見出し画像

備忘録:1789の地理歴史

バスティーユの恋人たちという副題もついているし、ミュージカル1789のハイライトはやっぱり7月14日のバスティーユ襲撃かなと思うんです。本当にロベスピエールやダントンがバスティーユに駆け付けたかは分からないけど、襲撃自体は史実。

前段として7月11日にネッケルが罷免され、翌日12日にはパリ市内にもそれが伝わる。この時にパレ・ロワイヤルで「武器をとれ」と演説したのがデムーラン。1789でもそのままデムーランの歌になってる場面です。
13日にはブルジョワ主導の民兵隊による厳戒態勢が敷かれ、14日の朝には廃兵院(アンヴァリッド)から民衆が武器を運び出す。大砲を20門も持っていったらしいです。なんかシュール。ちなみに今のアンヴァリッドにはナポレオンのお墓があります。

民衆はさらにバスティーユ要塞へ。なんでもアンヴァリッドから移した弾薬があると噂されていたらしい。大砲20門じゃ足りなかったんですかね。何に使うのかって感じだけれども。
この時点では国をひっくり返そうぜ!とかいうつもりはなかったらしく、代表者がバスティーユ司令官と話し合いをしています。そのうちに外で待っていた人たちの中から壁を登って要塞の跳ね橋を落とす人(史料では2人)が現れた。これがロナンのモデルかも?なんて思います。
橋が渡れるようになって当然民衆は要塞になだれ込む。怖くなった守備兵が発砲。で、戦闘になっちゃった。午後にはバスティーユは陥落し、オスカルが「フ・・・ランス・・・ばんざ・・・い・・・」となるわけですな。

パレ・ロワイヤルからアンヴァリッドまでは2.5キロ、バスティーユはアンヴァリッドとは逆方向でパレ・ロワイヤルから3キロ。バスティーユ襲撃はせいぜい5キロ四方で、しかもたった1日で起こったことなんですよね。それなのに決定的な出来事になった。なんだかとても不思議な気がします。
不思議といえば、「暴動か?」「いいえ陛下、これは暴動ではありません、革命でございます」のやり取り。ベルばらを見てて、ルイ16世が革命の意味が分かるのがずーっと不思議だったんです。でもフランス語だと“C'est une révolte?” “Non sire, ce n'est pas une révolte, c'est une révolution.”だそうで、革命(révolution)は暴動(révolte)の派生形なんですね。「f(フォルテ)か?」「いいえ陛下、これはfffでございます!」みたいな感じかしら。。。

いいなと思ったら応援しよう!