【編集後記】映画「荒野の希望に灯をともす」
私がライターになりたかったのは、教育関係者にインタビューし、これからの「多様な学びと生き方」を発信するためだった。
詳しくはこちらをご覧ください。
もちろん、映画記事を書くなどとは思っても見なかった。
ライターになる前は暇で韓流ドラマを見て現実逃避をしていたが、
よもや自分が、本作品のような紛争地ドキュメンタリーにのめりこむとは思いもしなかった。ライターにしては陳腐な表現だが、「青天の霹靂」と言っても過言ではない。
それなのにどうして?はい、息子が見たいと言ったからです。
息子は「名探偵コナン」も大好きだけど、NHKオンデマンドのドキュメンタリーが大好きだ。
本作品をどこで見つけてきたのか、予告編動画を私に見せてきた。
ここで一つ断っておくが、私は本作品を見るまで「アフガニスタン」「パキスタン」「ヨルダン」など、語尾に「タン(ダン)」が付く国の違いすら知らなかった。
それなのに、冒頭のシーンから引き付けられた。
ネタバレになるので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。
見終わった時、私は誰かにこの思いを伝えたいと思った。
それは家族でもない、友人でもない、多くの人にだ。
幸い、私は駆け出しだが、ライターだ。
見終わって帰宅した私は家族が寝静まった後、思ったことを書き連ねた。
忘れないようにするためだ。
翌日はそれを構成し直した。思いだけはあるのだが、話が繋がらないのである。
そう、壁が立ちはだかった。先にも書いたが、私は紛争にまったく詳しくない。
ネットで調べ、記事を読み、わからないことは全てメモして夫に聞いて解説してもらった。
この映画の記事を書くのに歴史的背景は欠かせない。
しかしそれを書くと膨大な文字数になる。ライターには字数制限がある。
この歴史を誰にでも分かるように、そして主要な論点を押さえて書くというのは、おバカさんの私には受験勉強より大変だった。
それでも伝えなければならない
この思いは、ライターになったきっかけと一緒である。
息子のように特別な感性を持って生まれてきた人口3%の子どもたちの生きづらさを伝えなければと思い、ライターを目指したのだ。
今もまた「伝えたい」ならば、なんとしても書き上げなければいけない。
いつものエッセイなら1~2日で終わるが、今回は時系列やセリフなど、鑑賞時には覚えきれなかった(覚える気もなく食い入って見ていた)ので、まずはその検証をしなければならなかった。
夜、子どもが寝静まってから書いて調べていたので、朝が起きれなかった。小5の息子は自分でパンを焼いて朝食を摂り、生き物植物の世話をし、登校寸前まで私を寝かせておいてくれた。慌てて飛び起きて玄関まで見送っていた。そういう意味では息子の協力に感謝したい。
そしていきなり、テストライティングで上限字数も知らずに4000字近い原稿を受け入れて下さった会社に感謝致します。
私はこれからもドキュメンタリーを書いて行こうと決めた。
中村先生の人生に出会ってから10日後、私の記事は公開された。
文末に自分の名前のクレジットを見て感動した。
私の映画記事デビュー作がこの作品であることに対し、何に対しお礼を言っていいのか分からなかった。
とりあえず、記事が出たことを監督にお知らせするメールをしたのだが、そのお礼メールが数日たって監督直々から届いたのである。
なんと!私がライターになって初めて感想を送ってくれたのが谷津監督だというこの幸運。
興奮さめやらぬまま、ご機嫌でいると、帰宅した息子に
「ママ、ご機嫌だね」と言われた。
そして最近では嫌がるハグをして息子に言った。
「人より大変な育児だったし、これからもそうだけど、あなたがいたからライターを目指したし、素晴らしい映画に出会えた。やはりあなたはママにとって最高のギフトだった、ありがとう」
最後に、高校では世界史選択であったにも関わらず、何も覚えてないどころか知らない私に、山川の教科書を持ってきて部分的に徹底指導してくれた夫に感謝します。
横文字だらけの国の名前を覚えられず、事実関係を図にしても頭に入らず、やはり年取ってからの勉強は大変だと痛感しました。
皆さんも学生時代のうちにちゃんと勉強しておいてください。
先生が国会に参考人として呼ばれたことを「証人喚問を受けた」と書いた私に呆れながらも今の仕事を応援してくれている夫、そして相変わらずネタに事欠かない、おかしなことばかり言ったりやったりしている息子に感謝でいっぱいです。
この場を借りてお礼申し上げます→一度書いてみたかった、作家っぽく(笑)
ライター 栗秋美穂