としては、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます。
ゲスの極みども
上海事変が終わると上海に見せかけ上は平和が訪れますが、土佐弁の田舎兵隊がクラブで大手を振るうようになり、上海は大きく変わってしまいます。
バクマツは女優の岡田嘉子がソ連へ亡命したと知ってリリーに謎をかけ、四郎に至ってはアメリカ女に誑かされてニューオーリンズへ行くと称してまどかを捨てて消えてしまう有様です。
女は過酷な現実に耐えられても、男は耐えられないというのはダサい状況ですが、妙な説得力があります。そんなものかも知れません。
南京まで行った白井は上海へ戻ってきますが、四郎がまどかを捨てて逃げたものですから、まどかは白井とタンゴで踊り狂って「一緒に上海で頑張りましょう」などと言う有様です。ここはインド風に解釈して、ヤったと見るべきでしょう。卑しい女です。パリにイくにはボンベイ経由というわけです。
しかし踊り狂っている間に第二次世界大戦が始まり、軍と癒着して上手く世渡りをしていたバクマツも徴兵。リリーの駆け落ちして四川に帰って百姓をしようという誘いを拒み、出征してしまいます。
都市伝説映画
そして、ここで2つの都市伝説がフィーチャーされます。一つは、死人と漁獲物の伝説。オカルト好きなら初歩だと思うでしょう。
つまり、戦争や大津波の後は豊漁になるというあれです。白井はバクマツと癒着している兵隊に、戦争の後に中国人は上海ガニは食べないと意地悪を言って、リリーの辛い心境をおもんばかりつつ、自分も戦争の正当性や命の重みについて考えて感傷に浸ります。
そしてもう一つは、当時流行した『暗い日曜日』が自殺を誘発するという伝説。白井は満ソ国境のハイラルへの転戦を前に事もあろうにこの曲をまどかにリクエストし、まどかが弾き語っている間に消えて、リリーが言う所の「死にに行ったよ」となるわけです。
問題はまどかが編み物を手に「行く先が無くなっちゃったね」と言う所です。青いマフラーに見えますが、そんな物を女が男に贈るのは求愛行為以外の何物でもありません。
やらないか?
そこへアメリカ女に騙されて横浜に置き去りにされた四郎が戻ってきます。そしてバクマツの出征を記念してセントルイスで4人揃って最後のステージが始まります。明らかに未練がましく『I'm Following You』などやっちゃう面々。
そこへ軍人がやって来て、偉い人が来たから軍歌の『海ゆかば』をやれと、学校の先生が求める悪い日本軍丸出しの命令をバクマツに課しちゃうのです。
現代の作品ならここで屈辱に耐えて演奏を完遂するところなのでしょうが、そこは深作欣二なので突然ジャズアレンジになり、ダンサーたちが軍人の妨害も阻止、そして『シングシングシング』にメドレーして大騒ぎになります。
命令に逆らってシングシングシングをやったのはどうやら実話らしく、軍人の横暴に国民が黙って泣き寝入りばかりしていたわけではない事を暗に物語っています。
黙って耐えるのは任侠映画の健さんのやり方で、深作欣二は実録映画を作ったのですから、実録的にアナーキーに物事を通すのです。
腐れ左翼の糞右翼
さて、現代のこの種の作品には目一杯の左翼史観が盛り込まれ、社会主義者はレジスタンスのように描かれ、軍人に味方する者は悪というスタンスが徹底していますが、深作欣二はそんな安易で歪んだ歴史観に迎合するほど安くありません。
バンドメンバーが不貞腐れているところへ、未だにバンドで頑張っていた方さんが追われて逃げ込んできて、抗日分子として殺されてしまいます。
なんと指揮しているのは消えて久しかった弘田です。相変わらず胡散臭くて薄っぺらい思想を述べていますが、その思想は180度反転し、軍の特務機関の一員としてやりたい放題やっているのです。
更にはこのタイミングで太平洋戦争が始まり、日本海軍は上海に停泊している英米の船に砲撃を開始します。それを見て弘田は高笑い。この男こそがこの映画で一番の糞野郎である事を示します。
