『優しさ』に包まれたくて
ひとり電車に乗ったのだ
昨日、仕事中ながらふと気を抜くとちょっと悲しくなって『やれやれ、もう少し時間がいるな』と、お手洗いで大きなため息をついた時、友人からメッセージが届いた
元気にしてるか心配して送られてきたメッセージ
しょっちゅうやり取りする訳ではない友だちからのひとことのメッセージに込めてくれた思いをしかと受け止める
とても心配をかけてしまっているようなので、『食べてる食べてる、食べ過ぎちゃっていやんなるくらい』と返すも落ち込んでいるであろう私に返してくれるメッセージが心に沁みる
私は友だちがすごく少ないので、この大学生の時から仲良くしてくれる『素敵な友だち』は存在だけでもありがたい
強くて、優しくて、美しい
昨年、開始わずかで尻尾を巻いて帰ってきた『独身ワイン会』も、実りのない『紹介された人とのご飯』の話など情けない近況やバカな失敗話は会った時にするけれど、家事も育児もある事だし、軽蔑されるのは嫌だな、とか”曇りのない”澄んだ心を曇らせるのは嫌だな、とツラいその瞬間に聞いてもらう事はなかった
ずっとスッキリいかない親とのことも何となくはわかってくれているけれど、親とのことをあれこれ話して『変な家庭』の『悪い子』と思われるのも嫌だったし、最愛のお父様を数年前に亡くされた事もあり具体的に話すことはしなかった
けれど、今年のはじめ、耐え難い言葉を浴びせられ傷つき、もうどうにも立ち行かなくなった夜、偶然その友だちからメッセージが届いた
子どもが送った旅行のお土産届いたかな?というもので、ポストに子どもたちが連れ立って投函したものだからまだかな~まだかな~って言ってる、という事だった
たまらなくなって思わず電話をかけ、たまたまひとりで過ごしていたのだと聞くや否や、話せなかった事や話したかった事、涙が溢れ出て携帯が水没するのではないかと思うほど泣きながら話す私の話をずっと『うんうん』言いながら聞いてくれた
そして、話してくれてありがとうと、私に向けられたひどい言葉に腹を立ててくれ、最後にこう言ってくれた
『そんなふうに言われたりしていたのに、よくぞこんなに良い子に育ってくれたなあ』
40歳を超えた人間が『良い子』も『悪い子』もないけれど、それを聞いて私はまたわぁわぁ泣いてしまった
子どもの前ではそんな話はしたくないという私の気持ちを汲んでくれ、遊びに行っても2人の時にサラリと尋ねることはあれどそれ以上詮索したりはしないでいてくれる
そんな素敵な友だちの『優しさ』を求め、そして元気な(ちゃんと食べてる、むしろ大きくなった)姿を見てもらわねば、と先日買った漫画をカバンに入れ、駅に向かい、切符を買い、ふらりと夕方の満員電車に乗った
どちらを向いても沢山の人が手に持つ携帯電話は、背の高くない私の後頭部や耳のあたりにあり、妙な居心地の悪さに身を置くこと10分ほど
黄昏迫る町並みや車の流れを横目で追い越す暇もなく駅に着く
駅を出るとポストに漫画入れておくね、とメッセージを送る
旦那さん(大学の先輩)に捨てられたら困るからね
というのは冗談で(やりかねないけれど)運良く気がついてくれて、ひと目会えたらという願望を込めて
お夕飯時なので非常識なのは重々承知の上だったのに、旦那さんは不在だし、子どもを習い事に迎えに行くまで時間はあるよ、と言ってくれて会うことが出来た
絶対に泣かないように心に決めてやって来たので、『あの漫画の最新巻出たから持ってきたよ。次会う時まで、ゆっくり読んでな』と渡す
漫画を貸しに来ただけではないこともわかっているのだろう
『ホンマに残念やったな。。。』
大学生の時は夜遅くまで共に制作に励んでいた仲だし、親のことだけでなく、それにまつわる人間関係も事情も理解している友だちは、その言葉に続けて私が笑い話として話す色々に『私は前からその人嫌いやわ』『何て、デリカシーがないの!?』『そんな人の言う事、ひとつも気にせんで良いからなっ!』
いわゆる根回し手回し完璧な『評判の良い人』から、『言いやすい・使いやすい相手み~つけた』と困らされ悩まされ振り回されてきた事も良く理解してくれて、言って欲しかった事を全部言ってくれたし、言って欲しくない事はひとつも口にしなかった
次はまたいっぱい料理させてね、いっぱい飲もうね、とバイバイをする
ほんの数分間の事だし、本当に迷惑な世話の焼ける人だと自分でも思うけれど、友だちにはありがとうの気持ちが溢れ出る
たくさんの友だちはいないけれど私にはこんな素敵な友だちがいる
その事が、また私に大きな力をくれる事を噛みしめながら圧倒的な『優しさ』と『心強さ』に包まれながら電車に揺られていた