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エディオンピースウイング広島 こけら落とし観戦記

2023年8月、広島市中心部にて。

 2023年8月26日昼、地元広島に帰省し、父と市街地まで買い物に来ていた。「新しいスタジアムでも見に行かんかいね」と言われて向かった先は広島グリーンアリーナの裏手、建設中の新スタジアムことエディオンピースウイング広島である。ここは来シーズンからサンフレッチェ広島の新しい本拠地となるサッカー専用スタジアム、サンフレッチェファミリーにとっては長年の夢ともいえる場所。まだクレーンがそびえ立っているが、蒲鉾のようなカーブを描く屋根と長方形の面から構成されるシルエットはサッカースタジアムそのものだった。順調に建設が進み、来年春には新スタジアムで試合が行われるらしい、それは同時に、私が子供の頃から通い詰めた広島ビッグアーチでサンフレッチェの試合が行われなくなることも意味する。手元の集計で、広島ビッグアーチで観戦した試合数は111、今まで観に行った試合の5割弱をビッグアーチで観たことになる。今は遠方に住む身、全てにはいけないにしても、せめて最後の試合くらいはビッグアーチに行こう。専用スタジアムができる喜びと、ビッグアーチで試合が行われなくなる哀しさを感じながら建設現場を眺めていた。

建設が進むサッカースタジアム

広島ビッグアーチの思い出

 私が最初にビッグアーチ、それからJリーグに触れたのは、地上波の生中継だと思う。それがどことの試合で、いつなのか全く記憶にないのだが、偶然サンフレッチェの試合の中継がテレビで放送されていて、当時は家族全員サッカーには興味がなかったはずなのだがなんとなくそれを見ていた。私の家が広島ビッグアーチからさほど遠くないこともあって、両親が「いま雨が降ったら、テレビに映っているビッグアーチも雨が降り始めると思う」というようなことを言っていたことだけ覚えている。

 それから少し経って、私が小学校に入学して1年が経とうとしている頃、ひょんなことから入場引換券みたいなものを貰って、広島ビッグアーチでサンフレッチェの試合を観に行くことになる。人生で初めてのスポーツ観戦、サッカーというスポーツ自体は知っていたが、ルールは全く知らず、チームのことも全く分からなかったが、何日も前からサッカー観戦を楽しみにしていた。そして、2006年3月5日JリーグDIVISION 1 第1節、サンフレッチェ広島対鹿島アントラーズの試合当日を迎えた。少し肌寒いがよく晴れていて、スポーツ観戦には最高のコンディション、開幕戦ということもあって、サポーターの熱気はすごい。選手入場とともに大量の紙吹雪が舞う騒然とした雰囲気の中、試合が始まる。当日は来場者プレゼントで小さなフラッグが配られていて、私はバックスタンドでその旗を振りながら試合を眺めていた。
「オフサイドってなに?あの枠(ペナルティエリア)の中からシュートしたらダメなの?」
「わからない」
初めてサッカーを見る親子の会話としては定番みたいな会話をした記憶があるが、目の前ではおよそサッカーとは思えないほどの撃ち合いが繰り広げられ、前半だけで両チーム合わせて5点が入る。鹿島は小笠原のPKに柳沢のハットトリック、広島はウェズレイの2ゴールに佐藤寿人も得点を奪い、3-4で鹿島の勝利となったが、合計7点が入る試合なんてなかなか見られるものではない。偶然にも最初に見る試合としては最高の条件がすべてそろったような試合を引き当てたのだった。家に帰って、「また見に行きたい?」と両親に聞かれ、一瞬悩んだものの「うん」と言ったことで、私はサッカー観戦という大きな趣味を手に入れることになった。2006年3月5日、間違いなく私の人生で大きなターニングポイントになった1日だろう。ちなみにこの試合、鹿島の内田篤人のプロデビュー戦でもあったのだが、それは後々に内田がリーグを代表する名士となって知った話である。
 
 2006年はサンフレッチェが開幕から絶不調、全く勝てず、私の現地初勝利はビックアーチ5試合目の5月6日アビスパ福岡戦まで持ち越しとなった。この試合は大雨、とにかく寒くて客席にいられたものではなく、バックスタンドの端のB1ゲート(いや、A10ゲートだったかもしれない)の軒下で雨をしのぎながら、たまにピッチの様子を覗うようにして試合を観ていた。終了間際に駒野がフリーキックを決めて勝ったのだが、確かゴールシーンは直接見ていないはずで、それでもとにかく勝ててうれしかった記憶がある。