特撮がショボいのは、こんな男に手間をかける価値無しと観たとも取れます。つまり、弘田の存在は左翼も右翼も糞であるという事を示す、深作欣二一流のキャラクター造形の産物なのです。
ちなみに、茨城県の名物右翼系泡まつ候補に深作清太郎という人が居ましたが、この人は深作欣二のいとこです。参考にしたのでしょう。
右往左往の糞野郎
そもそも、特高に捕まった弘田が右翼になるというのが、一般の人にはちょっと不思議かも知れません。
実は、特高に捕まった左翼が漏れなく殺されるわけではないのです。拷問された人達が戦後のメディアで権力を掴んだので無かったことにされていますが、彼らには拷問されるだけの理由と、拷問を免れる方法があったのです。
つまり、情報提供をして左翼思想を放棄する旨を約束すれば、特高は軽い罪で済ませてくれて、しかも出所後の暮らしの面倒まで見てくれたのです。
左翼もまた陛下の赤子というのが日本の官憲の考え方でした。ゲシュタポやKGBとはちょっと違います。そして、思想に殉じる根性もなく転向した左翼は驚くほど多く、更には弘田のように転向右翼として軍の下で働く者もかなり居ました。
こういう転向者は戦後は「偽装転向」と称して居直ったり、開き直ってよく見るタイプの右翼として生きる事が多く、中には大陸で悪い事をして稼いでしてフィクサーになった者も居ます。
一転攻勢
ここで深作欣二は完全に飽きてきたと見えて、物凄く東映的な方向に作風が傾いていきます。ラリーは弘田にアヘン密売網を明け渡して捕虜収容所にぶちこまれ、弘田が完全にストーリーを支配し始めます。
右翼が大陸でアヘン取引。嫌な現実を隠そうとしません。
更には弘田はまどかとリリーに軍人相手のオメコ芸者の仕事をあっせんするようになり、ドイツ大使館に出かけてお座敷です。東映丸出しの謎ストリップが繰り広げられる中、ナチ野郎はリリーとまどかに「今の上海では上の方」などとほざきます。
もっと上が居るというでしょうか?ケイト・キャプショーか?あれはスピルバーグのかみさんである以外は二流じゃないか!
一応ドイツの人達の名誉の為に言いますが、ナチスはジャズを「ニーガームジーク」と称して否定しましたが、ドイツ人はジャズを捨てる事が出来ず、ナチスはならいっそ御用ジャズバンドを作って統制を図ったりしています。
これが意外に出来が良く、『ブレイキングバッド』のサントラにも使われています。やはり人類はジャズを捨てられないのです。
駄目絶対
おまけに弘田は四郎にアヘンを勧められ、四郎はラリパッパになってしまいます。バクマツや捕虜収容所に居るバンドメンバーとラリーが宝船みたいな船に乗って来て、一緒にメキシコに行こうと誘われる幻覚まで見て悲惨です。
とは言え、ラリーがメキシコにはギャングは自分だけで、戦争はなくいつでも平和と言っちゃうのは、今ではブラックジョークにもなりません。恐ろしい幻覚です。麻薬はいかんという道義までも教えてくれる深い映画です。
そして戦争は終わりますが、四郎は完全にアヘン中毒になり、まどかは本来の目的地であったパリへ行くと嘘をついて四郎を励ます有様。
更にはバクマツが帰って来るというのでリリーが駅に迎えに来ますが、バクマツは汽車から落ちてお骨で返って来ちゃいます。
まどかは四郎と一緒にこれは夢だと泣き叫び、更にはまどかまで幻覚を見て、『ウェルカム上海』で踊り狂いながら映画は終わります。そう、この映画は夢オチなのです。
BL的に解説
小劇場はホモ
いきなりぶち上げましたが、役者はこれを誇張とは言えないはずです。そもそも演劇自体が同性愛者の天国であり、寺山修司が作ったこのジャンルがノンケのはずがないのです。
しかも、小劇場の聖地は下北沢。権威ある小劇場とホモビメーカーは軒並み下北沢にあります。劇団員はチケットノルマを達成する金を欲し、ホモは金に困ったいい男を欲している。まさに神が引き合わせた運命のカップルです。いや、クリエイターの経済的苦境を喜んではいけない!
