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思うことシリーズ 「掘り出しもの」
最近いわゆる「掘り出しもの」に出会うことが極端に少ない。
原因ははっきりしている。インターネットと加齢だ。詳しくは最後に述べたい。
掘り出しものを見つけた時の何とも言えないワクワク感、喜びは格別である。
そこで今回は「洋服」を例に、私の掘り出しもの遍歴をご紹介したいと思う。
いってみヨーカドー
この数十年で「買いもの」に関して、とてつもなく便利な世の中になった。
特に2000年代に入ってからの変化はすさまじい。
その昔(90年代半ばまで)、洋服を買いに行こうと思ったら、近場ではイトーヨーカドーしかなかった。
小学生男子の私は、親がヨーカドーで買ってきた服を、良いも悪いもなくただただ着ていた。(たまに着たくないものはあった)
中学生になるとご多分に漏れず色気づき、ファッションにも興味が出てきた。
しかし、いかんせん何の知識もお金もない私は、ヨーカドーに行って自ら選ぶことくらいしかできなかった。
原宿が流行ファッションの発信地ということも、パルコもマルイも知らなかった。ありがとうヨーカドー
JEANS MATE
しかし、ある日状況が変わった。
友人「近所に”ジーンズメイト”ができるんだってよ」
私「ジーンズメイト?」
聞けば、今どきの若者は”ジーンズメイト”というお店でイケてる服を手に入れているらしい。そしてそれが最寄り駅の近くにできるとのこと。
すごいぞ、ジーンズメイト。
早速なけなしのお小遣いを手にジーンズメイトに向かう。
そこにはヨーカドーでは見たことのないさまざまなジーパン、シャツなどが売っていた。しかも中高生でも割と手が届くような価格で。
はじめて出会う洋服の”掘り出しもの”である。
中高時代はブレザーだったので、POLOラルフローレンのベストには散々お世話になった。
よく似た廉価版のバンバスター?というメーカーのもあった。
ギターでいうところのギブソンじゃなくてエピフォンみたいな。
決してパチモンと言ってはいけない。
そして今ではダサいファッションの代名詞となってしまった
「意味不明な英語がいっぱいプリントされたロンT」
「十字架などがデカデカと描かれたゴシックテイストのパーカー」
など大変お世話になった。
おじさんになった今となっては感謝しかない。
池袋そして渋谷へ…
大学生になると行動範囲が広がり、アルバイトもして自由に使える金銭もひとケタ増えた。
池袋が遊び場だったため、PARCO、サンシャイン、マルイ(西口は当時カラーギャングなどがいて危険だった。IWGPは大好き)など選択肢が格段に広がった。
そして他の誰とも被らない服が欲しくなり、渋谷にも足を伸ばすようになる。
しかし、一点ものやオシャレに服がディスプレイされているようなお店は異次元の価格でとても手が出せなかった。
そこで、こじんまりしたあまり気取っていないお店を探し、お手頃な服を買って”掘り出しもの”だと自分を納得させていた。
そして、しばらくするとやはり金欠になってくる。多感な(ただただモテたい一心だったのかもしれない)大学生だった私は古着に手を出し始める。
金欠大学生の味方
古着と言えば下北沢。
最初は手に入れやすいアメカジから。
チェックのシャツは何にでも合わせやすいようで、ダサくならないようにするのは意外と難しい。
そこからキレイ目なカジュアル系の古着を打っているお店へシフト。
新品で買ったら相当な値がつきそうなものが、たまに安価で手に入った。
それは私にとってまさに”掘り出しもの”だった。
自宅周辺では絶対に手に入らないオシャレでお買い得な古着は、たいしてファッションに詳しくない私の自尊心を大いに満たしたのである。
※いまはかけらも無い
モール
さて社会人となった私は、その後フリーランスとして長い下積み生活を送ることになる。
常に金欠で10km圏内はすべてチャリで移動した。
仕事はわずか、時間だけ無駄に持て余すといった状況だ。
学生時代のように服にお金をかけることは当然できないので、当時ものすごい勢いで増えていたユニクロに頼りきりだった。低価格、高品質。
しかし、それは何か自らのアイデンティティの喪失にも似たような感覚がどこかにあった。
そんな時にあらわれたのがショッピングモールだ。
それまでは地方都市にあるイメージだったが、都内の工場跡地などに建ちはじめ、ついに自宅近くにアリオができた。ヒマな私は平日の日中によくプラプラと行き、モールの各専門店を見て回った。
土日や平日の夕方以降は大変にぎわっているが、平日の午前中はガラガラだ。
店員さんは在庫管理やその他バックヤード業務などで忙しくしているので、私のような見るからに仕事もお金もなさそうな若造には声もかけない。
平日日中モールをウロウロする成人男性は極めて少ないし、要警戒だろう。一方こちらとしてはオープンしたてのきれいな店内を貸し切りのように見ることができ、勝手にセレブな気分になっていた。
ユニクロも入っていたが、それ以外にもGLOBAL WORKのような爽やかカジュアル系、ムラサキスポーツのストリート系、Right-onのアメカジ系と、バリエーションが豊富なことが新鮮だった。靴はABC-MARTでキマリ!
