愛をくれた懐かしい人たち
お盆なので、大好きだった母方の祖父母の話を
書きます。
母方の親類は、代々神奈川県三浦市の三崎で
漁師をおり、祖父は網元をしていました。
祖父母は子供の頃からのいいなずけだったそうですが
突然、祖父の兄と結婚するように言われて
反発した祖母は、名古屋で別の男性と結婚。
祖父も地元の別の女性と所帯を持ったそうですが
ふたりとも連れ合いに先立たれ、再婚したそう。
おばあちゃんは最初の結婚で、男の子がいたのですが
おじいちゃんとの再婚の時、亡くなった夫の実家に
残してきたそう。
当時はそれが当たり前のことだったようです。
そんなある日、おじいちゃんがおばあちゃんに
「ちょっと旅に出てくる
いいおみやげを持って戻るよ」と言って
居なくなったそう。
数日後、おばあちゃんの息子を肩車した
おじいちゃんが帰ってくるなり、玄関で
「はい、おみやげ」と言って
その子をおばあちゃんに渡したそう。
おじいちゃんは、おばあちゃんを
本当に幸せにするには、子供と離れ離れに
してはならないと言って
自分たちの息子として
育てることにしたそう。
おばあちゃんは、私に
「あの時、この先、この人が
どんなに酷いことをしたとしても
今日のことで、すべて許そうと思った」と
どんなに嬉しかったかをよく話してくれました。
母たち兄弟とは父が違う兄でしたが
おじいちゃんは、実の子供達と
一切区別をしなかったので
まるで意識することはなかったそう。
母たちの兄の豊さんは
戦争で、海軍に召集され
乗っていた軍艦が沈んで戦死しました。
背がすらりと高く、男前な人でした。
私は時々、おじいちゃんが名古屋に
迎えに来てくれた時、どんなに豊さんが
嬉しかっただろうと想像しては
涙が溢れます。
これからは、恋しいお母さんと一緒に暮らせる。
そんな豊さんを肩車して家路につくおじいちゃんも
おばあちゃんの喜ぶ顔を想像してワクワクして
いたことだろうな。
そんなおじいちゃんも、背が高く
高倉健似の男前でした。
子煩悩で、愛妻家で
ご飯の時も、おばあちゃんが冷や飯を
食べて、炊き立てのご飯を家族に
よそおうとすると、おばあちゃんの
茶碗から一口ずつ、家族みんなに分けて
「こうすれば、かあちゃんも暖かい
ご飯が食べられる」と母たちに
言っていたそう。
私もふたりからたくさんの愛情を貰いました。
おばあちゃんはよく
「早苗ちゃんが幸せなのが
おばあちゃんの世界一の幸せ」と
言ってくれました。
今はもうみんな会えないけれど
会いたいなぁ。