特に風間杜夫と平田満は、つかこうへいの下で花開き、蒲田行進曲の映画化に際して映画側の候補を押しのけて舞台からスライドして花開いた逸材であります。
つかこうへい作品が恐ろしくホモ臭いのは演劇好きの方なら誰もが知っている事。そしてこの2人は他にも何度も何度もゲイ役女装役をやっているゲイ達者です。当然ながら本物であるという噂が後を絶ちません。
特に風間杜夫は『大都会』で新劇の大物、宇野重吉の息子である寺尾聡のメインエピソードでオカマのメインヒロインまでやりました。さあ、劇場でホモを見よう!
ジャズ屋もホモ
ジャズ好きは怒るかもしれませんが、これも否定しがたい仮説であります。特に、作中の時代のジャズ屋などはノンケが変態の連中と見るべきでしょう。
そもそも、ジャズとはどうやって生まれたのか?この時代この人が生み出したと断言できる性質の物ではありませんが、とりあえず20世紀の初頭に黒人音楽をベースに気が付いたら生まれていた物だというのが一般的な見方です。
平たく言えば、奴隷とその子供のアフリカ民謡です。黒人奴隷となればやはりホモのホモ嫌いな白人の旦那様に掘られた人はかなりあったはずです。
そんな物がホモが当たり前どころか格好良いと思っている日本の中産階級に輸入されるともう大変です。バンドの連中は戦争に翻弄されても情勢が許す限りずっと一緒に居ますが、これは菊花の契りによるケツ束であっても驚くべき事でしょうか?
つまり、そこに女が居れば女とヤり、女が居なかったり足りなかったりすれば男とヤる。それがジャズの本質であったと私は信じます。そう、ジャズプレイは即興性が命です。
四郎×バクマツ
まずはこの主役と主役の組み合わせで行きましょう。この2人はかなり怪しいものがあります。しかも四郎の苗字が波多野なのも今となっては非常に意味深です。
第一に、四郎は明らかにまどかよりバクマツが好きです。上海に来てまずバクマツを頼るというのはノンケでも取る行動ですが、まどかを騙して連れてきたことを簡単に教えてしまうのはどうかしています。
だって、考えてみてください。フランスにだってジャズはあるんです。そもそも、ヨーロッパにはWWIのアメリカ兵が伝わったわけですし、ニューオーリンズはかつてはフランス領だったので、上海より良いはずです。
四郎のやった事は言うなれば結婚詐欺ですが、相手が松坂慶子です。大抵の男は、金持ちの娘の松坂慶子と結婚する事になれば自分の夢に対して多少の妥協は辞さないはずです。
なのに、四郎はまどかを平気で騙して上海に居つく気満々で、バクマツにその秘密をべらべら喋ってしまうのです。そして四郎はドン引きするバクマツに今夜からお前のバンドで吹くとしつこく迫って困らせます。
もうお判りでしょう。四郎の本命はバクマツなのです。バクマツとの夜のセッションが忘れがたく、わざわざまどかを騙して上海まで来たのです。
ですが、やはり奇妙な点があります。まどかを連れてくる意義です。四郎が優れたジャズ屋なのは確かなので、渡航費くらいは稼げるはずです。まどかを騙して1000円も持参金を集める必要はないのです。
調べてみると、作中の時期より少し前の昭和3年時点で神戸-上海の運賃が三等船室で28円。そのくらいは四郎なら稼げるでしょうし、その後もクラブで演奏すれば十分生活は成り立つのです。
つまり、まどかの持参金が必要になるシチュエーションが来ると四郎は確信していたのです。事実、バクマツはリリーに手を出してラリーに落とし前を付ける事を迫られ、まどかの持参金がいきなり役立ってしまいます。
バクマツは「博打の松本」の略なので、四郎はバクマツが借金を作ったらすぐさま返せるようにわざわざまどかを連れてきたのでしょう。つまり、バクマツは四郎にバンス(借り)を作ってしまったのです。
BLの世界では借金は返済能力のいかんを問わず身体で帰すと決まっています。そう、バクマツの尻に四郎の股間のセルマーが迫り、甘美なるセッションが響くのです。
