母らしい母との最期の時間
去年の今日、東京から長野の母の病室に行った。今思えば母らしい母とちゃんと会話をしたのは、それが最後だった。
痩せ細って、呼吸器具やら何やら身体中管をつけられていたが、頭はしっかりしていた。弟に年賀状を持ってきてと頼んだらしく、それを選り分けて、自分の訃報を知らせて欲しいのは、この人達ね、と言っていた。
「しばらくは寂しいかもしれないけど、お父さんの時のこと思い出して、何とか過ごしていきなさい」とむしろ、自分が死に逝くことに対する私の気持ちを気遣うのだ。
俳句を折り紙に書いたのを手渡してくれたが、そこで読もうとして、泣きそうになったので、あとで見ることにした。
ほんの束の間のその時を今思い出す。
母はもう私と会う最後のように言って覚悟を決めていた。帰る時、「泣かないで良かった」と。
その後は、危篤の知らせを聞いて走るように着の身着のまま帰ることになる。
その前に妹が母の動画を送ってくれたのだけど、息も絶え絶えなのに笑顔を見せようとしていた。
「最後まで笑顔でね」と。
それは私への言葉でもあり、母自身への言葉だったのかもしれない。
立派な最期の迎え方だったと、やっと思う。
一年という時間がこれ程短く感じるとは。
娘の帰るまた逢う日まで白き風
家族とは別れても見ゆ遠花火
母の句である。
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