雨水を溜めた足跡(投げ銭)
この心に描かれるものは何もない。僕はその場に至った理由を内にも外にも探していたけど、何も見つけられずにいた。この写真を撮る前年、新卒から1年半しか在籍しなかった正社員の仕事を辞めていた。
形あるものがその場に置かれ、そこにそれらしきものがあると認識する。それなら僕が社会の中である場に居て(または、置かれ)、僕は肌を洗う風や陽の存在で、そして何より自分の意識が僕をある場に存在すると認識させるけど、目をつむり五感の信頼を捨てたとき、その闇の中で僕はどこにいるのだろう。僕らしき何かが闇を見る位置に居るけど、固定されたものなのか無限の中を浮遊しているのかさえわからない。
小学5年頃だったろうか、あまりの苦痛の中で僕は僕だけが耐え切れないギリギリのところにいると思っていた。皆はこの苦痛の中でも平気で、僕だけが落ちこぼれようとしているのではないか・・・。自分と他人を比べる術なんかどこにもない。社会に出て、1年経つときまで耐えてみよう。そう決めた。
辞めるまでに半年、会社に引き伸ばされたが、無事に辞められた。この苦痛に答えは出ていなかったけど、それから十数年経った今でも、生きている。
それがなぜなのか、そんなことわからない。過去に後悔もないし、今に生きがいがあるわけでもない。でも、たまに楽しいこともある。笑うこともある。猫が好き(犬も好きだけど)。僕から逃・げ・て・く猫も好き(笑)。あ、、 カラスも好き。振り向いてくれなくても。
僕は僕をどうにも表せられないけど、こんな僕を必要としてくれる人が、たまに現れる。それでいい。鏡にうつる自分は苦手だけど、雨水を溜めた自分の足跡から逃れようとしていたのは、もう昔の話。
(本文中の画像は2001年10月にふるさとの駅から撮り、載せた言葉も当時のものです。)
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