「バクマツ、やっぱりお前はマドンナより良い音持ってるな」
「四郎…俺にはリリーが…」
妻帯者という新たな属性の加わったバクマツに四郎は大興奮。魔都上海は東洋のソドムなれば、ソドミーをも飲み込んでしまうのであります。まどかもリリーも突撃一番でしかありません。
とは言え、この種のBLは性欲と友情の融合こそが美しいのであり、相方の表向きの幸せを壊さないのが良きホモカップルの条件なので、バクマツとリリーの結婚式ともなれば超嬉しそうに支度しちゃいます。
一方で、四郎は新譜が届くと早速結婚式をほったらかして吹き始め、それを見てまどかは自分が四郎にとって重要な存在でない事を悟ってしまいます。真面目に観ると子宮でものを考えるオメコ芸者ですが、BL的に観ると良い当て馬女ですね。
日中戦争が始まっても四郎とまどかは在留邦人と合流するのを拒み、バクマツとリリーの日中夫婦と行動を共にします。これも大概です。この4人は3本の赤い糸で絡み合っているので、四郎としてはバクマツを捨てて逃げる事は出来ないのです。
その結果、四郎は軍人がのさばる上海に見切りをつけ、単身でアメリカ渡航を狙います。バクマツがあまり強く止めないのがポイントです。これが普通の友情ないしBLカップルなら、バクマツは四郎と殴ってでも止めるのが本当です。
四郎は結婚式の支度を放り投げて届いた新譜を試したりと、かなりジャズバカ一代の傾向があります。これはかなり失礼で、バクマツは怒ってもいいのですが、それが当然のように振舞っています。つまり、いざとなれば四郎は性欲よりジャズであるとバクマツは実体験から知っているのです。
しかし、四郎のアメリカ逃避行は失敗。バクマツの元には赤紙が届き、自体はかなり悲惨な方向に進みます。
ところが、ここで四郎は素晴らしい男気を見せます。バクマツの最後のステージで反抗し、『シングシングシング』をおっぱじめたのは誰あろう四郎です。
話の分かる白井にさえ常に直立不動の、軍人にケツを犯された経験でもあるとしか思えないヘタレだった四郎が、白井よりはるかに偉い将校を目の前に、逮捕レベルの反抗をやってのけたのです。
向かい合ってセッションする四郎とバクマツ。インド的に考えるまでもなく、これはもはやセックスです。
死に行くバクマツに未練を残させないように、生きて帰れる希望を持たせる為に、前夜にヤる。これ以上美しいシチュエーションはそうありません。
しかし戦争は長期化し、四郎はジャズを封じられて飲んだくれのホモもといヒモに落ちてクラリネットを売る有様です。これはジャズロスよりもバクマツロスです。愛無くしてジャズ無しというわけです。
それを証拠に、バクマツから手紙が来ると四郎はしゃんとします。愛の力はアルコール中毒さえも治癒させます。
そして、弘田の陰謀の前にアヘン中毒になった四郎は、幻覚にさえバクマツを見ます。これは相当です。しかし、幻覚は幻覚に過ぎません。だから人は麻薬を求めるのです。アヘンの煙の中で、四郎とバクマツは永遠にセッションして踊り続けるのです。
これはもう『ワンスアポンアタイムインアメリカ』レベルです。深作欣二とジャズの組み合わせは、セルジオとエンニオの神に祝福された友情に肉薄したのです。
ラリー×バクマツ
マフィア物BLも本作にはあるわけですが、舞台が上海である為に、色々と別のエッセンスが加わって凄い事になる組み合わせです。
私はかねがね「辺境に居る白人はホモと思え」という説を提唱してきました。つまり、キリスト教原理主義から逃れたホモ達は、キリスト教の影響力の及ばない辺境に楽園を見たという考えです。
松坂慶子の中学校時代の演劇部の仲間に、シネフィルで有名で、猿之助関係の事件でにわかに評論家として重宝されている快楽亭ブラック師匠が居ます。
