礼儀作法は排他的なものである
「マナー」というと「エチケット」と対比されて説明されます。「エチケット」が目の前にいる相手を不快にさせないためのものであるのに対して「マナー」は社会のためにあるものだと。 ただ単に不快にさせないことを目的とするなら所作の自由度は高いのですが、特定の所作だけが許容されるのは社会のためということです。 窮屈さ、煩わしさを説明できていないように思います。
礼儀作法という概念事体の特性を誤認しているとまでは言わないまでも、手放しで称揚するものではありません。
ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』で礼儀作法は排他的なものだと述べられています。 上流階級の者は、食事の仕方、話し方など、同じ習慣を持っていることから仲間の見分けがつくという記述があります。
『荀子』にも礼は排他的なものであるとの記述がありました。荀子は礼を重んじた儒家の思想家ですが、言及されていたので紹介します。
つまり、礼儀作法という概念は排外主義を内包していてそれが窮屈さをもたらしているのです。