見出し画像

かなしみが過ぎるおはなし

山本有三著「路傍の石」を取り上げます。

小学生のころ、教室の後ろの方に本棚がありました。そこには担任の先生が僕らが読んだ方がよいと考えた本たちが並んでいました。そこにこの悲しすぎるおはなしー路傍の石ーが紛れていました。

その辺の石ころというタイトルです。僕以外に誰も借りなかったのですが何故か親にねだって買ってもらった記憶があります。

「悲しい話なんて忘れちゃえ」と言う主張も分かります。僕も忘れたい悲しい出来事をいくつかしょって生きています。父方・母方の祖父が亡くなったことや、そもそも父方の祖母がどんな人か知らないとか。

あくまで個人差があるのは百も承知です。戦術のことを述べられるようになったのは、この本に「お前が辛いと感じてることよりもっと地獄がこの世にあるぞ」と教えてもらいました。そして、「未完結で終わる小説もある」とも教えてもらいました。

大正時代であっても今の常識がほとんど通じない時代です。「鬼殺隊」と名乗って日本刀を振り回し、鬼と戦う少年たちがいたりしますからね。

それはさておき、「路傍の石」はある賢い少年、吾一が主人公です。

「鬼殺隊」は出てきません。

あらすじ

吾一の家は父親が遺産を使い倒し、借金を抱えていました。母親が内職をしていたものの、家計は火の車でした。吾一が進学しようにもお金がなくて進学できない状況でした。

近所の本屋の店長で吾一の母とも親交のある安さんが学費を援助しようとすると、父親から妨害されてしまいます。担任の次野(つぎの)先生は残念がりましたが、吾一は進学を断念して地元の大きな店に住み込みで働くことになります。

吾一は店主からのパワハラ(「名前変えろ」、食事が満足に取れない等)は当然として、同級生だった店主の子どもたちからも辛く当たられます。時を同じくして、お母さんも亡くなってしまいました。これをきっかけに吾一は父親を捜しに東京に行きます。

ところが下宿先と思って行った集合住宅にはすでに父親はいませんでした。待っていたのは、集合住宅の大家に「人質」としてこき使われる毎日でした。良くしてくれたのは美大生の黒田さんだけでした。そんな暮らしも父への人質としての価値がなくなると判断されるやすぐに追い出され、ホームレスになってしまいました。

ホームレスになってしまった吾一はお葬式の引出物を転売して稼ぐおばあさんに拾われます。ある日、たまたまお葬式で黒田さんに再会した吾一は黒田さんの紹介で印刷工場で働くことになります。印刷工場でもやっぱりいじめられます。そんなある日、吾一は次野先生と思しき人が書いた原稿を見つけます。次野先生が教壇に立っている夜学で勉強できることになって、物語は終わります。

僕が読んだのはかなり新しく編集された版なので、Wikipediaのあらすじからかなり逸脱してますがあしからず。

読んだことで受けた影響

大正時代は今と学校制度が大きく違います。吾一が進学したかった学校は作中で「中学」と呼ばれています。実質無償化が決まる前の高校と考えていただければ幸いです。そして、初めてこの本を読んだ時、ちょうど僕も「中学」に進学する手前でした。僕の行く予定の「中学」と違うと頭でわかっていても、自分と吾一を重ねざるを得ませんでした。

大人の「学べる環境があることをありがたいと思え」という意味が良くわかりました。今にも通じる問題を孕んだ作品だと思います。世間が社会性の強いドラマを求めたら真っ先に実写化してほしい作品の一つです。

そして、貧困は悪ですね。吾一が学ぶ機会を得られないのも、おっかさんが息子を働かせないと暮らしていけないのも、そして吾一がいじめられても仕事を続けざるを得ないのもすべてお金がないからです。

救いは、吾一が「学びたい」という気持ちを変わらず持ち続けることです。そして、この要素がなかったら、「路傍の石」は「にちゃんねる」における胸糞悪い話たちのごった煮みたいな小説で、ここまで長く読み継がれないでしょう。

まとめると、

①社会性強い

②貧困・貧乏は悪

③それでも何か希望を持ち続けること

というのがこの作品から取り入れたことです。

頂いたお金は本代にありがたく使わせていただきます。