名前の話②
足利直義が、好きである。
好きじゃなかったら、直義を主人公にして
原稿用紙550枚超の作品なんて、書かなかった。
で、好きなところはいろいろあるのだが、
そのなかの一つは、名前だと思う。
異様に良い名前じゃありません?
素直の直、廉直の直に、義ですよ。
ぴったりすぎません??
しかも読み方が、「なおよし」じゃなくて、
「ただよし」なのが最高。
「なお」いいんじゃなくて、「ただ」いい。
音がかっこいい。ただよし。
で、私は、「入間川」と『世尊寺殿の猫』という
直近の二作でどちらにも直義を書いているのだが。
どっちも、「直義」じゃない、のである。
「入間川」は、既に出家して、
「慧源」という法名になってからの直義。
『世尊寺殿の猫』は、まだ鎌倉での青年期、
初名の「高国」という名だったころの直義を描いている。
「入間川」は、おおむね、直義という名で通した。
地の文の中で出家前の古い名を使っても、
さほど不自然ではなかったからだ。
でも、『世尊寺殿の猫』のほうは、そうはいかない。
まだ、作中現在では、彼の名は「高国」なのだ。
これから得る名を、先走って用いるわけにはいかない。
そんなわけで、『世尊寺殿の猫』の中では、
直義はずっと高国である。
でも…。
高国っていう名前、モブ味が強すぎないか?
どっちも小学二年生で習う漢字やぞ。
(そんなこと言ったら高時もだけど、
「時」ってついてたら「北条!」ってなるからさ)
高国。実に、「三男坊(庶子)」って感じの名だ。
原稿用紙550枚書いてるうちにまあまあ慣れて
可愛いもんだと思うようにはなったけれど、
やっぱり直義は「直義」がいい。
というわけで、ここで、昨日も紹介した
『世尊寺殿の猫』の帯を、改めてご覧いただきたい。
表と裏、合わせて三回、「直義」って言ってる。
実は『世尊寺殿の猫』の本文には、
たった一回しか「直義」という名は出てこない。
原稿用紙550枚のうち一回しか出てこなかったのに、
帯の短い文言のなかに、三回も「直義」って…。
これはもちろん、
「帯には『足利直義』っていう名前をですね、
ぜひとも入れていただきたいんです」
という筆者の強い要望を、
懐の深い編集さんが受け入れてくださったおかげである。
ちなみに、帯での三回に加えて、
カバーを折ったところにある「筆者の言葉」コーナーでも
筆者が直義への愛を語っているので、
カバー周りで都合四回「直義」が出てくる。
…ちょっとやりすぎたかもしれない。