嫌われたくない僕が好かれないわけ
”嫌われたくない”そう思って僕は生きている。10代の頃僕はいじめをしていた。その当時はいじめをしている感覚なんてなかったし、いまでもあれはイジりだったのにな、と思っている。
でも受けた相手が嫌な思いをしたと言うのがいじめの定義とするのならば僕は加害者だ。人を下に見ていた当時の僕はきっと誰よりも弱かった。誰かを見下したくてしかたなかった、他人の弱い部分を言い当てることを強さと勘違いしていた大馬鹿野郎だ。
そんなこんなで10代を過ごしたからだろう、未だに僕は自分を曝け出すことが苦手だし、嫌われたくないという思いを拭うことができない。なぜなら、曝け出し自分の弱い部分を人に見せることで自分がしていたことが返ってくるかもしれないという思いがあるからだとおもう。
嫌われないように生きていると、いいことはたくさんある。
第一印象がいいと言われる。きっと相手にとって失礼のないように当たり障りのない会話、いつの間にか自然に作れるようになった愛想笑い、そのおかげだと思う。
他にも身なりや臭いなどのエチケットも気にするからいわゆる清潔感のようなものを自然と身に纏うことができた。清潔感はモテるために一番大事な要素だとユーチューブやテレビの中の人が言っていた。やったね!!
しかし、嫌われないように生きることの一番の問題点は好かれることがないと言うことだ。自分の考えや思いを正直に伝えないから相手も自分を曝け出さないからだ。
嫌われたくない、この思いが自分の魅力を下げ、自分の思いとは裏腹に、相手に自分の行動や言葉を選ぶことになるからそこに自分というオリジナリティーが生まれない。そうなると、相手からするとこの人はなにを考えているのだろう、自分といても楽しくないのかな...。そんなふうな印象を与えてしまう。
”嫌われないように生きていると好かれない”このことに気づいたのは最近のことで、そのとき初めて自分の中で今までのモヤモヤした気持ちが少しだけ晴れたような気がした。
嫌われてもいいから、自分の意見を口にする。
嫌われてもいいから、自分のやりたいと思ったことをやる。
この2つの考えに沿って行動をすることではじめて自分のオリジナリティーが現れて、そこに自分のことを好いてくれる人が集まってきてくれるのだろう。
このnoteもその中の1つ。日頃思っている口にできなかった考えや意見を記事に書き、少しづつ自分の曝け出すことができなかった内側を解放していくことで自分はこんな人間ということを表せていきたい。
嫌われてもいいし、馬鹿にされてもいいから自分の意見を書き留めて、たった1人でも共感してくれたらそれでいい。