杏・京・キヨエ(2)~不在の聖母——佐原ひかり『ペーパー・リリイ』
ペーパー・リリイ、幻の百合を探す旅とはつまり、聖杯探求と同じく、この世に存在しない
(と思われる)至宝を追い求めることである。
百合の花といえば、西洋文化では様々な象徴としてあちこちによく見られる。
フランス王家やフィレンツェ市の紋章にも「フルール・ド・リス(fleur-de-lis)」と呼ばれる百合の花がデザインされているが、なんといっても「受胎告知」をはじめとする「聖母マリア」のイメージが筆頭だろう。
杏は5歳で母と死別して京介は未婚、心配して電話をかけて来るキヨエの「ママ」は健在だが、本人には重荷のようだ。ヨータの話に母の影はなく、えなっちゃんに至っては「良き母」であることを放棄しての出奔だという。
そういえば、佐原ひかりがTwitterで好きなロードムービーとして上げていた『ペーパー・ムーン』でも、幼いアディが母と死別しており、『菊次郎の夏』でも、正男が行きずりの菊次郎と一緒に会いに行ったのは、生き別れた母だった。
(私もこれらの映画が大好きなので、やはりシュミが似ている)
「あらまほしき母」は、ここでも見事に不在だ。
行き先を問われて、えなっちゃんは「この世の外ならどこへでも」と答えた。
ボードレールの散文詩のタイトル "Any Where out of the World" の訳文はいろいろあるが、私のお気に入りは澁澤龍彦訳の「いずこへなりとこの世の外へ」だ。
これは、澁澤龍彦が翻訳したJ・K・ユイスマンスの小説『さかしま』の本文中にタイトルのみが引用されているのだが、主人公のデ・ゼッサントはその通りのことを試みる…(以下、興味を持たれた方は河出文庫↓をどうぞ)
あの谷間に幻の百合が咲くのは、お盆の3日間だけだという。
聖母のように優しくすべてを包み込んでくれる「理想の母」も、この世の外にしか存在しないのだろう。
だが、『ペーパームーン』で使われた名曲 "It's Only a Paper Moon" の歌詞のように、「うそもの」が「ほんもの」になることもある。
♪But it wouldn't be make-believe
If you believed in me♪
(でもね、君が僕を「ほんもの」だと思ってくれるんなら、それは「うそもの」じゃなくなるよ)
騙し騙され、信じて、裏切って裏切られて…
それでも、何を信じるかは自分で決めればいい。
先に、紋章の「フルール・ド・リス(fleur-de-lis)」を百合の花と書いたが、実は元々のデザインのモデルとなったのは、黄色いアイリスの花(和名・黄菖蒲)だったらしい。
その後キリスト教の聖母信仰により、アイリスよりも聖母の象徴である白百合のイメージの方が強くなった、という変遷があったようだ。
何が「ほんもの」かなんて、わかりやしない。
「あたしのうそものはだれかのほんもの。だれかのうそものがあたしのほんもの。大事なことだ。復唱復唱。」
(『ペーパー・リリイ』より引用)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?