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ポッドキャスト#009収録しました

女友達エミリーとはじめたポッドキャスト。

「#009_海苔弁キターー(゚∀゚)‼︎/誕プレをはじめておねだりしてみた」を収録しました。エミリーに再構築をお願いしたポッドキャストの進行。今後は共通のテーマを設けず、ただその週起こったことをつぶやきとしてそれぞれ伝え合おうということになりました。それで話も盛り上がるし、十分じゃないか。


今回は、おねだりができなかった自分について少し書いてみようと思います。

お父さんはドーナツを買ってくれなかった

幼い頃、電子部品やパソコンのソフトを買うという父にくっついてよく秋葉原に行きました。「ドーナツ買ってあげるぞ」とか「コーヒー屋さんでホットドックを食べよう」と食べ物につられて喜んでついて行っていたけど父は約束をよく忘れてしまう人だった。いつ買ってもらえるんだろう…ミスタードーナツやドトールコーヒーの看板を探しては、さして興味のない秋葉原の街を散々歩かされた挙句、帰路についていることが何度もありました。ただ一言「お父さん、お腹すいた」とでも言えば良かったんだけど、あの時のわたしには父にそれを言うことができなかった。家に帰って母に泣きつくのが常でした。

でん六の悲しい記憶

時折、母が持たせてくれた「麦チョコ」を食べながら車で秋葉原に行くこともありました。わたしは一粒ひと粒をゆっくりと食べて、たとえ父がドーナツを買ってくれなくても帰り道が悲しくならないように食べるペースを調整していた。すると、運転席に座る父の大きな右手がやってきて麦チョコをガバッ!と掻っさらっていきました。自分が大事にしているものを巨大ブルトーザーが壊しにかかっているようなそんな光景が何度か繰り返されたあと、袋のなかの麦チョコが数えるくらいになったのを見て、悲しくて泣きました。父がどうしたのか聞いてきたけどとてもじゃないけど言えなかった。父の手がブルトーザーみたいだったから、なんて。麦チョコのパッケージに描いてある、パンダともたぬきともつかないでん六のキャラクターを見ると今でもなんとも言えない気持ちになるんだよね。

夫のプレゼントのセンス問題

こんなわたしだって人並みに恋人時代を経験し、ジュエリーや時計などの「一般的に女性が喜ぶとされる贈り物」をされたことがありました。いつだったか大粒ダイヤのネックレスをもらったことがあって、一応その他女子がやるように喜んでは見せたけど正直ジュエリーに全く興味がなかった。何よりネックレスが死ぬほど似合わなかったので数回つけてどこかにやってしまい、現・夫にめちゃくちゃがっかりされました。まじでごめんね。

そうして夫は、わたしの趣味趣向とはかけ離れたステレオタイプな贈り物(by 丸井)を度々してくれました。贈り物から「こういうのが似合う女性になって欲しい」というメッセージを感じる度に、“彼氏好みの女になるなんてまっぴらごめんだね!” と寄りかからない精神も育ってしまった。ダイヤじゃなくてアンティークパールが欲しいし、華奢な革手袋じゃなくてぽってりニットの手袋が欲しいのよ。

欲しいものが欲しいだけなんですが

「彼氏に買ってもらったものを嬉々として身に付けるかわいい彼女」を演じることができなかったわたしは「自分が欲しいものは自分で買う」という道を歩んできたのですが、ここへきて別の道もあるんじゃないかと気づいたのでした。もし日本にもリスト・ド・マリアージュの仕組みがあったら、マリアージュ(結婚)周りだけでなく出産、成人、誕生日、退職、還暦…などのありとあらゆる節目にかこつけてリスト・ド・なんちゃらの商機を生み出していたはず。ただ「相手が欲しいものを贈る」という至極真っ当な贈り物の図式が浸透していれば夫のように相手の気持ちを汲み取るスキルが低い人とわたしのようにこだわりの強い頑固な人間が要らぬケンカをしなくても良かったのかもしれません。

「贈り物は気持ち」という謎の精神論で、気の利いた贈り物をする人が「粋」で「センスが良い」とされてきました。これだけ多様化した時代にもはや「これ贈っとけばOK!」な逸品などありません。相手をどんなに想っても正解は相手の中にしかない。もう少し合理的に「わたしこれが欲しいの❤️」「じゃ、それ贈るよ!」ができたらどんなにスマートになるでしょうか。

リスト・ド・マリアージュの登場は待てそうにないので、まずは自分から「わたしはこれが欲しい!」を伝えていこうと3○歳にして思ったのでした。

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(今回おねだりしたTopologyのRansel Backpack Dry)

また次回で〜す♪
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