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「会社でのキャリアを諦めた日」それが他者比較の沼から出られた日だった話
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他者比較の沼でもがき苦しむ人へ
大丈夫。
あなたはすでに価値がある。
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私は「業績評価」で
他者比較の沼にはまった。
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私は20代、30代はただがむしゃらに仕事をして来たような気がします。
上手かどうか、ではなく
ただ一生懸命かどうか。
言い換えれば、
一生懸命な「汗」をかいてるかどうか。
今の会社では30代までは、
真面目に一生懸命に汗をかいていれば
相応の評価をもらえていたような気がします。
とりわけ目立つスキルもない私は、
一生懸命やることくらいしか
アピールポイントはなかったのです。
目立つほど良くもないが
目立つほど悪くもない。
実際、そこそこの評価を頂いてました。
年次で与えられる昇格試験も
無事に連勝することができていました。
***
40代になり、人より少し遅くなりましたが
管理職の級職になりました。
さあこれから自分のチームを持って
若い人らをどんどん成長させてあげたい。
そんな責任者になってやる!
私は希望とやる気満ちに溢れていました。
この先のキャリアも
当然にように駆け上がっていく気満々です。
***
人事異動の季節。
私のチームの責任者が異動になり
新しい責任者は誰なのか?!
私の中では、
ワンチャン、ここで自分あるかも。。。
(今考えるとお恥ずかしいですが)
そんな自惚れた自分もはっきりいました。
そして新責任者の発表。
見事に、別の部署から責任者が赴任。
その新責任者は、
従来の部署の責任者も兼務するようでした。
いわゆる
適当な人材がいなかったパターン。
私は膝カックンを食らった気分で
拍子抜けしていました。
、、俺じゃないんだ。
まあ、そう上手くはいかんか(笑)
まだ私の自惚れ根性は
ファイティングポーズを取り続けていました
***
それから数年後
また人事異動の季節。
私のチームの責任者が
交代するという噂が出ました。
あぁ、いよいよかも。
前回はタイミングが早かったかもしれないが
今回は間違いないだろう。
(今考えると本気でお恥ずかしいですが)
そんな自惚れた自分は意気揚々とその時を待っていました。
そして新責任者の発表。
なんと、別部署からの抜擢。
仰天人事でした。
しかもその新責任者は
私と同年代の方でした。
年恰好も、キャリアも似た二人なのに
選ばれた人と、選ばれない私
そのコントラストの差は
鮮やかすぎるほど鮮やかでした
くぅ〜効く〜
この一発は効くなあ。
でも、でも、
まあ、あるよねこういうパターンも。
しゃあない。
次だ次!次こそは!
まだ私の自惚れ根性は
片膝を着きそうになりながらも
類まれなバランス感覚で
懸命に堪えながら、ギリギリのところで
ファイティングポーズを取り続けていました
***
そのまた数年後
人事異動の季節。
待望の責任者交代の噂。
よっ!待ってました!!
ドドドンッ!ドドドンッ!
私の中では祭りが始まりました。
くぅ、長かったぜ!!
待たせたな、俺!
そして新責任者の発表
・・・?
私のチームは他のチームと合併。
正確には他のチームに吸収合併。
それまでの仕事の主導権も失った。
そりゃそうだ。吸収合併ですから。
完全なる一兵卒。
他の担当者と横並び。
いや、年齢がいってて上席が扱いずらい分
横並びすらしていないかも。
かつての部下や同僚も
新しい責任者にべったりだ。
そりゃそうだ。サラリーマンだもの。
でも、でもそれ以上に
これはやばいなと思いました。
ここで責任者にならないということは
もう、この先はない。
そう、この時確信した。
あのトーナメントが終わったことを。
その大会名は
「社員対抗!出世トーナメント大会」
私は、この大会で3回戦で姿を消した。
昇格試験2回戦を突破した時が最高点だった
俺の夏は終わった、と泣き叫ぶ、
高校野球球児と同じ気分だった。
この時は悔しかった。
凄まじく悔しかった。
本当に泣き叫びたかった。
ジリジリする劣等感
ヒリヒリする自己嫌悪
さすがの私の自惚れ根性もなすすべなく、
自分の中に僅かに残っていた自信は
木っ端微塵に砕かれ
遠く彼方に吹き飛ばされていた
何が劣っているの?
何が間違っているというの?
気がつけば
他者比較の沼に
どっぷり浸かっていた。
***
あれから数年。
人事異動の季節。
出世トーナメントですでに敗退している私は
平穏な日々を過ごしている。
責任者が誰であろうと
業績評価が良くも悪くもなくとも
そこに関心が薄くなっている感覚。
純粋に仕事に面白みを感じるところを探して
そこに向き合ってる感覚。
誰が評価されようが
自分の評価がどうであろうと
以前より気にならなくなっている感覚。
会社の評価そのものが
自分を評価する唯一の基準ではないように
思えているから。
会社の評価は
私を測るモノサシではあるが
私のすべてを測れるものではない。
ついでに言えば
このモノサシの取り扱いには
注意しておかないといけないこともある
それがわかったから。
それで救われました。
***
(ここからは私の個人的見解です)
本来、自分の望む未来に向かう時が最もモチベーションが発生するのが認知科学でわかっていることです。
業績評価や査定評価とは、会社が決めた目標(他人が望む未来)に向かって社員にモチベーションを発生させることができます。さらに他者比較や承認欲求をうまく融合しながら、夢中になるひとをたくさん産むことができる、とても秀逸なシステムです。
しかし弊害もあります。
他人の望む未来への功績評価を得ることが目的になってしまいすぎると、自分の望む未来がわからなくなってしまうこともあること。
自分の心の声すら聞き逃し、次第に耳すら傾けなくなり、興味すら湧かなくなり、最後には自分の心の声が聞こえなくなってしまう。
いわゆる自分迷子の状態を産んでしまうことがある。
自分迷子になっても気にせずいられるのは、他人の評価により一定の施しを受け、他者比較の上で優位に立つことができているからです。
でもそのモノサシがなくなったら、その評価や優位性は一瞬で消えてしまいます。
しかも、全身全霊をかけて掴み取ったものが、他人の望む未来だったことだったりする。
その時、気付かされる。
自分の望む未来はどこいった?
それ、ちょっと寂しいな
と思う方もいるかもしれませんね。
***
今回は少し嫌な気分にさせてしまった方もいらっしゃると思います。(申し訳ございません)
一方で、共感できる部分もあるなあと感じてくださった方も一部いるのではないかなと思います。
出世トーナメント大会で残念ながら勝ち上がれなくなって一瞬寂しく思うかもしれませんが、素敵な参加賞がもらえるのです。
(参加賞)
「自分の望む未来を見つけ、ワクワクしながらそこに向かうスタートをする券」
そういえば、自分は何をしたかったんだっけな?忘れちゃったなあ。
でも、自分の人生、しっかり楽しみたいね。
そう思った方は
ぜひ一歩進んでみてください。
素敵な自分に必ず出会えますので。
その自分に会ってみてください。
きっと楽しくなるはず。
人生楽しみきっていきましょう!
***
「あなたはすでに価値がある」
どうしてもそれを伝えたい。
私がコーチになる理由はここある。
*
最高のコーチを目指して。