この人は実は二代目で、初代は明治時代のイギリス人の芸人なのですが、帰化申請の書類には「彼はガチホモであり、夫と同居しているので、日本女性に危害は加えないから帰化OK」という旨の事が書かれています。
ラリーは船の皿洗いから身を興したなり上がりのギャングです。きっと出世の過程で一等船室のホモのユダヤ人の富豪にケツを売ったりもしたでしょう。
しかし、ギャングとかマフィアというのはゲイが意外に多いにもかかわらず、仲間内にゲイが居ると処刑するほどの病的なホモフォビアに支配されています。それがラリーが上海に狙いを定めた理由でしょう。アル・カポネやラッキー・ルチアーノなどは、ラリーを極東に引きこもっている猿とホモっているオカマ野郎とみなし、軽蔑して御目通りさえ許さないのが容易に想像できます。
現に、ラリーはリリーを愛人として抱え、他にも女の愛人が居る事が示唆されますが、金でバクマツの不貞を許し、特に女を連れ歩くでもなく、中国人の子分ばかりを連れています。
そう、ラリーにとってリリーはノンケアピールの為のアクセサリーに過ぎず、バクマツこそが本命だったのです。
ビジネスとギャング仲間への手前もあるので一応賠償金を取り、バクマツのケツを「犯させた」とでもアメリカ人どもには言っておいて、存分にバクマツに制裁を咥えればいいのです。
この観点から行くと、結婚式を取り仕切ったのも意味深です。そう、仲人料をバクマツは要求されます。
しかし、太平洋戦争が始まると状況が一変します。連合国人は追われる立場になり、ラリーはバンドメンバーの元に逃げ込んできて「何でもする」と言います。ん?今何でもするって言ったよね。
これ以上華麗なリバはありません。ラリーはバンドメンバーに寄ってたかってマワされ、揚子江ではなく快楽の海にその身を浮かべ、愉悦に叫ぶのです。
バクマツ×白井×四郎
変則的な挟まれ方式でお送りします。夏八木勲の洗練されたゲイっぽさは攻めでも受けでも美味しく頂けるので、両方取ります。何しろ上杉謙信としてマブダチの千葉ちゃんと迫真の衆道をした男です。いや、あの映画でマジのホモの鈴木ヒロミツを殺したのは宇崎竜童だったのですが。
私はこういう頼りがいのあるオジキに目をかけられたいという願望をノンケだったころから持っているので、ちょっと長くなります。
白井はバクマツの中学時代の同級生です。戦前の旧制中学への進学率は10%やそこらで、3人に1人は学費が続かずに中途退学するようなエリート養成所でした。
また、白井がまどかに語る「親父が死んでいなければ軍人になっていなかった」という言葉もそれを裏付けています。恐らく白井は旧制中学を中途退学して士官学校に進んだのでしょう。
これはよくあるコースで、中学に行きながら士官学校を目指し、それがかなわずに学費が尽きたら退学するというという経済コースも存在しました。
そして、士官学校は中学など及びもつかないエリート中のエリートの巣窟です。学力だけではなく身体頑健である事も求められます。
日本のエリートとは、即ちホモの大名や公家の子孫であり、ホモの志士の弟子たちです。従って、旧制中学はイートン校がノンケ養成所に見えるようなハッテン場でした。ましてや、ショタの夏八木勲などが通えば3日と持たずに掘られるのは考えるまでもありません。
きっと、士官学校でも白井は先輩にケツを犯され、バクマツとの熱い夜を思い出しながら歯を食いしばって耐えた夜があったはずです。
とは言え、たまたま町で再会した同級生を結婚式に招くというのも、よく考えれば奇妙な話です。余程親しくないと微妙な空気になってしまいます。バクマツと白井は中学時代は仲が良かったのでしょう。良すぎたのでしょう。
ジャズイントロクイズに正解するのも、バクマツにジャズとホモの素晴らしさを手ほどきされた成果でしょう。軍服を派手に改造する風でもない無骨な白井がジャズのような流行り物に詳しいとすれば、やはり男の影響というのが自然です。