これまで池袋、原宿、渋谷など、都心に行かなければあまり見かけないようなファッションが近所で、しかも手ごろな価格で手に入るようになったのだ。これは画期的だった。
”掘り出しもの” 感覚を久々に得た。
先述のJEANS MATEで興奮していた頃からすると、格段に近場での洋服購入について選択肢が広がったわけだが、その後モールの数はどんどん増える。
セブン&アイとイオンの仁義なき戦い。
増えるだけ周辺の住民にとっては大変便利になる。
しかし、モールに入っている専門店はかなり共通してくる。
GROBAL WORKは一体何店舗あるのだろうか…
もちろんそれらはすばらしいブランド、お店だからこそ皆が着て、全国に広がっていったのだ。
私は今もモールで服を購入して楽しんでいるし、大変お世話になっている。
だが、最初の頃に感じた”掘り出しもの”感は得られなくなった。
アウトレットのお店があるような巨大モールはいまだにワクワクするが、今はそこを一日中かけて歩き回る時間、体力が無くなってきていることは否めない。
ネットショッピング
『Amazon』
ネットでなんでも買えてしまうという、そもそもこの概念を理解するのに最初時間がかかった。
本をネットで買う?しかも本屋より安い?どういうこと?
個人情報が洩れて悪用されるなどという噂(事実)も流れており、おそるおそる注文したのも今となっては懐かしいが、当時の私は「ほんとに届いた!」と感動していた。
そこから先、数年で急速にネットショッピングは広まり、機械オンチの庶民にすら当たり前の買い物手段となった。
PCからスマホへの移行、そして専用アプリも次々と登場し、より気軽に、より幅広い商品を探せるようになった。
日本国内でメジャーなAmazon、楽天、yahoo。ファッション特化だったらZOZOTOWN。
リスクを負って安価で海外のマニアックなものを探すならAliExpressでしょうか。(何度か注文したけど今のところ大丈夫)
最近だとTemu?ファッションだったらSHEIN? (使ったことないです)
さらにはオークション、フリマサイトがネットショッピング移行の決定打となった。
ヤフオクもかなりお世話になったが、最近はもっぱらメルカリだ。
さて、服について。
服はネットのおかげで無限に探せるようになった。
人と被らない服を着たいと思ったからといって、原宿をウロウロする必要もなく、家から一歩も出ずに購入できるのだ。
古着はフリマアプリを介して個人間で直接やり取りし、簡単に売買できるようになった。
もちろんモードオフやドンドンダウン、セカンドストリートなどリユース、古着を扱っている実店舗もたくさんあるし、たまに出先で時間があると寄ることもある。
「世界中のあらゆる服を探せるのだから、今のほうが掘り出しものなんていくらでも見つけられるでしょう。情弱乙」
このような意見が大勢を占めるだろう。
しかし
私自身はこの状況において「掘り出しものを見つけた!」となることは難しい。
ファッションと掘り出しもの、この2つは私の中で希薄な関係となった。
【結論】 心の中で消えゆく「掘り出しもの」
なぜ私がいま掘り出しものを見つけた感覚になれないのか。
最後に理由をまとめたい。
①相場の均一化
あらゆるモノの相場はネットによって共有されるようになった。
それによって相場は「下ブレ」の少ないある程度の幅に収まっていった。
ネットが普及する前、特に中古品は値付け担当者の自己判断で決められた。
個人経営の古物商では店主の目利き「いい仕事してますね~」や
「何これ?大した値打ちもなさそうだな…」という勘で値付けが行われていたはずだ。
特に地方都市やちょっと寂れた場所にある店舗では、大都市のように他店舗の情報が無かったため「なんでこれがこのお値段で!?うひょ~」という掘り出しものに遭遇することがあったのだ。
今やどんな地域、世代であろうが、ネットで調べて値付けが行われる。
②足を運ぶことの尊さ
いくらネットの中を徘徊しようとも、実際に足を使って、お店で現物をこの目で見つけ出す感覚とは程遠い。
ネット上ではもちろん通常より激安になっているものもある。
「ラッキー♪」と思いすぐにポチることはあるが、「掘り出しものを見つけた!」というまでには至らない。
足を運んで入ったお店で
価値を知っている自分だけが
偶然見つけたお宝
こんな運命的な出会いはもうやって来ないのだろうか。
③老い
ご年配の方から見ればまだまだ「わけーもん」に属する私だが、世間一般では中年おじさんど真ん中である。
身体の衰えはもちろんあるし、ある意味もっと問題なのは感性の衰えだ。
経験値が上がり、物事の分別もつくようになってきた。
しかしそれが素直に受け入れることを阻害し、心を動かされなくなってしまっている。
世の中では「感性を磨け」だの「初心を忘れるな」「エモーショナルを大事にしろ」だの言われる一方、
大人になると「言葉をそのまま受け取るな」とか「常にクリティカルに物事を見ろ」なんて注意を受けたりする。
私にとってこれらの両立は難しく、片方を意識するともう片方の感覚を失っていくような気分になる。
結局社会で生きていく上ではどうしても後者の要素が求められ、なんでも分析するクセが付いてしまった。
センスや直感力は今後も鍛えられる可能性がある。
しかし、メタ思考に偏ったしがない中年は、映画や音楽にも感心はすれど、滅多なことでは感動できなくなってしまったのである。メタだけにね…
終わりに
絶望しているかような結論だが、私はそんな悲観主義ではない。
まだまだ感動したいし、ワクワクしていたい。
皆さんは最近ふるえるほど感動する出来事はありましたか?
心躍るような素敵な掘り出しものと出会えますように。
お読みいただきありがとうございました。