優柔不断はどこからきたのか?
私はコンビニでアイス選ぶためだけに30分かけられそうなほどの優柔不断のすけです。(さすがにかけたことはない)
安さをとるか?今の気分をとるか?見たことない新作への挑戦をとるか?そんなことを考えてるまに候補にしていたアイスはほかの客に取られ、ああカロリーも考えなきゃ、えてかアイスのよりサラダ食いたくなってきた!ええサラダって高ああ…落ち着け今日はアイスを買いに来たんだ。今月は何円使った?よしちょっと贅沢してもいいか。霜降っててこの数余ってるってことはこのアイスは人気ないんだな。よし一つ選択肢は減った。こっちはよさげだけどこのサイズでこの値段は却下。
ガリレオの曲が脳内再生されながら、こんなくだらないことを猛スピードで駆け巡らせます。(笑)
それでもって買ったアイスはいまいちなんてこともしばしば(笑)
そういえばなんでこんなにも優柔不断なのだろうか??
そもそもあまり意思がなかったのと、恐らくきっかけは下の子がいたこと。絶対こっちがいいー--!!といつもはっきりしていた。たぶん喧嘩もしていたんだろうけど、ぎゃー--と泣かれる、私にはそんな強い気持ちはないし、じゃあ譲るか。そのうち、いつも譲るようになった。譲ると「優しいね」って言われるから。もう何歳になっても先に選んでいいよー残ったのもらうからーが染みついていった。それが悪いとかではなく当たり前になっていた。でも生きてればいろんな場面が出てくる。でも
そのうち”決めていいよ”とゆだねられるのがなんか怖くなってきてしまった。
なんだか何が自分の意思なのかわからなくなって、自分が決めることによってほかの大多数の人がいやだったらどうしよう、今度はそれを決めた自分への批判?評価?が怖い場面さえあった。たとえ自分の好きが見えたケースでも、みんなと違う思想なのが怖かったし、違う趣味で笑われるのも怖い。ええ!いいじゃん!自分はこれ好き!って割り切れない。何も決められない。
このときはごちゃごちゃ他人の目を気にする優柔不断でした。
たぶん小さいころからの習慣を良いように使って自分で責任を持つこと、自分を知って認めることから逃げてきたんだと思います。たぶん。
そこからだんだん抜け出せたけど、今も決めるってなったときに、これ!!っていう意思が降りてこないのは小さいころから変わらず(笑)
何が違うかというと、自分のために優柔不断してるってこと。
くだらないアイス選びも自分の予算とその日の気分とカロリーと、、全部自分の基準で迷ってるから幸せ。
自分を認めると心が広くなるような気がします。心が広くなったら相手のことも受け入れられるようになっていくんじゃないかなあと。
今日も暑いから、皆さんも幸せなアイス選びあれ!🤞🏼
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