何なら白井は上海にバクマツが居ると知って、あれこれ手を回して上海に来てばったり再開するのを待った可能性も否定できません。まどかに対する不器用で諦めの悪いアプローチを考えると、男にもそうなのはごく自然な事です。
ラリーが殴りこんできた時に軍刀を手にするのも何気に尊いシーンです。バクマツの結婚式を破壊する奴は、たとえ国際問題になったって殺すという確固たる意志が見えます。パートナーの表向きの幸せを祝福し、守るのが良きホモカップルなのです。
しかし、事態は白井にとって不都合な戦争に突入し、ちょっと白井はセンチになってしまいます。バクマツに手柄話を求められても、気が重そうにして応じないのは、かなり深刻な状況です。
一方バクマツは能天気で、日本軍人に良くない感情を持つリリーに白井にお茶を出せなどと亭主関白をかましてしまう有様です。妻帯ホモは相方の前では亭主関白になるという鉄則を深作欣二はよく分かっています。
とにかく、バクマツとしては白井が軍人になった以上、白井が武勲を立てる事を望みんでいるのです。相方の出世を望むのも良きホモカップルの条件です。
衣装を着ているまどかに「女の人は美しくあるべき」などと白井が言ってしまうのも、私に言わせれば意味深です。こういう清潔で使い古された、当たり障りのない、簡潔な美辞麗句をゲイが女性を褒める時に使いがちなのです。
さて、ここで夜の二方面作戦に動きが出ます。四郎がまどかを捨ててアメリカ脱出を企て、それを聞いたまどかは即座に白井に乗り換えを図り、白井とダンスを踊り狂います。
戦争の残酷さに嫌気がさしている白井、夫に捨てられたまどか。ただれた関係になるのは不可避とは言え、「レディに恥をかかせないで」と殺し文句をかますのはやり過ぎです。お前完全にオメコ芸者じゃねえか!
とは言え、リフトの入ったタンゴを白井が踊りこなしてしまうのは、野戦帰りの軍人の体力だけでは説明できません。
多分バクマツにダンスホールに連れていかれて覚えたのでしょう。パリピ一直線のバクマツに無理矢理悪所に連れ込まれ、見知らぬ女と慣れないダンスを踊って戸惑う堅物優等生白井。想像するだけで萌えます。
そしてまどかは「一緒に上海で頑張りましょうね」と殺し文句に殺し文句を重ねます。これはいけません。衆道一筋に生きてきた白井には刺激が強すぎます。
恐らく、あの後白井とまどかはヤっています。そうなると白井はのぼせ上ります。まどかを弄んだ四郎を港まで制裁しに行きます。
「中尉殿、これにはわけが…」
「あなたは一人の素敵な女性を傷付けた。許さん!」
そして港の便所に連れ込まれて白井の怒りの剣を菊の御門に頂戴する四郎。アメリカ女に見捨てられたのは、白井にケツを犯されてアヘアへするのを見られたからだと想像するとちょっと楽しいのです。
その後も白井は上海に留まり、まどかが編み物を編んでくれるくらいの関係に収まります。つまり、それは事実婚です。
ですが、穴兄弟は関節ホモセックスでもあります。白井はまどかとヤっていると端々に四郎の影を感じ、やがて四郎とのホモセックスについて考えるようになりそうです。
しかも、この仮説に基づけば当然親友バクマツともヤるわけですから、これはもう乱交状態です。
しかしながら、白井は万事に行き届いだ洗練された青年将校なので、リリーが辛い思いをしていると知って、バクマツが兵隊とカニを食べている最中にカニが死肉を食べて太ったなどと言ったりもします。
デキる男です。そして、そのくらいではバクマツが怒らないのを知っているのです。赤い糸玉を完璧に処理できる男、白井であります。
そして白井はまどかに『暗い日曜日』を歌わせて消え、恐らく靖国神社に行ってしまったのでしょう。
しかし、ラストシーンの幻覚では白井また楽しそうに踊っています。四郎にとっても、まどかにとっても、白井は忘れられぬ男であったという事です。
弘田×四郎