 全く勝てなかった夏場までと違い、9月以降は殆どの試合で勝てるようになったサンフレッチェ。ウェズレイと佐藤寿人の2トップはあまりにも強力で、躍進を期待した2007年、驚くほど苦しい展開が続く。横浜FC戦では目の前で三浦知良にゴールを決められ、FC東京戦では0-5で大敗した。そして降格が見えてきた11月の千葉戦、佐藤寿人と駒野のゴールで2-0とリードしていて、これは久々の勝ちだと思っていると、後半ロスタイムに千葉の新居のゴールで1点を返される。「まあ1点なら大丈夫」と思っていると、山岸に同点ゴールを奪われ、なんと土壇場で2-2の同点になった。この試合はビッグアーチで見た試合の中でも指折りの悔しい試合かもしれない。そして12月8日、J1J2入替戦の京都戦。この試合は全席自由席扱いになった。なぜかメインスタンドのSSから埋まっていくのを見て、こういう時こそゴール裏で共に闘えよと思った当時9歳の私だが、広島の猛攻も京都の堅守を破れず、槙野のオーバーヘッドが外れていくのを見て何かを悟ったのだった。チームに疑問を呈する横断幕がB5ゲート付近に何枚も掲げられ、周りからは横断幕に向かって「おろせ」の大合唱。当時の単純な私はたぶんJ2なら毎回勝てるし、そっちの方が楽しいんじゃないかなんて、今なら各位から殴られそうなことを思っていたが、あまりにも殺伐としたスタンドの雰囲気だけは今でも鮮明に覚えている。

 まだJ3もなければチーム数も少なく、今の魔境とは全く違うJリーグDIVISION 2、この頃私はサポーターズシートとバックスタンド自由シートの境目のあたりで観戦していたのだが、このあたりから周りの人たち仲良くなり、一緒に観戦することも多くなった。その中に佐藤昭大、森脇など何枚か横断幕を作っていた人がいて、入場するとすぐにいつもの位置の座席を取って、横断幕の準備をしていたのも思い出深い。久保竜彦のスーパーゴールを見たり、時には岐阜相手に7-1で勝ったり、単純な私の予想通りとても楽しい1年を過ごして、9月23日、愛媛戦を迎えた。ALL FOR J1を合言葉に戦ってきた2008シーズンの集大成のような試合で、この試合の服部公太のボレーシュートは私にとって一番好きなゴールになっている。終盤に1点を返されたものの、4-1で勝ちJ1昇格が決定、まるで優勝したかのように歓喜の輪ができ、祝福の紙テープが舞った。J2の最終戦、徳島戦は吹雪が舞う中の試合で、たしか偶然土曜授業か何かの日で、小学校からスタジアムまで直行したのも個人的思い出になっている。
 そのまま2009年にはJ1で旋風を巻き起こし、2010年にはACLの出場権を得た。最初の試合は2月24日の山東魯能戦、Jリーグとは違ってアウェイサポーターはほとんどおらず、広島サポーターの声だけがスタジアムに響き渡っているのは心地よかった。上空は雲一つない黒一色の夜空で、星は見えないのだがこのスタジアムに掛かる2つ目のアーチのような夜空が私は好きだった。2011年シーズン以降、中学・高校の6年間はあまりスタジアムに行けなかったのだが、2012年のJ1初優勝の時はスタジアムで迎えたし、2017年に上京してからは帰省の度にサンフレッチェの試合を観に行った、いや、サンフレッチェの試合日程で帰省の日程を決めているというほうが正しい言い方かもしれない。

J1初優勝の瞬間
表彰式
2022年の柏戦。結局これが私にとって最後のビッグアーチに。
子供の頃は左下の織田幹夫記念ポールのあたりが定位置でした。

ビッグアーチからピースウイングへ

 そんな広島ビッグアーチことエディオンスタジアム広島、私にとってのこのスタジアムの112試合目にして、ついに最後の試合がやってきた、はずだった。チケットを取って、広島行きの新幹線の切符を買って、万全の準備をしていたのだが、避けられない、かつ優先すべき都合が入ってしまい、残念ながら最後の試合に立ち会うことは叶わなかった。

