お願いだから!!!子猫みたいな声で鳴かないで!! でっかい眼でこっちみないで!! こんなにだいすきなのに触れないし匂いも嗅げないなんて、、、、、、、、 ほんとーにほんとーにネコちゃんがすき。ブサイクでも病気持っててもデブでもいいからネコと一緒に寝たい!!!! タバコなんかよりずっと吸いたい。柔らかいお腹に顔を埋めたい。冬の肉球の冷たさとか顎の下の模様とかお日様みたいな匂いとかをずっと感じる人生を送りたい!! 記憶力悪いのに初めてうちに来た子猫の時のこと覚えてるよ😡お願い
他人からの評価などどうでもいいなどと言う人がいる。とはいえわたしはやはり少し気にしてしまう性質なのだが1つ問題がある。 わたしは他人からの評価かバラバラである。 例えば明るいと言う人もあれば暗いと言う人もいる。 ミーハーで天邪鬼。 真面目で無責任。 普通で変人。 素直で捻くれ者。 などとまあ散々な言われようである。この前は掴みどころがないとさえも言われてしまった。 しかし人によって態度を変えているつもりは毛頭ない。わたしと同じ形の他人がわたしのフリをして生活しているとしか
11月も後半に差し掛かり南国であれども夜は冷えるようになった。 実家の猫は夏場は軒下や床下、木下など食欲を満たす以外には室内には入りたがらない。それが冬になると暖を求めて家の中のストーブ前でふんぞり返っている。 野生の警戒心を無くし腹を出して寝ている2匹を見ると冬を感じる。普段あまり寄ってこないやつらを近くで見れてうれしい。 今年も猫の季節がやってきた。だがいまだにストーブもこたつも暖房もつけていない。猫らは家中暖かい場所を探して回る。 しかし実家には暖かい場所などな
スピッツはエロい。 というより私が感じるエロかスピッツと波長が合っているという表現が正しい気がする。 エロい事は人の数だけ種類があると思う。実はエロってアダルトとかセックスとかに収まらない、すごく広大な世界なんじゃないかな。 私は大人が泣いたりしたのを見た時とか、ふとした時に目が死ぬ人とか、童貞の嘆きとかにエロスを感じる。 本能のまま生きている野生動物なんかもすごくエロい。 スピッツの曲でのワンフレーズはこういう私がエロいと感じるものが多い。 「君の指先の冷たさを想う
インスタのDMに環境活動家(実際に何の活動をしているのかよく分からない)から声が届いた。 かなり長文だったので要約すると SNSで承認欲求を満たすような生活は後々何も残らない。大自然に触れろ。お前は親元から離れて自分の力だけで生きていく経験を積まなければならない。労働者思考ではなく経営者思考になれ。と。 SNSに執着するなとダントツのSNSであるInstagramからメッセージ送られてきた。 大して知りもしない人間のオナニー(説教)を見せつけられること自体、私の人生におい
中学生のころ友達の祖父母宅へ行ったことがある。 その子は父子家庭で家と祖父母の家を行き来して生活していた。 孫が初めて友達を連れてきた様子におばあちゃんは私を喜んで迎え入れてくれた。 友達の少ない子だったのでおばあちゃんも心配していたらしい。なので私が来てくれて本当に嬉しいと言ってくれた。 しばらく友達とふたりでべしゃりを繰り広げていたらおばあちゃんが部屋に入ってきた。どデカいおにぎりを4つ持って。にこやかに沢山食べてねと残して出ていった。 1人ふたつづつなのだろう。ソ
答えのないものが多すぎる。 キノコタケノコ、奢り奢られ、男女の友情、etc... これ争う意味あるのか。 だって答えないじゃん。いやあるとすれば人間の数だけ 答えの数もあるんじゃないの。 無駄な時間すぎる。 なんで答えがないものに時間を割くのか。 奢りたくない男は奢らなくていいし、男女の友情も持ってる人達は持ってるんじゃないの。 そこで価値観の違いとか出てくるのは別に当たり前のことで問題でもなんでもないよ。