トリにこの組み合わせを持ってきたのは、クロスオーバー的観点から極めて重要なカップリングだからです。
つまり、四郎と弘田は銀ちゃんとヤスなのです。この類まれなる主従BLが、明らかに弘田攻めの四郎受けで進む。非常に有意義で美味しい部位なのです。転向右翼だけにリバがイケるのです。
最初に現れた時の弘田は、平田満が演じているという点の他は全くどうでもよい存在に見えました。ただまどかに思想を垂れて拳銃を寄越すヘタレ左翼。
しかし、太平洋戦争と同時に弘田は完全に悪の親玉の転向右翼として右にも左にも敵を売りつつ華々しく再登場して、ストーリーをコントロールする立場に回ります。
何故弘田は転向したのでしょうか?まあ、弘田がちょっと殴られれば簡単に泣きを入れて仲間を売るのは容易に想像できますが、ここにもちょっと想像の余地を入れると楽しめます。
そう、特高の刑事さんによるエッチな拷問です。実際女性の左翼に対する性的拷問はかなり証言が残っているので、男同士でも十分に成立します。何しろ、日本警察は薩摩閥ですから。
お巡りさんの愛国精神注入棒で陛下の御心を叩きこまれ、弘田は偉い軍人の尻の穴でも舐める軍の犬に堕ちたのでしょう。いや、反転しただけで落ちても浮いてもいません。
しかも、弘田は女に興味がなさそうです。弘田はまどかを思うままにできる立場にありながらリリーと一緒にオメコ芸者として使役し、その一方で四郎に感心を抱きます。これは完璧にホモです。
四郎はジャズを禁じられ、まどかとリリーに弘田があっせんする仕事と物資に生活を依存するようになり、プライドを破壊されて酒に溺れるようになります。
弘田の四郎を落すプランは完璧でした。四郎がまどかにチョメチョメを迫っているタイミングで訪れ、部下にならないかと四郎のプライドに障る申し出をして、ウイスキーを与えながら内地の物資不足で脅しをかけ、そしてついにはアヘンが出てきます。
弘田が自ら火をつけてあげてから四郎にキセルを渡すのにご注目下さい。これは吉原の花魁の作法で、つまり「やらないか」と言っているに等しいのです。このシーンを見た時、頭がくらくらしました。
そして弘田の狙い通り四郎はアヘン中毒になります。結局1年半もそういう爛れた生活が1年半も続いたのですが、戦争に負けると弘田は失脚。中国軍に追われてまどかと四郎の所へ逃げ込んできます。
まどかは四郎をアヘン中毒にした弘田をなじりますが、弘田は南米に鉱山を買っているから台湾経由で一緒に逃げようなどと、女相手なのにスーパー攻め様な事を言い出しますが、まどかは当然拒否し、弘田は闘争中に中国兵に見つかってハチの巣になり、文字通り死体蹴りを食らいます。
しかし、四郎が1年半もの間アヘン中毒として暮らしていたという事は、弘田がアヘンを与えていたという事です。タダで渡すと思いますか?あり得ません。
そりゃあもう、四郎は弘田にアヘンを貰う為に何でもしたでしょう。しゃぶれと言えばしゃぶる。ケツの穴舐めろと言えば舐める。まどかがされる時のように俺にもしろと言えばする。
そして映画は現実と幻覚が曖昧な夢オチで終わります。これは夢なのか現実なのか…しかも終戦直後なので季節は夏。掘られたのはHTNとくれば、これはもう真夏の夜の淫夢なのです。
お勧めの映画
独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し
『海の上のピアニスト』(1998 伊)(★★★★★)(ジャズ映画の頂点)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984 米)(★★★★)(夢オチBLの頂点)
『戦国自衛隊』(1979 東宝)(★★)(JACと白井とバクマツの乱交)
『女必殺拳』(1974 東映)(★★)(リリー大暴れ)
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