2024/11/2-11/11 古代ローマの遺跡とプーリア州を巡る旅①
友人と二人でイタリア旅行に行った旅行記を残します。
11月2日土曜日(一日目) 旅立ちの前に
「生まれるということは死ぬということの約束であって、格別驚くことでもない」
福沢諭吉の言葉であるという。
フライトは夕方だったから陽が高くなるまで寝ていたかったが、目が冴えてしまいたまたま点けたテレビに映っていたのがその言葉だった。
緑色のタイツに羽飾りを身につけた子どもたちが奇妙な舞を踊りながら、その言葉を紹介していた。
私は死が怖い。
初めて死の概念を理解したあの日から、三十三歳になった今でもその恐怖感は全く変わらない。
もしも生まれることが死ぬことの約束に過ぎないとしたら。
その頃の自分はひどい約束をしたものだと思う。
おかげで、日々死の恐怖に追いたてられながら限りある生をまっとうしなければならないのだから。
あるいは生まれる前の場所とは、よほど悲惨な所なのかもしれない。
記憶をすべて置いてきたくなるほどに。
どちらにせよ、自分ならそのような約束を結んでしまうかもしれないと思う。
人生について知る前から、外へと向かっていきたいという性向は自分は持っていただろうという不思議な確信があるからだ。
冷蔵庫の中に二本だけ転がっていたシルクスイートをオーブンでじっくりと加熱しながら、そんなことを考えている。
絶対に旅の前に考えることではない。
死期が近いのかもしれない。
空港へ
旅の相棒と成田空港で待ち合わせる。昨年もドイツに旅行した気のおけない友人。
マイペースだが、コミュニケーション能力の高いユニークな男。
十二月のドイツの厳しい寒さを忘れられないのか、冬物のコートを二枚も抱えている。
絶対にそんなに要らない。
持ってきたシルクスイートの焼き芋を一本分けてあげる。
今回のフライトはエディハド航空EY801→EY085でアブダビ(ザイード国際空港)乗り継ぎでローマへと向かう。初めての航路だ。
エディハド航空の列に並んでいると、前に立つ母子の会話が漏れ聞こえてくる。
「いい?現実のゲームをしなさい。現実の人間同士のコミュニケーションは表情やしぐさで感情が伝わるの。テレビゲームにはそれがない。ゲームをするなら、現実の人間でゲームをするの。わかった?」
黒ワンピースを着た神経質そうな小柄な母親が、まだ幼い息子にきつく言いつけている。
おそらくテレビゲームを禁止されている息子は不服そうに何かを言いたげにしているが母の口調の勢いに押され、何も言えないでいる。
列から外れたところで無力感をたたえた悲しげな表情で見つめる男性。父親だろうか。
私たちは顔を見合わせてしまう。
お席のご用意ができない可能性が
受付でパスポートを差し出すと、彫りの深い顔立ちの大柄な女性スタッフの顔が一瞬こわばり、ご案内があるので、と一番端のカウンターに案内される。
何事だろうかと思っていると、日本人の女性スタッフから何やら言いにくそうに、オーバーブッキングをしておりまして、お席のご用意ができない可能性があります、と単刀直入に告げられる。
初めての経験だった。立ち振る舞いに迷う。
航空会社はごねた人だけが補償を受けられるという話がまことしやかに囁かれているのを知っていた。
実践してみようか。
(もちろん可能な限りで)
それは利己的な考えだけれども、しかたあるまい。これは敗者からの収奪のみによって終結を見る一種の戦いなのだから。
ひとまず待機していると責任者らしい腰の低い男性スタッフが近づいてくる。
手書きのメモで、代替案について説明を受ける。
クアラルンプール、アブダビ、ローマという経路ならば航空券の用意があるらしい。
メモを持つ手が震えている。とても嫌な仕事をさせているなと思う。
しかし、私たちも貴重な休みや資金を使ってこの旅行にきているのだ。引く訳にはいかない。
私はなるべく無駄なことは話さず、不服そうに見えるよう振る舞う。
男性スタッフが良い人そうであるだけに心苦しい。
しかし、代替案というのも大概で、乗り継ぎが増え、到着が十二時間も遅れる上に補償は次回エディハド航空で使える300ドルのバウチャーがつくというもの。とても納得できる内容ではない。
これでお食事をしてお待ち頂くのがよいかと、と空港内で使える2000円の金券が二枚差し出される。
受け取るわけにはいかないと思う。こちらも意地がある。
代替手段についてもう一度調べてもらえますか、と一度突っぱねることに成功した。
それからしばらく待った。
男性スタッフの内臓の弱そうな顔色をこれ以上酷くさせないためにも、次また同じ提案しかしてこない場合にはやむを得ないからそれを承諾しようか、とほとんど諦めて話していると、女性スタッフが近づいてきて小声で、お席のご用意ができました、と言う。
運が良かった。
おそらく金券を受け取って食事に行っていたとしたら案内はされなかったのではないか。
意地を張ったのが結果的に功を奏した。
男性スタッフが大袈裟に頭を下げてくれる。
こちらこそ、不服そうにして本当にごめんなさい。
健康に気をつけて仕事をしてほしいと思う。
続く