『朝が来る』に映し出されるもの
『朝が来る』は、独特な感性と視点で世界を魅了する河瀬直美監督が、ベストセラー作家の辻村深月さんの小説を映画化した作品。養子を迎えて平穏に暮らしていた夫婦の元に掛かってきた「子供を返してほしい」という一本の電話をきっかけに交差する、”二人の母親”と、その息子をめぐる物語。
不妊治療の末に特別養子縁組という制度を利用して息子を迎えた佐都子と清和の元に、子供の生みの親である、ひかりと名乗る女性が現れる。「子供を返してほしい」と言うその姿は、泣きながら息子を託した中学生とは全く別人のようで、夫婦は彼女を信じることができない。本当に彼女は朝斗(息子)の母親なのか。そうだとしたら、彼女に何があったのか。その過去が丁寧に解きほぐされると、佐都子とひかり、二人の母親の間で朝斗が無垢な光の手を伸ばして、その心を新たな絆で繋いでくれる。
この映画はフィクションだけど、俳優さんたちが演技をしているという感じがしない。河瀬監督の作品では役作りではなく「役積み」と呼ばれるアプローチがなされて、役者たちは24時間、役として過ごし、現場では必ず役名で呼ばれるそうだ。登場人物が経験してきたことや、これから経験することを、脚本から読み解くのではなく役者自身が実際に体験して、その人物になっていく。監督は芝居を求めてはいない。役の人物に血を通わせてその人生を見せることが俳優の役目となる。撮影準備中、ひかりは奈良の一軒家で、佐都子、清和夫妻は都内のタワーマンションで実際に”家族”として生活し、その日常にカメラが入ってくるという感じで撮影が進められていったという。不妊治療の問診を受けたり、結婚前に行った宇都宮で実際にデートしたり、特別養子縁組で養子を迎えた親子の話を聞きに行ったり。そんなふうに役を積んでいった結果、佐都子、清和夫妻のマンションにひかりが訪ねてくる頃には、「1秒でも早く帰ってもらいたい」という状態で精一杯で、「お茶は出すの?」とか「受け皿って必要?」とか、「そんなもんなくていい!」というような、リアルな夫婦の会話が飛び交っていたそうだ。芝居ではない、人間の素直な心の動きと反応が、観る人にも感覚的に伝わってくる。ドキュメンタリーではないけど、フィクションを超えた独特の空気感が、この作品にはある。
もう一つ、フィクションを超えているのが、ひかりが出産までの期間を過ごす合宿所のような場所で、ひかりと同じように養子縁組のために妊娠期間を過ごす少女たちと生活しているシーン。ある少女の誕生日を祝う場面で、カメラが急にドキュメンタリーを撮影している雰囲気になる。少女にインタビューをする河瀬監督の声まで入っていて、フィクションとリアルの境目がさらによくわからなくなる。劇映画でこの手法を使うのにはちょっと躊躇するスタッフもいたそうだけど、私はこれは素晴らしいと思った。フィクションだと思って観ていたものが、そう思って観ていたからこそ、急にドキュメンタリータッチになった時に、フィクションもリアリティも超えた不思議な感覚になった。その瞬間に、架空でしかも他者の物語だったはずのものが、すぐ隣の身近で起きたことのような、急に距離が縮まる感じがした。ずっと観察者視点だった河瀬監督が、スクリーンの中に入った一瞬の効果だと思う。
私はただ鑑賞するだけの映画よりも”体験”するような作品が好きで、この映画はまさにそんな感じ。観ていて何も感じずには、それから深く考えずにはいられない。自分はただ観ていただけかもしれないけど、フィクションの枠も他者の人生という枠も超えて、物語が感覚をともなって自分の人生に入り込んでくる。目には見えない、そんな不思議な感覚が映し出されている。だから心にダイレクトに伝わる。何が伝わるかは言葉では明確に言い表せない。人ひとりの人生を超えた何かだと思う。ぜひ観て体感してほしいです。
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