 2023年12月15日、新スタジアムことエディオンピースウイング広島のオープニングイベントが発表になり、こけら落としの試合がガンバ大阪戦と決まった。自分の生まれ故郷に誕生する新しいサッカースタジアムのこけら落とし、間違いなく人生で1回しかないだろう。真っ先に往復の航空券を取った。年が明け、無事にゴール裏のチケットも取った。

 2月9日、仕事を終え、羽田行きのバスに飛び乗る。オンラインチェックインを済ませて、音楽を聴きながら微睡んでいると、首都高は帰宅ラッシュの車でやや混雑しているようで、普段のリムジンバスよりは少しゆったりとしている。時間にはまだ余裕があって、何も焦ることはない。かなり長いこと渋滞にはまっていたような気がしたのだが、羽田に着いたのは意外にもほぼ定刻どおりだった。いつものようにお土産を買い、普段なら立ち食い蕎麦屋に入るところを今日はラーメン屋にして夕食を済ませ、荷物を預けると出発時刻の45分前くらい。保安検査場にはやや列ができはじめていたが、意外にもスムーズに抜けることができて、搭乗口に向かう。最近は飛行機が遅れることが多くて、前に福岡便に乗った時には機材繰りの都合で1便後の福岡行きのほうが先発するなんていうこともあったが、今日は今のところ遅れの情報もなさそう。無事広島に帰れると思いつつ搭乗口につくと、その瞬間に自分の便の遅延の放送が入る。出発時刻は20分後ろ倒し、残念ながら今回も遅れるらしい。搭乗口で待つこと40分、ようやく機内に入って、真っ先にタッチパネルで機内誌を開く。アーカイブ含め3か月分を読み漁り、機内サービスの飲み物を飲み、外の景色を眺めていると広島空港に着いた。

こけら落とし

 2月10日、こけら落としの朝がやってきた。普通に朝ご飯を食べて、ユニフォームを着て、タオルマフラーをカバンに詰めて、いつもと同じ気がするが、今日の目的地は広島市内の中心部。いつものように住宅街を抜け山が迫っていくのではなく、マンションの背が高くなり、太田川が太くなっていくのを見て、まだ現実感がない気がする。県庁前につき、地下街のシャレオに出ると、多くの紫サポーターの姿。広島市の中心部、紙屋町の地下街にサンフレッチェサポーターが集っているという事実に感慨深いものがある。

 シャレオを歩いていると10時のチャイムが鳴った。そのまま西通りを歩いて、旧市民球場の出口から地上に出て、球場跡地を歩いていく。この場所にあった旧市民球場にも幼いころ何度かカープの試合を見に来たことがあったが、今度はサンフレッチェの試合でここに来ることになろうとは。しばらく歩いていると、ピースウイングへの誘導の看板が見える。その通りに進んでいくと幼いころ何度も来たこども文化科学館やファミリープールが見えてくる。相変わらず同じようにSLが展示されているんだな、そう思いながらその横を通り過ぎると、一直線の歩道橋が伸びていて、その先に真新しいスタジアムが見える。これには鳥肌が立った。本当に現実なのか、夢なんじゃないのかと思いながら歩道橋を歩いていくと、EDION PEACE WINGのモニュメントが見える。ついにこのスタジアムについてしまった。

すごい。スタジアムへ架かる橋。
これがバックスタンド。

 長蛇の列で入場まで何分もかかるのではないかと思っていたが、意外にも列はほぼなくて、すぐ場内に入ることができた。ゴール真裏くらいに席を確保し、場内を一通りまわってみる。カープのマツダスタジアムや国立競技場のような開放的なコンコース、そしてどこからでもピッチ全体が見渡しやすい観客席、今まで40近い会場でサッカーの試合を観てきたが、紛れもなくこのスタジアムがナンバーワンだと思う。これが広島でサッカーに関わってきた人たちの長年の夢の形なのかとこみ上げてくる想いをこらえつつ、一方で、まだ壮大なドッキリなんじゃないかという気持ちもありつつ、ゴール裏あたりのコンコースを歩いていると、東京から高速バスでやってきたという友人に会った。
「このスタジアムは良いね」
「まだ壮大なドッキリなんじゃないかと思ってる」
と言葉を交わした。

