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森は生きている、そして呼吸している

裸足とは素足のこと。「素」とは「素顔」という言葉にも使える。
つまり足に何も付けない状態のこと。私は先日、清里の森を素足で歩いた。
「地に足をつけて歩く」とはことのことか。
足の指先とかかとを使って、力加減を工夫する。
地面から出た根っこを、時に竹踏みのようにして土踏まずを刺激するのが気持ちいい。
そんな凸凹の道を上半身のバランスを取って歩く。
地に足をつけて歩く、の意味を調べると「行動や気持ちなどがしっかりしていること」とある。その為には、「バランス」つまり柔軟性が大切なのだ。
時に上半身が倒れそうになる。腐葉土の柔らかい場所に来ると足が埋もれそうな感覚がする。体の柔軟性が大切だ。もちろん心の柔軟性も。

この日、私は10歳の息子と一緒に参加した。息子は普段から草履で歩き、毎週のように山に登っているので健脚だ。
その彼はガイド(「ミチヅクリ」の金子潤さん)の真後ろを遅れることなく付いていく。
私からは息子の帽子の先端しか見えない。随分と前を歩くようになったものだ。
時折「ママ。大丈夫?」の声に「頑張っているよ」と私は答える。
そう、「大丈夫」ではなく、いつも私は「頑張ってきた」
心配ばかりの子育てだった。
大丈夫と思ってもすぐに「やはりこの子は一般社会では生きていけないのではないか」といつも思っていた。
しかし、この日は違った。楽しそうに周囲や上を見て、いろんなものを見つけては感嘆の声が聞こえてくる。私の中に「心配」はなかった。

息子がまだ幼稚園に入る前、鬱蒼と樹々が茂る森で毎日を過ごした。日陰の多いその場所でも、いつも彼は裸足だった。
土を掘って水が流れるようにして遊ぶのが好きだった彼に合わせて、私もいつも裸足でその水路に入って堰止め係をしたものだ。
多くの親子が踏みしめた固い斜面を、息子を追いかけて一日が終わったあの頃。
今回の森が、その時のことを思い出させてくれた。
五感の記憶というのは、時にこうして昔を思い出させてくれるのだと実感した。
森も私も息子も生きている。そして森の静寂と土が、私たちが「呼吸している」ことを教えてくれた時間だった。これからは心配ばかりせず、深呼吸して生きたい。


【参考情報】
(一社)ミチヅクリ  人(はだし):金子 潤  https://michizukuri.or.jp
コラム『はだしで野生を取り戻せ』
→個人的におススメ、
 https://engawa-toyota.com/wp/hadashinohito1/
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【告知】2024年10月26~27日 アースガーデン秋@代々木公園。
金子さんは27日の日曜日にいらっしゃいます。
https://www.earth-garden.jp/festival/78737/
こちらのワークショップ、おすすめです。

☆ワラーチとは:メキシコ北西部の先住民族であるタラウマラ族(ララムリ族)が履いているサンダルで、
「走れるサンダル」とも呼ばれています。

【エッセイあとがき】
最近、真面目に「スキルアップ冬眠」をしておりまして、書くだけでなく、いろいろな体験を通して、感性を磨いているところです。
特に今回の「森を裸足で歩く」経験は、感覚が研ぎ澄まされるのが自分でも良く分かり、この感覚というのは文章にも似ていると思いました。
文章は、セオリーも大切ですが、感覚でバーッと書く方が私には合っていると改めて感じました。
今回の文章がそうです。
(インタビューの時は構成を考えますが、エッセイは何も考えずバッーと書いて、その後の文章を削る作業が大変です)
翌日の朝、足裏がちょっとヒリヒリするのを感じながら、一気に書き上げました。
タイトルは、歩きながら浮かんできたものです

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