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中国人以上に中国史に詳しい純ジャパニーズによる中国史講座①自己啓発書やビジネス書を読んでも上手くいかない人へ
私のゼミに日本語がわかる中国人留学生がやって来た時、「この中の歴史上の人物だと誰がわかる?誰が人気?」と質問攻めにしたことがあります。
すると、中国で生まれ育った人でさえ存在を知らないような武将の名前をポンポン出してくる謎の日本人と認識されました。留学生ってことはある程度教養があると考えていたので、私としては少し驚きました。
そんな私が、ビジネスシーンで起こりえる問題を、中国4000年の歴史を使って、皆さんが解決するお手伝いをしたいと思います。
第一回は「自己啓発書との付き合い方」です。
このnoteを見ている人に限らず、
自己啓発書を読んで、内容を実践しようとしたら自己啓発書のとおりにいかなかった…
ことがあるかと思います。こういう人の中で世界屈指の知名度を誇るのが「馬謖(ばしょく)」です。
一方で、
(どこまで鵜呑みにしていいかはわからないけど)自己啓発書を読み、内容を実践し、成功している人がいます。夢を叶えてくれる関西弁で喋るゾウ(上野動物園のゾウが突然流暢な関西弁喋りだすことはないよね?フィクションだよね?)が出てくる自己啓発書(小説)のオチは大抵そうなってますよね。
こういう人の中で、今回「馬謖」の対になる人として最適なのが「韓信(かんしん)」でしょう。
馬謖から見ると、韓信は100年以上前の歴史上の人物です。それぞれの上司は馬謖が諸葛亮、(日本で有名な呼び名は孔明)、韓信が劉邦(のちに中国統一を果たし、漢の国を作った人だととりあえず思っていて下さい)です。
共通点は、二人とも同じ作戦を用いたにも関わらず結果・評価は正反対になりました。
馬謖はそれまで勝ち続けてきた自国が戦争を続けるのが困難なほど負けてしまい、それまで可愛がってもらっていた孔明に叱責され責任を自らの命をもって償いました。
一方で韓信は、それまで劣勢だった自国と敵国の力関係を逆転させ、劉邦の天下統一に大きく貢献した名将だと3000年経っても語り継がれています。
何がこの二人の明暗を分けたのでしょうか?
(>人<;)「ちょっと待って!二人がどんな人かはなんとなくわかったけど、もうちょっと詳しく説明して!」
という声が画面越しにびんびんに伝わってきましたのでご説明します。
馬謖も韓信も、敵を倒すため「背水の陣」を敷きました。
馬謖の言い分は「
水源のない山の上に陣を敷く、
そうすれば兵隊が必死になって戦うから勝つ!
って書物に書いてありました!」
というものでした。
韓信の言い分は「
①川を背にして退路を絶つ陣を敷きます
②①の陣を攻めるために砦から出てくる敵を背水の陣を敷かせた我が軍が一時的に足止めします
③その隙に、伏兵でもって普通に攻めたら落とせない敵の陣地を攻め取ります」です。
馬謖は知識を現実に当てはめることが目的になっている一方で、韓信は「普通に考えたら背水の陣って愚かだよな…そうだ!なかなか攻めてこない相手に攻めさせるために使えばいいんだ!」と考えたことが最大の違いだと思います。
そして、馬謖は現場に出た経験が韓信より乏しかったため、部下の諌めを受け入れませんでした。しかも、この敗戦によって押せ押せムードで、魏(敵の国)を押し込んでいた蜀(孔明チーム、だと考えてくだされば十分です)は戦闘続行を諦めざるを得なくなります。
一方で韓信は実際の問題に知識をうまく当てはめ、相手チームの砦を奪うことに成功します。これにより、勝利を積み重ねた劉邦たちは漢の国を築くことに成功します。
まとめると、
知識を現実に当てはめるのが目的なのか?それとも、目的を達成するための手段なのか?そこのところをよく考えて、皆さんが既にお持ちの知識をブラッシュアップして実践して下さい。
私は微力ながらそんなあなたのことを陰ながら応援しています📣
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