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12月9日“漱石忌”
年頭に、毎年私の机の上に置いてあるのでありがたく愛読している『那智山開運暦』をパラリめくり、あーそうだったな、と思い、書く
1916年の12月9日、49歳という若さで亡くなった夏目漱石
50歳にならないうちにこの世を去りながら、沢山の人の胸を打つ文章(小説作品、随筆、論文、芸術評論)だけでなく、数々のエピソードを遺し、崇拝・敬愛する人も沢山いて、お札にもなっている、いわゆる文豪
男前な、あの写真もこの写真も49歳より若いときだったのかと驚くべき貫禄
私は、読書家でもなければ文体や特徴なんかをきちんと語れるような何者でもないけれど、夏目漱石の文章がたまらなく、好き
難しいような堅苦しいような言葉づかいや、鋭くとがったような物の見方は、ややもすると遠くて怖くて近寄りがたい印象を与える気がする
でもその雰囲気のままに、歯に衣着せぬ辛口な事やふざけた事が小気味よく続くそのリズムの良さのような物に惹かれていく
実際に、読み始めた中学生から今に至るまで夏目漱石についてあれこれ楽しく話を出来た人は数えるほど
面白い本や好きな作家の話になると
『へえ、難しいの読んでるのね』
で片付けられる
『坊ちゃん』(『坊っちゃん』『坊つちゃん』)や『我が輩は猫である』などは読んだことあるけど、他は知らない(し、興味がない)と言われることが多い
どこがそんなに好きなのかと問われたら、こんな風に答える準備は出来ている
賢さからか周囲より上というか斜に構えてすべてお見通しのように物事を見聞きし浮世離れしているほどに理路整然と詰めてくるかと思うと、時に人間らしさ・人間くささみたいな面倒くさかったり醜かったり情けなかったり情に厚かったりなところを今までの流れや全部のルールを破って心の奥底に突き付けるような熱さを出してくるかのような感じを受けるところが好きかなぁ
長いし、何が言いたいのかよくわからないけれど、誰も問うて来ないので、良い
私なんぞが知っている言葉で言い表すことなど出来ないほど愛していると言うこと
すごく深く理解し、その考えを人生において役立てたり出来ているわけではないけれど、なぜだか何だか、ものすごく、好き
内田百閒も細かく語れば少し違うけれど、ほとんど同じような理由で好き
夏目漱石を師匠と崇拝していたのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど
何年も、何十回も出だしの名古屋どまりだった『三四郎』を、素晴らしい導きに出会い、見事読み切って以来、何度か読み返すほど好きになった
そこからまたお気に入りの『虞美人草』や『彼岸過ぎ』までも読み返したりしている
そんな中、『草枕』は躓いてしまって途中で放置したまま、先日ふらり立ち寄った本屋さんで『硝子戸の中』を読みはじめてしまっている
(こうやって書いておいたら、また興味深い読書案内記事に出会えるかもしれない)
そしてまた面白いので、年末年始に余りあるひとりの時間のお楽しみに取っておきたいと、少しずつ我慢しながら読んでいる
敬愛する夏目漱石の命日(これ書いている日がね)に、末席よりただただ大好きなんだというその愛を叫ぶ
『暦』開けるまで認識してへんかったくせにぃ~
ま、気まぐれに開いた日がそうだったって運命感じちゃうじゃない?
なんつって