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絵に描いたフレンチトースト

ふと思い出して食べたい気がしたのに、他ごと考えているうちにそんなでもないかと落ち着き、絵に描いたフレンチトーストでコーヒーを飲むお休みのお昼


今日もくだらない事を書く

でも、こういう事を書きたくてやっているので気にせず、書く

子どもの頃、ごくたまに、母がフレンチトーストを作ってくれる朝があった

普段は私だけお米を食べていたので、本当にたまに

食パンが、少し日にちが経って硬くなったとパサついたからとか、そんな理由だった気がする

何かがほとびた(適切な言い方ではないです、ごめんなさい)食感が苦手なので、お茶漬け、お丼のお出汁を含んだ底のご飯、カツの衣が卵でフニャリ&底のご飯がびしょりのカツ丼、天麩羅蕎麦やおうどん好きではない

天麩羅も豚カツも好きだけど、卵やお出汁に浸っているのは好きではない

そんなわけで、ふんわりジュワッが醍醐味のフレンチトーストはそんなに好きではない

めんどくせえな
それに誰が興味あんねん

なので、その朝ご飯を思い出すわけではない

おかっぱ頭のちびっ子を見たとき、ある曲が頭に流れ出す

♪トゥタタタトゥタタタティタタタティタタタ

映画『クレイマー&クレイマー』のテーマ曲

そしたらもう、あの2人の作るフレンチトーストを思い出す

思い出すと言っても、高校の家庭科の授業で観たのと、夜中にやっていたのを観たくらいなので特にその内容などをしっかり覚えている訳ではない

軽快なリズムの曲と、いつの間にか手際の良くなった父とキッチンに腰掛ける子どもが見事な連携でフレンチトーストを作れるようになった、最後の朝のシーンを思い出すくらい

思い出すというよりは、ダスティンホフマンやメリルストリープの話になると『この映画観た?』となり、その場にいた誰かしらが『クレーマー(文句言い)の話やと思ってた!』というベタな展開になり、代わる代わる観た者があらすじを語る

そんな感じで記憶を常に保っていたような感じ

映画のラストは子どもの気持ちを尊重する、と言うような感じだったと思う

これは観ている側にも委ねるとかそういう事なのかしら

授業で観たあとに感想を買いて提出したような気がする

この時は“子ども”の気持ちで観ていたのかな、母親の気持ちで観ていたのかな

何て書いたんだろう

成人した子のいる親の世代になった今でも、この先の幸せな結末やより良い選択とはどういう事なのかわからない

子ども・親・母・父・女・男

それぞれの立場から見た家族のかたち

込み入った事情や、もっと深刻な問題もあるので軽々しくは言えない事だというのは理解をしているつもり

家族のかたちも考え方も人それぞれだとは言うけれど、それを取りまく色々との調和や兼ね合いもある

『旦那とかいらんから、お金さえあれば精子バンクで事足りるとかになって欲しい』とかいう人もいる

父親、母親どちらかだけでも経済的・精神的に健全に生活を送ることが出来れば問題はないとされるのだろう

倫理観とか常識や現代的な感覚とズレがちな私は、今のところ、男と女からしか新しい命が生じないという事を考えると、女しか出来ない、男しか出来ない何かがあるように思ってしまう

どちらかだけでは出来ない何かもある

様々な考え方があることは認識できても、理解できているかと言われれば全然出来ていない

クエやカクレクマノミ、ハゼのような生態を手に入れて進化する事があるのなら私の考えも変わり、理解する事が出来るようになるのかもしれないけれど

そもそもそれを進化とか言って良いかもよくわからない


先日近くのスーパーで小さな女の子が、お母さんに『レジのお姉さん、すごく優しかったね』と言うと、お母さんは『本当だねえ。でも、あれお兄さんじゃなかった?』と返す

女の子は、『でも、すごく優しかったから、絶対お姉さんだよ』と言い、お母さんは愛想笑いみたいなのを返し、黙ってしまった

お店の人は皆マスクをしているし、その人は帽子を被っていて、やや高めの声だったので、はっきりとしたアイメイクやなんかをしていなければ、見分けは付かないかもしれないけれど、私は男性だと思った

どっちでもええねんけど、何とも言えないない気持ちが湧き上がる

このあと、私が母親なら何か言うのかな

その帰り道、ベビーカーに乗った小さな子どもが母親のほうを何度も振り返り『寒いねえ寒いねえ』と繰り返していた

この気温とか体感とかの感じが“寒い”と認識したりその言葉と意味がぴったり来るのはいつ頃からなんだろう

『寒いねえ』以外の言葉はまだ、赤ちゃんめいたこの子どもはもう、この感じと言葉がしっくり来てぴったり合致した上で口にしているのだろうか

その子どもに近い、言語を交わす人間が寒いとか暑いとかほとんど口にしない、あるいはそういう感覚がない(暑さ寒さに異常に強いとか)場合、その子どもの感覚と言葉はどうなるのだろうか

怒りや悲しみを封印し、その事に一切触れないような環境で育てれば悲しみや怒りの感情を知らずに育つのだろうか

嬉しい楽しいもまた同様になるのだろうか

ある程度の発達段階にさしかかれば、外的な影響とは別に、あらゆる感情とか情緒を自然と表現する言葉が備わっていくのだろうか

何だか妙に心に残るやり取りだったものだから、また全然違うところへ走って行ってしまった

そうそう、フレンチトースト

少しの牛乳、1枚の食パン、数滴のバニラエッセンス、バターもしくはフライパンにひく油、仕上げにかけるほんの少しのグラニュー糖とか粉糖

1枚のフレンチトーストを作るのに揃えたい材料

家に無いものばかり、少しずつ必要

全部入っているバニラアイスクリームを溶かして浸すやり方もあるらしい(スイートポテトもこれで出来る)けれど、アイスクリームを買ったらそのまま食べたいやんな~

それに、あの父と子の手順でやりたいやんな~

っつう事で、散々どうでも良い事をぐるぐる考え、ひとりごち、やっぱりイヤんなって、フレンチトースト欲は落書きをして満たし、眺めながらコーヒーを飲む休日のお昼

有閑の人

意味ちゃうやん、全然
禅だけに
なんつって
眺めるだけとかいうて、他のお菓子食べてるやん


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