抽象画から学ぶ資本主義社会 ーminimalistー
熊本県小国町にある、坂本善三美術館にいってきた。
元々、体育会系の育ちで、アートに興味を持ったのは最近のため
知識や経験、体験に長けているわけではないのでその辺は考慮してください。
坂本善三さんは抽象化に優れたかたで、
個人的に好きな作品がこの”城”である。
お城をたったのこれだけで表現したことに僕はびっくりしたし、なぜこのように抽象的に描こうと思ったのだろう。また、余計なものを極限まで削ぎ落としたこの作品に僕は魅了された。
”余計なものを削ぎ落とすことで見えてくる物事の本質”
坂本三善さんは、城を表現するためになにが必要で何がなくてもいいのかを考えに考えた結果この作品を作り出したと思う。
僕たちの実生活にもこの考え方を持ちいらなければならないと思った。資本主義社会のこの日本では様々なものが所狭しと陳列されいて、たくさんのCMやテレビ、SNS、看板といろいろと目につくように表示され、研究に研究を重ねたマーケティング戦略により、買わなくてはいけないと思うように錯覚をさせられてしまっている。
車も時計もバッグも高いものを持っていないと負けみたいな風潮もある。そんななかで自分にはなにが必要で何がいらないのかを見極める力を養う力が必要なのではないかと思う。
坂本善三さんが表現した城のように、僕たちも自分を表現するために無駄なものを持たずに自分にとって必要なものを考えていくことでそれが”自分らしさ”になるのないかと思う。
高い腕時計を身につけても時間がゆっくり流れることはないし、高級車に乗っても法定速度は変わらない、ブランド財布を持っていても財布の中身は増えることはない。無理をして高級品を身につけて背伸びをしても背は伸びることはない。自分にとって不要なものを切り捨てる勇気は簡単そうでとても難しい。なぜならものを増やす方が減らすよりも精神的負担が圧倒的に少ないからだ。人間は減らすことに抵抗を覚える生き物であるから。
そのため抽象画は一見、とても簡単そうに見えるがとても難しい作品なんだろうなと考えさせられた。削りすぎると訳がわからなくなる。限界まで削りながらそのモノが認識できるのはどこなのか、その塩梅を考えること、そしてそのことに命を賭けて作品と向き合い続けた坂本善三さん。
抽象画からこの資本主義を生き抜くためのヒントのようなものをいただいたような気がする。
自分を表現するのに着飾る必要はない。そう思ってこれから過ごしていきたい。