これが夢の空間。

 昼前になり、バックスタンドの売店で焼きそばを買って自席に戻る。ビッグアーチによく行っていたころ、スタジアムグルメといえば焼きそばだったのだが、当時飼っていたものとほぼ同じくいか天が入っていてとても美味しい。残念ながら写真は忘れてしまった。

 フィールドでは様々なイベントが行われていた。100人規模のダンスショーに生歌の披露、そしてスタジアム開き。久保会長の掛け声で周りの人たちと”ハイタッチ”が交わされると、ゴール裏からはこのスタジアムでの第一声として「久保サンフレ」コールが巻き起こった。

今日はここから

 13:10すぎ、川浪と田中がウォーミングアップのために登場するとゴール裏は一気にスイッチが入る。ホームのスタジアムに響き渡るサンフレッチェサポーターの声、これが専用スタジアムなのかと魂が震える。続いてフィールドプレイヤーが入ってくる。ガンバサポーターからは大きなブーイングが起こる。未だかつて広島のホームスタジアムでここまでブーイングが響き渡ったことはなかったのではないか。こういう部分でも専用スタジアムのすごさを感じる。暫くすると選手一人ひとりのコールやチャントが歌われるが、今シーズン東俊希と茶島に新しいチャントが作られたのは感慨深い。とくにスクールから下部組織出身の茶島は、私も(ジュニアの選抜チームにすら上がれなかったが)サンフレッチェのサッカースクールに通っていた私からするととても嬉しいし、新しいチャントが歌われたときの東はとても嬉しそうだった。

 さて、肝心の試合のほうは1-2、詳細は様々なマッチレポートが出ているから割愛するとして、サッカー専用スタジアムのすごさにただ驚かされる90分間だった。ゴール裏の中央、フラッグが舞う付近にいて、現に私の視界の中には何本もフラッグがあったのだが、客席全体の傾斜や角度が絶妙なのか、フラッグの存在がほとんど気にならずフィールド全体を見渡すことができる。傾斜が急すぎないから近くでフラッグが振られても危険を感じることがない。そして、ピッチ全体をものすごい迫力で、かつ俯瞰的に全体を見渡すことができるというのが驚きだった。特にピッチレベルに観客席があるスタジアムだと迫力はあっても試合を俯瞰的に観られないことが多いのだが、このスタジアムは迫力と俯瞰的な視野を両立できている点が唯一無二に近い(感覚的にはフクアリに似ている)。屋根のお陰で自分たちの声が響き渡る感じもある一方で、三ツ沢や日立台で観ているときのように選手の声やぶつかり合う音まで聞こえてくる感覚がある。いままでJリーグから地域リーグまで、全国40近くの会場でサッカーを観てきたが、個人的スタジアムランキングを作るなら紛れもなく堂々の1位だった。

 迫力があって、全体も観られるスタンド、そして響き渡る両チームのチャント、ハイレベルな両チームのプレー、本当にこれが俺たちのホームなのか。ビッグアーチを駄目なスタジアムというつもりは全くないが、ビッグアーチでやっていたのとは違うスポーツなのではないかと思ってしまうほど質的に異なる最高の空間がそこに生まれた。

 長年チームを支えてきた塩谷、青山、柏、野津田、茶島の躍動。そして精度の高い東のクロスから突き刺さるようなピエロスのゴール。惜しくも逆転負けとはなったが、長年の夢だった私の生まれ故郷のチームのホームとなるサッカースタジアムが具現化する瞬間なんて、この一生に一度の機会だろう、それは紛れもなく“ベストゲーム”だった。

 試合終了後、スタジアム併設の広島サッカーミュージアムを見学する。歴代の優勝トロフィーが並んでいるのも目を引くが、個人的には年表に私の母校の名前が刻まれていたのが嬉しかった。

 スタジアムから市民球場跡地側に出ると、カープのセントラルリーグ優勝記念碑が目に留まった。いまから15年前、本拠地は駅前に移ってしまって、ある意味それはサッカースタジアムに関係する議論が進み始める要素の一つにもなったことだから関係性は複雑だが、サッカースタジアムがこの場所にできたからこそ市民球場もここにあれば良かったかもと思ってしまうのは贅沢が過ぎるだろうか。2024年、紫のチームがあのスタジアムで優勝して、そして赤のチームのこの記念碑にも6年ぶりに一行書き加えられたなら、この街は真に輝くのかもしれない。

右の石碑にも二行目を刻もう。


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