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【編集後記】「私は憎まない」

皆さま、おはようございます。
昨日、公開された記事はご覧いただけましたでしょうか。

実はこの映画記事を書こうかどうか迷っていました。
いつもなら、「この映画書きます」と連絡してから視聴するのですが、この映画に関しては視聴後、書けそうなら編集部に打診しようと思っていました。
もう最初から「こんなつらそうなものは書けない」と思ったわけです。
しかし、なぜか見なくてはいけないような気がして、劇場に向かいました。
視聴後、家族全員無言でした。
息子は「イスラエルが謝っても娘さん達は帰ってこない。だったら、心のない謝罪を求めるより、やっつけた方がいいのに」と、子どもらしい感情でした。
主人が「そうやって、やられてやっつけてを繰り返していたらどうなる?」
息子は「わかってるよ!わかってる。終わりがなく報復が続く。でも悔しいじゃないか」
少し、落ち着こうと言って、館内でカルピスを飲ませました。
息子なりに思うことがあれば言い出すだろう。
私はいつも、息子に感想は聞きません。

私と主人は夜、話しました。
「君には書くのは無理じゃないのかな?」
「うん、そうだね。理解できない」
と、私は別の映画記事を書くことにしました。

見てはいけないものを見てしまった、そんな気持ちになっていました。
1か月もの間、この映画はいつも頭の片隅にありました。
「なんで?なんで?憎むと言う感情は至極当然の人間なら誰だって持っている感情でしょう?」と自問自答し続けました。

苦しかったです。眠れない夜もありました。
私には憎んでいる相手がいるからです。
その人とは距離を置いているので、普段は忘れているのですが、今回の映画でその人に言われた一言を思い出し、私がどれだけ傷ついたか、家族崩壊寸前まで行った今夏の日々が次々と思い出されてきました。

憎んで何が悪いの?関わらないんだからいいじゃない?
子どもは子ども、私は私。子どもがお世話になっているからと言って、私個人が、本心ではないのにその人に迎合する必要はない。
しかも相手はイスラエルのように、絶対に謝らない人なんだから。

葛藤すればするほど、私は仕事に没頭して、アサインもないのに、どこに書くか媒体も決まっていないのに、毎日、記事を書いていました。
書くことで、忘れたかったんです。
自分を追い込むように、仕事をしました。

答えのない映画、それだけが私の感想でした。
我が子を殺された苦しみは私には到底、計り知れないし、ましてや相手への憎悪ならなおさら・・・私には分かってしまう?!・・・。
そこで初めて「書ける」気がしました。
アブラエーシュさんの悲しみは本人ではないから分からない。
しかし、私はたしかに憎悪と言う感情を知っている。

おそらく他のレビューは、アブラエーシュさんの「憎まない」という清い心について書くだろう。
私は「憎悪」の観点から書こう。
そして書き始めたのが10月の終わりだったのです。

記事は、主観が出すぎるのは良くないので、直接的に「憎悪」には触れていません。読んだ人を嫌な気分にさせたくないからです。

しかし、私はアブラエーシュさんとの共通点「憎悪」を違う観点から見ていると気付いたのです。
アブラエーシュさんは裁判という合法的な方法でイスラエルに謝罪を訴えます。謝罪を訴えますが、憎みはしないのです。
一方、私は謝罪を求めないのに(徒労に終わると分かっているから)憎しみ続けているのです。

共通点を見つけた途端、一気に書き上げました。
書いているうちに、憎しみは本人の中で昇華されるものではない。
周囲の共感によって癒されるのだと気付き、今回はその一点、最後の一言を書くためだけに4000字ちかい記事を書きました。

私の憎しみは残っています。友人や夫は共感してくれますが、それでも相手を許せません。
それなのに行動を起こさないまま憎しみ続けている。
アブラエーシュさんのように合法的手段を取ることはできない。
しかも、相手は絶対に謝らない人だということはわかっている。
一度、苦しかった胸の内を話したのに相手は「僕も苦しかったです。考えて伝えました」と言った。
考えて言ったのなら、それは悪意だと思った。とにかくこの人から離れるべきだ。逃げたっていい。

逃げ続けてきた。
そしてこれからも憎しみは消えないだろう。逃げ続けるだろう。
自分の感情に蓋をして生きるだろう。
相手に何も言うことはしない。
人として母として、相手を糾弾することはしない。

唯一、私の中に収穫があったとすれば昇華されることなく、心の中でくすぶっている憎悪の集合体が「戦争」なのだと分かったことです。

私はこれからもその人を思い出す度に、憎しみを思い出すでしょう。。
しかしだからと言って、決着も付けないし、戦いもしません。

憎しみと戦い続けているうちに、私はきっと傷ついた人の気持ちが分かるようになる。だから、相手に憎しみは伝えない。憎んでいるけど、伝えない。
アブラエーシュさんのように「憎まない」なんてできない。
憎しみ続けることで、得る優しさを私は探そうと思います。

憎しみを抱いて生きている人に共感してあげたい、今はそういう気持ちです。

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