じいちゃんはいつでも軽トラの荷台にのせてくれたし、じいちゃんしか知らない山奥の川に連れていってくれたし、空から落ちてきた魚をくれた。 生まれた時からじいちゃん子だった。両親と祖父母との仲は険悪だったが私は毎日じいちゃんの家に通った。 私にはめちゃくちゃ優しかった。私が生まれた時、一日二箱の生粋のベビースモーカーだったじいちゃんがタバコをやめた。私が美味しいといえばずっと買ってきた。 手伝いをすれば必ずお小遣いをくれた。父や母に締め出されたら必ずじいちゃんが助けてくれた。冬
友人と深夜ドライブした。 某女児向けアニメのopをかけながら自身の境遇を嘆き希死念慮を訴えてくる彼女に辟易したりしながら運転をした。それと同時にこいつ完全に私に気を許してるなとも思った。 知らない海岸について海に浸かりにいっていたけど私は足を洗うのが面倒なので浜に座っていた。 死にたいという人間が夜の海に入っていって姿が見えなくなって唐突に怖くなって目を凝らしたらタバコの火がホタルみたいに見えて安堵した。 なんだかんだこいつは死なないだろうなとか考えていたけど分からなく
駐車場 毎度くろねこすれ違い 今日は私が留まりて待つ 眠れない夜短歌を考えた。 黒猫とヤマトを掛けている。 中学生の頃描いた俳句が特別なんとか賞をとり新聞に掲載され学校で表彰を受けた。 初盆や まだそこにある祖父の靴 全校生徒の前で詠まれる。 生まれて初めて真剣に詠んだ俳句だ。 場面の切り取り方にかなり自信があったので入賞するだろうと自負していた。 友人らは賛辞を述べる者もいたが大多数は私が卒業するまでことあるごとに句を読んできた。(たとえば私がボール
平日の昼間から公園で陽を浴びている。 他にはじいちゃんと孫らしき2人組がいるだけでのどかな暖かい午後である。 孫は歩けるようになったばかりというところだろうか。しんちゃんと呼んでいた。 歩けるのが楽しくて仕方ないのかもしれない。きゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる。 じいちゃんはしんちゃんの言うなりに一緒にあそんでいる。 2人のこれからを考える。 そのじいちゃんはきっとこれからもしんちゃんに温かい愛を与えて母親に非難されながらも大変甘やかす。 ししんちゃんが泣いていれば
前の投稿でカリーソムリエを自称していた私だが実際に週の半分くらいはカリーを楽しむ日がある。作ることもあるしレトルトを食すこともある。 しかしどんなカリーにも私は必ずカイエンペッパーをたす。食卓に持ち出して。それは辛味を足すという仕事ではかなりの働きぶりを見せた。 一度に多くの量を足してしまうと、粘膜や内臓にとってかなりの凶器になる。なので食べながら少量ずつ足してゆく。 いつしか私は適量を探すという目的を放棄していた。辛さの限界という壁を動かそうとしてその赤い粉を好奇心の
進撃の巨人に登場する始祖ユミル。彼女を縛り付けていたものは王に対する愛だったという描写がある。 彼女は愛することは従うことだと思っていたのだと思う。なので愛するが故にエレンを手にかけたミカサを見て長年の呪縛から解放されたのではないか。 私は父から嫌われることを怖がるなと言われて育ってきた。その言葉通りに私は自分を信じて我が道を進んできた。 スピッツのひみつスタジオに収録されている『ときめきパート1』という曲に 嫌われるのはやだな というワンフレーズがある。 私にと
カリーを作る。それは芸術であり、出会いである。 日本ではカレーと呼ぶそれをカリーと呼ぶことに少々恥ずかしさを覚えていた18歳の頃、地元の小さなインドカリー屋さんでアルバイトをしていた。 毎日仕事が終わるとインド人のシェフがカリーを作ってくれる。 外人が日本人は毎日寿司を食べていると思っているという話があるが、そのインド人はマジで毎日カリーを食べていた。しかも三食だ。 毎日様々なカリーを作っていた。ダールマッカーニや、マトンマサラ、ナスとポテトのカリー。 ほんとにカリーし
14歳の時。地元鹿児島を離れた修学旅行先で地元の中学生たちを見かける。 知らない人達であるが私たちと変わらずに友達と話していたり、一人で歩いていたりする。 私もここに生まれていれば鹿児島で流れている日常なんか全く知らずに生きていのだろう。 私にとっての故郷が誰かにとっての知らない土地で知らない日常であり逆も然りである。 人の数だけ知らない無数の日常がある。